フェルナンド・アロンソ

ページ名:フェルナンド_アロンソ

登録日:2012/01/14(土) 21:38:33
更新日:2023/10/20 Fri 12:43:17NEW!
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フェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso Diaz)(1981年7月29日-)はスペイン・オビエド出身のレーシングドライバー。2005年と2006年にF1の王座に輝いた。




【F1チーム遍歴】


  • 2001 ミナルディ
  • 2003〜2006 ルノー
  • 2007 マクラーレン
  • 2008〜2009 ルノー
  • 2010〜2014 フェラーリ
  • 2015〜2018 マクラーレン
  • 2021〜 アルピーヌ(旧ルノー)

【来歴】


3歳の頃からカートに馴染み、10代にはカートの選手権を総なめに。更にF1のテストを受けるなど才能を見せつけ、2001にはミナルディからデビュー。
マシンは悪いながらも、レースではワークスチームに引けを取らない速さをアピール。


翌年にはルノーのテストドライバーに。一年間レースから遠退いたが、合同テストでは好タイムを連発しつつも、若くしてキチンとマシンの開発をするなどチームの評価は高かった。


2003年はレギュラー復活早々の第2戦マレーシアGPで初ポールポジションを獲得。
そして第13戦ハンガリーGPではポールからの初優勝を成し遂げる。(ちなみにどちらも当時最年少記録)


2004年はマシンの信頼性が上がりランキングも4位に。ただこの時点はF2004に乗るフェラーリのミハエル・シューマッハの敵ではなかった。


2005年はニューマシンR25のパフォーマンスにより序盤から破竹の勢いで優勝を重ねポイントを稼ぎ、シューマッハやキミ・ライコネンやチームメイトのジャンカルロ・フィジケラを抑える大活躍をやってのける。
そして第17戦ブラジルGPでワールドチャンピオンに戴冠。こちらも当時の最年少記録を更新する偉業を成し遂げた。


翌2006年は前年不調だったシューマッハと一騎打ちとなった。
この頃のアロンソは少しダーティーなイメージが付いていた。その為か第13戦ハンガリーGPフリー走行時には他車に危険な幅寄せ。また第15戦のイタリアGP予選ではペナルティ(他車の妨害に捉えられた。しかし、このペナルティには疑問あり)を課せられたりと物議を醸し出した。
それでもレースでは実力と安定した速さのマシンにより優勝を重ね、最終戦では連覇を成し遂げる。


2007年はマクラーレンへ電撃移籍。連覇は間違いないと言われた。しかし意外な形で足を引っ張られてしまう。
チームがチームメイトのルイス・ハミルトンを贔屓と言われても可笑しくない様な行為でバックアップ。「外様」のアロンソは黙々とチャンピオン争いを戦うが、第11戦ハンガリーGP予選にはアロンソがタイヤ交換のピットインを長く伸ばし、ハミルトンのアタックを妨害と捉えられる行為でチーム内に明らかな不協和音を流れさせ、シーズン終盤にはアロンソはマシンの優先権をハミルトンに変更されるなど冷遇されたと言われた。最終的にランキングは3位に終わり、不満なシーズンを終えた。


2008年は古巣のルノーに復帰。だがマシンはチャンピオンを争うレベルではなく苦戦を強いられた。
しかし第15戦シンガポールGPで久々の優勝を勝ち取り、次戦も優勝する勝負強さを見せた。


2009年は前年以上に苦戦。しかも前年のシンガポールGPにはチームからの指示でレースを操作したとこの年のチームメイトだったネルソン・ピケjrが告発。
このスキャンダルでチーム首脳陣解任、メインスポンサー撤退やマシン開発停滞など散々な年となった。


2010年は噂されたフェラーリへ移籍。初戦で優勝を決める良いスタートを切り、チャンピオン争いに加わる。この年はチャンピオンコンデンターが5人おり大混戦だった。
アロンソ自身はチーム内で優位な立場を作り上げ、同僚のフェリペ・マッサのサポート(物議を醸すものもあったが)で最終戦アブダビGPまでチャンピオン争いを縺れ込ませた。
だが肝心なレースではチャンピオン候補のマーク・ウェバーの陽動作戦と、ヴィタリー・ペトロフとレースペースの大半を彼と付き合い、優勝とチャンピオンはセバスチャン・ベッテルの手に渡り、アロンソはペトロフに「お門違いな」批判をする始末。(後に謝罪)


2011年はレッドブル一色のシーズンにおいて唯一第9戦イギリスGPを勝利する。この勝利はフェラーリがシルバーストン・サーキットで初優勝をあげてからちょうど60周年という記念日であり、同時に同じコースでの勝利で花を添える形となった。この1勝以降は表彰台5回と健闘するもレッドブル一強の状況はいかんともしがたく、ドライバーズランキングは4位に終わった。




【余談】


2005年にタイトル獲得した直後にチームラジオが流れ、QUEENの「WE ARE THE CHAMPION」を歌った。その4年後の同じ場所でこれもまた初制覇のジェンソン・バトンも同じ歌を歌った。


2005年頃から優勝してから車両保管所にマシンを止めた後、マシンの上で独特なポーズをする様になったがマクラーレン移籍以降は見かけなくなる。そのポーズの意味は特に無いらしい。


テイルズ オブ グレイセスのアスベル・ラントが大好きで、彼のブログで撮影されている写真に高確率でミニアスベルフィギュアが登場する。
特にレーシングコースに立っているアスベルは彼ぐらいしか撮影する者がいないだろう。




追記、修正はマシンの上で「命」のポーズをしてからお願いします。


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  • これほど王座から遠ざかるとは…06年の時点では想像もしなかった -- 名無しさん (2014-01-31 19:50:44)

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