学問としての魔術

ページ名:学問としての魔術

魔導術操精術など、先天的に決定される要素の多い魔術だが、多くの要素が学問として体系化され、整備されている。

これは魔術が、「術者ができると思うことを可能にする術」であるためであり、学問として教授することで、後天的に使用できる魔術が増えたり、威力や精度が高まったりすることが多いためである。

魔術が「術者ができると思うことを可能にする術」、というのは魔術を語るときによく言われる言葉であるが、要は「腕を動かそう」としたとき、「腕を動かす」ことを「できる」と思っていなければいけないのと同じである。

例えば、「発火」の術を使う者は、「自分が集中すれば発火現象が起きる」と認識していなければ術を使うことはできない。

もっと言えば、術を使う者は「腕を動かす」ことと同じくらい、「発火現象が起きる」ことを認識していなければいけないのだ。

そのため、同じ「発火」の術を使うのでも、小さな火を作ることしか想像できない者より、大きな炎を上げることを想像できる者の方が、術の威力は増し、大きな炎を作ることができる。

できると認識することで、魔術の発動に対してよい影響が出ることを「扉が開く」と表現する魔導師も多い。

「扉が開く」要因は様々で、より大きな炎を見ることで「扉が開く」者もいれば、物が燃える過程を理解することで「扉が開く」者もいる。

そのため、より多くの方法で魔術の発現過程を教授することで、より多くの優秀な魔導師は生まれるのだ。

 

現在ではほとんどの国で魔導学院に類する教育と研究を行う施設が建てられ、多くの魔導師が学究に励んでいる。

そこで扱われている学問として体系化された魔術魔導学と呼ぶ。

また、多くの魔導学院では魔導術が中心であるが、魔術文様魔導具作成を扱う研究などもなされており、そうした学問は魔導機械学と称されることも増えてきた。

特にロニ・テトラによる魔鉱石から直接熱と光を取り出す仕組みの発見以来、魔導機械学を志す魔導学者も増えており、昨年は王国の王立魔導学院では魔導機械学科の学生が過去最大を記録したとされている。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧