レオニード二世が海運局長を務めていた時代からの盟友で、彼の懐刀と言われた軍略家。
レオニード二世が皇帝に即位した頃から表舞台に姿を見せ始め、彼の立案した作戦でグラツィアは瞬く間に帝国に奪還された。
しかし、そのすぐ後のキゼルベリー攻略戦の最中に流矢に当たり、落命する。
彼の死の知らせを聞いたレオニード二世は、「帝国の歩みは、これで二十年は遅れるだろう」とその死を嘆いたという。
現に潜入工作をはじめとした内部調略によって短期間に攻略したそれまでと異なり、後の南征では籠城した相手を包囲しての力押しが目立ち、ロゥサンド攻略戦では森に火を放って焼き討ちにするなど、帝国の国力を大きく落とす作戦もみられるようになった。
その結果、北領東側の都市国家群の攻略は大きく遅れ、ウェルペイが帝国に奪還されたのはレオニード二世の代から三十年後、三代後のトルメラン帝の代にまでなっていた。
天才的な軍略を持っていたレオだが、彼の名は当時の帝国軍人の記録や軍学校の名簿には記載がなく、また帝国貴族の中にもそれに類する名前がないことから、彼は平民であったのではないか、と推測されている。
そうなると、彼を取り立て、重用したレオニード二世との関係はいかなるものであったのかが気になるところだが、それは歴史の闇に埋もれた物語のひとつである。
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