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宇宙戦艦ヤマト | |
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ジャンル | SFアニメ |
アニメ | |
原作 | 西崎義展、山本暎一(企画原案) |
監督 | 松本零士 |
キャラクターデザイン | 岡迫亘弘 |
メカニックデザイン | 松本零士、スタジオぬえ |
アニメーション制作 | オフィス・アカデミー |
製作 | 讀賣テレビ、オフィス・アカデミー |
放送局 | 讀賣テレビ |
放送期間 | 1974年10月6日 - 1975年3月30日 |
■テンプレート使用方法 ■ノート | |
ウィキプロジェクト | アニメ・漫画・ゲーム |
ポータル | アニメ・漫画・文学・ゲーム |
『宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。
テレビシリーズの続編としては、『宇宙戦艦ヤマト2』、『宇宙戦艦ヤマトIII』。テレビスペシャルとして『宇宙戦艦ヤマトII ヤマトよ永遠なれ!』、『宇宙戦艦ヤマトIII 太陽系の破滅』、フジテレビ系で『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』が放映されている。
本作の後、劇場用アニメーション映画として『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、『ヤマトよ永遠に』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』が公開された。2010年には初の実写化映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が公開された。2012年には第1作をリメイクしたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』の放映と劇場での先行公開が予定されている[1]。
本項目では、宇宙戦艦ヤマトシリーズの第1作であるテレビアニメ、劇場版、及びシリーズ全体について記述する。続編の詳細については各項目を参照。
戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長、詳細な設定やSF的ガジェットの導入など、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『猿の軍団』などの影響もあって視聴率が低迷。予定の回数を待たずに打ち切られた。しかし、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。
その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメブームの先駆けであり、映画・レコード・小説・漫画・アニメ雑誌・ラジオドラマ・キャラクター商品など、多くの足跡を残した。後にビデオ・CD・LD・DVD・テレビゲームなどもリリースされている。
本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない[2]。(詳細については知的財産権に関する特記の節を参照)。
「宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物一覧」も参照
西暦2199年、地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。ガミラスは冥王星に前線基地を建設し、西暦2192年より、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加えていた。海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類の絶滅まであと一年と迫っていた。
最後の地球防衛艦隊も壊滅し人類生存の希望は完全に潰えたかに見えた時、外宇宙から飛来した一隻の宇宙船が火星に不時着、通信カプセルが回収される。その中には、宇宙の彼方イスカンダル星から、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。
九州・坊ノ岬沖に、250年も前の世界大戦の末に沈んだ戦艦「大和」も、干上がった海底にその姿を晒していたが、実は、選ばれた人類と生物を地球から脱出させる宇宙移民船へと極秘裏に改造中だった。地球防衛軍は、この「大和」に、波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」に改造した。
14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダル星に向け、1年以内に地球に帰還しなければ人類滅亡という状況下、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。
ヤマトはガミラス帝国と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダルを目指して行く。
1977年に第1作を再編集して輸出した映画版の英語表記は『Space Cruiser Yamato』だった。プロデューサーの西崎義展がクルーザーを所有していたためとされる[3]。現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。松本零士の漫画での表記は『Cosmoship Yamato』である。
アメリカ合衆国では、『Star Blazers』[4] の題名でテレビ放映された。
テレビ放映版と劇場版の比較を付す。
話数 | サブタイトル | 初回放映日 | 脚本 | 絵コンテ | 演出助手 | 作画監督 | 背景 | 劇場版での編集反映 | 人類滅亡まで あと残り |
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1 | SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト | 1974年10月6日 | 藤川桂介 | 松本零士 石黒昇 | 井内秀治 | 芦田豊雄 | 椋尾スタジオ | 物語の発端であるため反映。 | - |
2 | 号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!! | 10月13日 | 白土武 | 基本設定が固まる話のため反映。 | 364日 | ||||
3 | ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!! | 10月20日 | 石崎すすむ | 芦田豊雄 (作画演出) | 水野尾純一 | 2話の部分と統合しつつ発進のいきさつを反映。 | 363日 | ||
4 | 驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト | 10月27日 | 富野喜幸 石黒昇 | 腰繁男 | 白土武 | 東篠俊寿 | ワープテストを中心に反映。 | 362日 | |
5 | 浮遊大陸脱出!!危機を呼ぶ波動砲!! | 11月3日 | 松本零士 石黒昇 | 石崎すすむ | 芦田豊雄 | 水野尾純一 | 波動砲テストをダイジェストで反映。 | 361日 | |
6 | 氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ! | 11月10日 | 田村丸 | 安彦良和 | 井内秀治 | 白土武 | 東篠俊寿 | 全面カット。 | 359日 |
7 | ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!! | 11月17日 | 藤川桂介 | 松本零士 石黒昇 | 腰繁男 | 芦田豊雄 | 水野尾純一 | 冥王星基地攻略戦をダイジェストで反映。 | 356日 |
8 | 決死のヤマト!!反射衛星砲撃破せよ!! | 11月24日 | 安彦良和 | 石崎すすむ | 小川隆雄 | 東篠俊寿 | 354日 | ||
9 | 回転防禦!!アステロイド・ベルト!! | 12月1日 | 腰繁男 | 小泉謙三 | 水野尾純一 | シュルツの戦死とアステロイドベルトのみ使用。 | 338日 | ||
10 | さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!! | 12月8日 | 田村丸 | 池野文雄 | 井内秀治 | 白土武 | 東篠俊寿 | 太陽系との別離のみ反映。 | 315日 |
11 | 決断!!ガミラス絶対防衛線突入!! | 12月15日 | 藤川桂介 | 安彦良和 石黒昇 | 腰繁男 | 芦田豊雄 | 水野尾純一 | ガミラスの作戦会議を12話と統合して反映。 | 311日 |
12 | 絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星 | 12月22日 | 田村丸 | 安彦良和 | 石崎すすむ | 白土武 | 東篠俊寿 | オリオン星の戦闘と沖田の発病を反映。 | 308日 |
13 | 急げヤマト!!地球は病んでいる!! | 12月29日 | 藤川桂介 | 小泉謙三 石黒昇 | 長谷川康雄 | 小泉謙三 | ドメル登場のみ反映。 | 305日 | |
14 | 銀河の試練!!西暦2200年の発進!! | 1975年1月5日 | 安彦良和 | 腰繁男 | 芦田豊雄 | 水野尾純一 | 全面カット | 280日 | |
15 | 必死の逃亡!!異次元のヤマト | 1月12日 | 白土武 | 石崎すすむ | 白土武 | 273日 | |||
16 | ビーメラ星、地下牢の死刑囚!! | 1月19日 | 山本暎一 | 安彦良和 | 野村和史 | 岡迫亘弘 | 東篠俊寿 | 267日 | |
17 | 突撃!!バラノドン特攻隊 | 1月26日 | 藤川桂介 | 松本零士 石黒昇 | 腰繁男 | 白土武 | 263日 | ||
18 | 浮かぶ要塞島!!たった二人の決死隊!! | 2月2日 | 安彦良和 | 石崎すすむ | 芦田豊雄 | 260日 | |||
19 | 宇宙の望郷!!母の涙は我が涙 | 2月9日 | 山本暎一 | 石黒昇 | 腰繁男 | 岡迫亘弘 | 255日 | ||
20 | バラン星に太陽が落下する日!! | 2月16日 | 安彦良和 | 長谷川康雄 | 小泉謙三 | バラン星基地のカットなどを一部反映。 | 253日 | ||
21 | ドメル艦隊!!決死の挑戦状 | 2月23日 | 藤川桂介 | 寺田和男 | 坂本三郎 | 七色星団戦への導入部を反映。 | 215日 | ||
22 | 決戦!!七色星団の攻防戦!! | 3月2日 | 松本零士 石黒昇 | - | 白土武 | ほぼノーカットで反映。 | 214日[5] | ||
23 | 遂に来た!!マゼラン星雲波高し!! | 3月9日 | 山本暎一 | 安彦良和 | 石崎すすむ | 芦田豊雄 小川隆雄 (作監補佐) | ヤマトの到着とガミラスの作戦を使用 | 164日 | |
24 | 死闘!!神よガミラスのために泣け!! | 3月16日 | 腰繁男 | 小泉謙三 | ほぼノーカットで反映。 | 161日 | |||
25 | イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!! | 3月23日 | 石崎すすむ | 岡迫亘弘 | イスカンダル到着後の大半を新規撮影。 | 131日 | |||
26 | 地球よ!!ヤマトは帰ってきた!! | 3月30日 | 藤川桂介 | 松本零士 石黒昇 | - | 新規作画を交えて反映。 デスラーの逆襲と雪の戦死はカット。 | - |
本作は、虫プロ商事と瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたたオフィスアカデミーのプロデューサー西崎義展が虫プロダクションの山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた[6][7]。前2作(『海のトリトン』、『ワンサくん』)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた[8]。これに豊田有恒とスタジオぬえのメンバーが参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した[9]。
ちなみに西崎は、子供の頃に海野十三[10]や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた[11]。
最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。
藤川案におけるタイトルは『宇宙戦艦コスモ(仮題)』[12]。
一方、豊田案におけるタイトルは『アステロイド6』。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで[13]、この段階での敵はコンピュータだった。宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた[14]。
豊田案が提出用企画書の原案となり、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。その名残りがアステロイドリングに見られる。
宇宙船のデザインはスタジオぬえの松崎健一が行い、戦艦「三笠」のイメージ[15]から「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった[16]。
当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』など、“滅亡”をテーマにした作品がブームとなっており[17]、『日本沈没』のテレビドラマ版は日曜日放送で、本作と同日の20時からの放映であった[18]。放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした世相が企画当初から意識されていた[13]。
その後、元虫プロの作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵は異星人となり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。この時点で、ワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。
1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書[19]が完成。全45ページにおよぶ同企画書は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、さまざまな惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた[20]。
1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった[8]。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが[21][22]、結果的にキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた[8]。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した[23]。
別説では、『セクサロイド』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている[24]。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている[11]。
松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である[24]。
豊田と西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し[15]、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『アルプスの少女ハイジ』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある[25]。
なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された[26]。
『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『ルパン三世(旧)』、『ゼロテスター』と同じく中学生以上を取り込む事になった[27]。
1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロットフィルムが制作された[28]。作曲家の宮川泰は参加しておらず、BGMには映画『2001年宇宙の旅』でも使用されたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」など3曲が使用された。LDではそのままの形で収録されているが、DVDでは版権の問題で音声完全収録が不可能となり、ナレーションや効果音のあるオリジナル音声は差し替えとなり、全編にBGMは「無限に広がる大宇宙」「地球を飛び立つヤマト」が流れるのみである。
1974年8月/9分/イーストマンカラー
制作するスタジオは広く、スタッフの質と量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎プロデューサーによる会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している[29]。そのため現場はかなり過酷な環境であったと言われ[30]、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった[29]。映像が間に合わずシナリオだけで録音をしたという声優の証言もある。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねない程の日程と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある。要因として、西崎の会議主義のため会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている[29][30]。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に作画された絵がそのまま決定稿として採用されたという。
音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ宮川泰を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した[11]。
主題歌を歌ったささきいさおの証言によれば、プロデューサーである西崎からは「想いをこめて男のロマンを」と、音楽監督である宮川からは「いさましく」と指示されたため、混乱したという。録音テイクでは、かなりのNGが出た後、声を嗄らしたささきの歌声が、悲壮なロマンを彷彿とさせるということで決定となったそうである[31]。
第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されない別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」、「再放送第2話」、「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』に映像特典として収録されている[32]。
1話NG版第1話では島大介の声が仲村秀生ではなく、新人であった野村信次(本放送では相原義一役)が演じているが、古代の声を演じた富山敬にトーンが重なるために、本放送版では落ち着いた仲村秀生に変更され、島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される100式探索艇の入庫角度がやや異なったり、OPとEDの歌手がささきいさおではなく、山崎あきらが子門真人風に歌っている。このNG版第1話の原盤は現在紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオ版から収録している。2話再放送版第2話では大日本帝国海軍戦艦大和の出撃シーンと続く戦闘シーンで「軍艦マーチ」がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された[33]。しかし1975年から1978年までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、「軍艦マーチ」版のフィルムで放送された地方があった。22話本放送NG版第22話とは1975年3月2日に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであった。ところが通例の暗紺宇宙背景のまま撮影され、制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、1977年以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている。1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、小マゼラン基地撃破編などのストーリーが用意されていたが、裏番組として『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系)、および特撮SFドラマ『猿の軍団』(TBS系)などが存在し、視聴率はビデオリサーチ調べで平均6.0%、ニールセン調べで平均7.3%に終わった[34]。しかしながらSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。
低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話あたり予算が500万円の計算だったのが800万円かかって[35]、1話制作すると100万円単位の赤字が出たために[36]、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。
しかし、再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上でさまざまな影響をもたらした。
中心スタッフの松本零士は本作によって、一躍人気クリエイターとなり、『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『1000年女王』など作品が立て続けにアニメ化。1983年春頃まで続く松本アニメブームがもたらされた[37]。
同人誌即売会のコミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた[38]。
1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる[39][40][41]。
漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大されていった転機となった作品との評価がある[42]。
後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明や出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている[43][44]。
本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者からモラトリアムの拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている[45]。
日本国内だけでなく、アメリカで1977年に再編集した劇場版『Space Cruiser Yamato』が公開され、1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。『Star Blazers』視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『科学忍者隊ガッチャマン』の改変に比較すると、『Star Blazers』の改変は暴力的な描写や戦艦大和の削除などわずかにとどまった。宇宙戦艦ヤマトの艦名はギリシア神話に登場するArgo(アルゴー船)に変更され、登場人物もWASP風に改名された[46][47]。
アメリカから再輸出されたオーストラリア、イタリアなどの国々でも同様である。
アジアでは、韓国で1981年に『宇宙戦艦V号』(テンプレート:Lang)のタイトルで放送され[48]、『銀河艦隊地球号』(テンプレート:Lang)という模倣作品も登場した[49]。香港では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や絵本やムックの海賊版も出版されていた[50]。台湾では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(但し、テレビ版第1作と第2作のみ)。
再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している[51][52]。
1975年3月末の本放送の終了後、西崎プロデューサーの資金繰りで再放送の権利が『ワンサくん』と抱き合わせで東北新社に売却[53]。1975年夏に近畿地方から再放送が始まり、1975年秋から全国的に行われる人気が高まる[54]。高視聴率を得たほか[55]、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される[54][56]。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという[57]。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った[58]。1977年12月には、オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌「宇宙戦艦ヤマト」を発行していた[59][60]。
そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『月刊OUT』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。このヤマト特集は、同人活動を行なっていたファンの小牧雅伸、氷川竜介、伊藤秀明(ケッダーマン)をライターに起用して執筆がなされ[61]、雑誌としては異例の増刷になった[62][63]。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり[61]、この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる[64]。さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、『アニメージュ』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る[65][66]。
ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『機動戦士ガンダム』が企画された[67] ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった[68][69]。バンダイにとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、ガンプラに活かされることになった(詳細は、#関連商品#玩具を参照)。
上記の様な一般社会への好ましい影響ばかりではなく、カルト教団と云った社会の暗部にも影響を与えている。特にオウム真理教はさまざまなサブカルチャーの影響を受けていることが指摘され、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機のコスモクリーナー、行動部隊の白い愛の戦士という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである[70][71][72]。
古代守が松本のオリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの名前で再登場する事や、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった[73]。
放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた[73]。その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、監督の山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる[74]。
企画・原案・プロデューサーは西崎義展、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた。
演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった[50][75]。作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武のタイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった[76]。オープニングやバンクのヤマトの作画は泉口薫が担当した[77]。構成と監修でクレジットされている舛田利雄は、西崎プロデューサーから監督とストーリーの監修を依頼されたが、映画の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない[78]。初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった[79]。
企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」のロゴをデザイン。一旦は別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と絵コンテのチェックの役目を負った[80][81][82]。
富野喜幸、安彦良和らが絵コンテを担当した。もともと気乗りする仕事ではなかった富野は、発注された絵コンテのストーリーを改竄して、西崎プロデューサーを怒らせたため、参加は4話のみである[83]。
なお、監督については、クレジットされていた松本零士ではなく、実質的には西崎義展だったという見解がある。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は各証拠に基づいて「本件映画の監督は,映画における表示では補助参加人P1とされていたが,その制作に当たっての実質的な監督業務は,P2が行った」という「当裁判所の判断」を下している[84]。
音楽面では、西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確にはビッグバンド型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で製作された。『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。
本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた[85]。
2曲とも、作詞は阿久悠、作曲は宮川泰、歌はささきいさお、ミュージカル・アカデミー(初回盤)。
コーラスグループは再発売の際にロイヤル・ナイツに変更された。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版(の『宇宙戦艦ヤマトIII』のオープニング曲)を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は2000年春に通信販売限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現した。2001年、本編に使用された歌曲を全曲収録した「宇宙戦艦ヤマト ETERNAL EDITION File No.10 Yamato The Best」に「ミュージカル・アカデミー」版が収録され、通常市場にて正式に復活した。その反対に「ロイヤル・ナイツ」版が番外化し、他の本編未使用歌曲とともに「Yamato The Best II」に収録された。
ささきいさおは1978年のインタビューで、主題歌に子門真人が関わっていた(歌手オーディションに参加した)と証言した。これについて、当時、日本コロムビア文芸部に所属していた堀江美都子は、子門がオーディションで歌った可能性はあると述べている[86]。
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』上映期の「ヤマト・ファンクラブ本部」会報や『冒険王』1978年9月号などに、阿久悠自身の作詞によるOPの3・4番が掲載された[87]。どこかで歌唱されたとの説もあるが、その音源が存在するかどうかは不明である。また、宇宙戦艦ヤマト全記録集のTVシナリオ版(1979年)では、阿久悠自筆原稿よりOPの1・2・3・4番が掲載されている。
エンディングテーマ「真っ赤なスカーフ」は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、ニッポン放送のリクエスト番組で1位になった[88][89]。
オープニング主題歌は21世紀に入ってからも高校野球の応援歌の定番の曲で、阪神甲子園球場などではブラスバンドが頻繁に演奏している。そのほか、Jリーグ・柏レイソルの応援歌としても採用されている。2007年のリーグ戦ではこのアニメのネタを引用して、試合に勝利するたびに「地球滅亡まで勝ち点○○」という横断幕が掲げられた。海上自衛隊の海外派遣の際には見送りの曲として使用される。阪神タイガースの前田大和は、自身の名前にちなんで入場曲として採用している。
2006年3月21日に亡くなった宮川泰の葬儀時、本人の生前の希望で葬送の曲として使われた。
オープニング主題歌のバージョン宇宙戦艦ヤマト | |
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監督 | 舛田利雄 |
脚本 | 藤川桂介、山本暎一 |
音楽 | 宮川泰 |
配給 | オフィスアカデミー(東急レクリエーション)、東映洋画(東京都外)[91] |
公開 | 1977年8月6日 |
製作国 | 日本の旗 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 21億円[92] |
次作 | さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち |
allcinema | |
キネマ旬報 | |
表・話・編・歴 |
1977年、テレビ放映版を再編集したものが劇場公開された。テレビでは商業的に失敗に終わったヤマトを、日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという[93][94]。
以下、劇場映画化と国外展開に関する、おおまかな流れについて述べる。
テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた[95]。同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが(#別バージョン参照)、第21-22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。ここから「劇場映画化」というアイデアが生まれた[95]。
1975年5月、劇場向けの再編集開始。当初は5時間の長さだったが、舛田利雄の監修のもと、沖田艦長の物語に焦点を当てる方針で第13-19話分を丸ごと削除するなどして、約2時間短縮した[95]。
さらに、イスカンダル到着シーンの脚本が書き直され、最終回のデスラー再襲シーンも削除され、2時間8分まで短縮。イスカンダルのシーンは、スターシアがすでに亡くなっており、立体ホログラムで登場するという設定で、石黒昇が新たな絵コンテを起こし[96][95]、芦田豊雄が作画を行った[95][97]。よって、古代守の生存・再登場もない。このシーンが入っているバージョンは、俗に『スターシア死亡編』と呼ばれる。なお、予算不足により、追加シーンは16mmフィルムでしか撮影できなかったため、テレビ版からの再利用シーン(35mmフィルム使用)に比べると目が粗い[95]。
1975年9月より札幌地域、翌1月より読売テレビ系で再放送が始まり、他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになり、特に関東地域では20%の視聴率を記録した[95]。
1976年頃までに、オフィスアカデミーは日本映画の国外販売に従事するようになっており、『宇宙戦艦ヤマト』もそのラインナップに加えられた[95]。その際、上映時間が短い方が売りやすいということで、さらにオリオン星関連のシーン(第12話)を削除して1時間38分まで短縮された[95]。
1977年5月、英語吹替版『Space Cruiser Yamato』(『スターシア死亡編』)が第30回カンヌ国際映画祭に出品された[98][95]。英語版のチラシも配られ、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダ、イギリス、フランスなど、11か国の配給会社と契約が成立[99][95]。アメリカでは映画館での上映のみでなく、一部ではテレビ放送も行われた[100][95]。
日本国外での評価[]1978年3月発行の『Starburst』誌(イギリスのSF・ファンタジー雑誌)第2号に『Space Cruiser Yamato』の映画評が掲載されたが、その筆者は『宇宙戦艦ヤマト』が『スターウォーズ』の後発だと勘違いし、両作品の共通点を挙げ連ねて酷評した[95]。
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『月刊OUT』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである[101]。同号には、ヤマト・アソシエイション(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページ[102]のヤマト大特集が掲載された[103]。
『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行うつもりだったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系の東京都内の劇場4館での公開が決定したのである。同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。
『月刊OUT』誌上で東京の4館のみでの上映の情報が伝わると、全国での上映を希望する声が高まり、オフィスアカデミーでもファンクラブを通じて、ラジオ局への曲リクエストとポスターを貼る作戦を行い、マスコミの話題となる。これらの反響により、地方都市の配給は東映が担当して東映洋画系にも拡大されて札幌市(8月13日[101])を皮切りに地方のブッキングが進み、全国ロードショーが決定する[92][104][99] 。
1977年7月、日本コロムビアよりテレビ版のサウンドトラックLP(CS-7033)が発売され、ヒット。この場合の「サウンドトラック」は、「テレビのオリジナル音声から編集した名場面集」という意味で[105]、OP主題歌の冒頭にも「無限に広がる大宇宙...」という、テレビでおなじみのナレーションと効果音が入っていた。また、帯には「君は覚えているか! あの熱き血潮を!!」と書かれていた。
その他にも、再放送の人気やファンクラブの活動が新聞などで次々と報道される。
『月刊OUT』が9月号(7月下旬発売)で2度目のヤマト大特集を組む[103][106]。
1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、セル画プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、アメリカ映画の『エクソシスト』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている[107][108][104]。
「ファンが劇場前に行列」というテレビ報道を見た西崎らは、同夜のうちに劇場前にかけつけた。同伴した石黒昇によれば、西崎は並んでいるファン全員と握手しかねない勢いだったという[101]。ちなみに、この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上である[101]。
1977年8月6日、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が東京の4館で公開。この時に上映されたのは『スターシア死亡編』(1時間38分)である。しかし、その後、全国ロードショーされたのは、ホログラム版スターシアの部分をテレビ放送版のシーンに差し戻し、上映時間を135分に延長したものである[101]。
地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて[92]、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録したヒット作品となった[109]。
当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした[110][111]。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である[104][101]。
テレビ放送とビデオソフト化[]劇場公開の翌年、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開前日の1978年8月4日にテレビ放送されたのは、スターシアが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形の146分拡張版(『スターシア生存編』)である。『生存編』として再編集されたことにより、薮の反乱がなかったストーリーであるにもかかわらず(地球帰還時、第一艦橋に薮の姿が見える)、古代守・スターシアとの別れの場面で雪が負傷しているというシーンが存在する。
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の放送局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、フジテレビであり、日本テレビと競り合って5,000万円で放送権を獲得した。視聴率は31.9%。[57][112]。以後、『スターシア死亡編』はヤマトシリーズの正史ではなくなり、再公開の際にも上映されず[113]、翌1979年にフジテレビが放送した『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』は『スターシア生存編』に則ったテレビ版第1作および『2』の続編となっている。
1979年7月14日開始の「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」において、西崎義展プロデュース作品の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『海のトリトン』とともに3本立てでロードショー公開(東映洋画部配給)された時も『生存編』が上映された。その時の配給収入は5億1千万円だった[114]。
なお、DVD盤に『死亡編』として収録されているものは不完全なものであり、公開時の『死亡編』は完全な形ではソフト化されていない。
1977年11月、日本コロムビアが『Space Cruiser Yamato』の箱入りLPレコードを発売。LPの収録内容は英語吹替版の音声トラックを編集して54分にまとめたもので、付属ブックレットには日英両語の脚本が掲載され、スタジオぬえによる描き下ろしポスターも同梱されていた[95]。
なお、日本コロムビアは1978年12月、ささきいさお歌唱による英語版主題歌シングル「SPACE CRUISER YAMATO / THE RED SCARF」(#主題歌)を発売したが、これは劇場版『Space Cruiser Yamato』とは直接関係はない[95]。
1 西暦2199年 | テレビ:『宇宙戦艦ヤマト』 ガミラス帝国の侵略に立ち向かい、14万8千光年の彼方のイスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーDを求めて、250年の眠りからよみがえったヤマトが宇宙戦艦となって旅立つ。 映画『宇宙戦艦ヤマト』には、映画向けの改編の結果、後の作品へのストーリー上の影響の点でいくつかの不足点が見られるため、テレビ版を基本としておく。 | |
2 西暦2201年 | 映画:『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』 | テレビ:『宇宙戦艦ヤマト2』 |
危機を訴えるかすかな通信を受信したヤマトのクルーは、平和を謳歌する地球を後に電波の発信元・テレザート星を目指し、強大な白色彗星帝国との戦闘に突入していく。 映画『さらば』とその後に作られたテレビ『2』は、同じストーリーを元にしつつも結末が異なり、これ以降の作品は主要クルーのほとんどが生存しヤマトも健在で残った『2』が基本になる。 | ||
3 西暦2201年 | テレビ特番:『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』 故郷であるガミラス星に戻ってきたデスラー総統以下ガミラス残存艦隊は、無人のガミラス星で地下資源を採掘している暗黒星団帝国と遭遇、交戦中にガミラス星が崩壊した余波で、ガミラスと二重惑星を構成していたイスカンダル星が軌道を逸脱して暴走をはじめた。 新兵の訓練航海中だったヤマトは、デスラー総統からの救援要請を受け再びイスカンダルへ向かい、ガミラス艦隊とともに暗黒星団帝国との戦闘に突入する。 | |
4 西暦2202年 | 映画:『ヤマトよ永遠に』 外宇宙から巨大な光球飛行物体が飛来し地球に着陸するとともに、暗黒星団帝国の大艦隊が侵攻、地球の都市は次々に制圧されてしまう。英雄の丘に集結したヤマト乗組員たちは地球を脱出し、真田志郎の待つ小惑星イカロスでパワーアップされたヤマトと再会する。光球飛行物体が地球上の全生物の脳細胞を破壊する重核子爆弾であることを知ったヤマト乗組員たちは、その起爆を阻止すべく、暗黒星団帝国の母星デザリアム星へ旅立つ。 | |
5* | テレビ:『宇宙戦艦ヤマトIII』 銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦の星間戦争の余波で惑星破壊プロトンミサイルが太陽に突入、太陽の核融合の異常増進により危機に陥った地球から、新たな移住惑星探査と対策調査のためにヤマトが旅立つ。 | |
6 西暦2203年 | 映画:『宇宙戦艦ヤマト 完結編』 異次元断層から現れた別の銀河が地球を含む銀河と衝突し、多くの星々が消滅した。水惑星アクエリアスにより母星を失ったディンギル帝国は、そのアクエリアスを操ることにより地球の都市を水没させてその後に移住をしようと企む。ヤマト・地球艦隊はアクエリアスの接近を阻止するため、ディンギル帝国軍と戦う。 | |
7 西暦2220年 | 映画:『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』 | |
(通常版) | (ディレクターズカット版) | |
カスケードブラックホール接近によって太陽系消滅の危機の中、人類は惑星アマールの衛星への移民を計画。しかし人類殲滅を目論む異星人連合艦隊に対し、ヤマトは第3次移民船団の護衛任務に就く。 「通常版」と「ディレクターズカット版」では、最後に地球が助かるか消滅するかという違いがある。 |
『ヤマトIII』は放送当時は2205年という設定だった(劇中では明示されていない)が、その続編である『完結編』が2203年に設定されたことにより、それ以降の資料では2202年とされている。
題名 | 著者 | 発行元 | 装丁 | 発行日 | 備考 |
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宇宙戦艦ヤマト 地球滅亡編 | 作:石津嵐 原案:豊田有恒 | 朝日ソノラマ | 並装 | 1974年10月20日 | 1975年11月10日にソノラマ文庫に合本して再録 |
宇宙戦艦ヤマト 地球復活編 | 1975年2月3日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト 1 発進編 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装 | 1977年7月20日 | 1978年12月30日にソノラマ文庫に再録 ヤマト大全集1 - 3として再録(出版日不詳) |
宇宙戦艦ヤマト 2 死闘編 | 1977年8月1日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト 3 回天編 | 1977年8月10日 | ||||
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 上 | 文:三浦清史 | 集英社ファンファン文庫 | 1978年8月15日 | 1978年8月25日にモンキー文庫からも出版 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 下 | 1978年8月30日 | ||||
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1978年8月19日 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装 | 1978年9月1日 | 1979年3月15日にソノラマ文庫に再録 |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 2 | 1978年9月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1978年9月20日 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち | 文:牧美智瑠 監修:西崎義展 | 集英社 | 並装版 | 1978年10月5日 | |
宇宙戦艦ヤマト | 文:牧美智瑠 監修:西崎義展 | 集英社 | 並装版 | 1978年11月10日 | |
宇宙戦艦ヤマト 総集編 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 | 集英社モンキー文庫 | B6版 | 1978年11月10日 | これ以後のヤマトシリーズは重版する過程でモンキー文庫からファンファン文庫に移行している(完結篇は初版からファンファン文庫である) |
熱血小説 宇宙戦艦ヤマト | 著者:高垣眸 | オフィス・アカデミー | 並装版 | 1979年7月4日 | |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1979年9月14日 | |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装版 | 1979年9月14日 | ヤマト大全集6, 7に再録 ソノラマ文庫に合本して再録 |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 2 | |||||
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち | 文:三浦清史 監修:西崎義展 | 集英社モンキー文庫 | B6版 | 1979年9月30日 | |
宇宙戦艦ヤマト2 上(ヤマト大全集4) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 1980年8月1日 | 1981年3月26日にソノラマ文庫に合本して再録 | |
宇宙戦艦ヤマト2 下(ヤマト大全集5) | |||||
ヤマトよ永遠に | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1980年8月15日 | |
ヤマトよ永遠に 上 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 | 集英社モンキー文庫 | B6版 | 1980年9月1日 | |
ヤマトよ永遠に 下 | 1980年9月10日 | ||||
ヤマトよ永遠に 上(ヤマト大全集8) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 1980年9月20日 | ||
ヤマトよ永遠に 下(ヤマト大全集9) | 1980年9月25日 | ||||
宇宙戦艦ヤマトIII 1 | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1981年5月15日 | |
宇宙戦艦ヤマトIII 2 | |||||
宇宙戦艦ヤマトIII | 文:三浦清史 監修:西崎義展 | 集英社モンキー文庫 | B6版 | 1981年6月 | |
宇宙戦艦ヤマトIII 1(ヤマト大全集10) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | |||
宇宙戦艦ヤマトIII 2(ヤマト大全集11) | |||||
宇宙戦艦ヤマトIII 3(ヤマト大全集12) | |||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 | 集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1982年12月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年3月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 文:岬兄悟 | 徳間書店アニメージュ文庫 | 文庫版 | 1982年12月31日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年4月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ ソノラマ文庫 | 文庫版 | 1983年2月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年3月 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 上 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 | 集英社ファンファン文庫 | B6版 | 1983年3月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 下 | 1983年4月10日 |
石津嵐の小説版は本作品の企画段階で没とされた豊田等の案を元に構成されており、スターシアがコンピュータであり、デスラーはスターシアにより創造された仮生命体である事。ヤマト乗員の殆どはイスカンダル星に到着迄に戦死又は事故死する事。放射能汚染された地球は回復不能でその環境に適応するよう生態改造を行う旨を告げられる事。仮生命体であるデスラーを倒すため、創造主たるスターシア(イスカンダル)を破壊する等、ストーリー・設定がアニメ版とは大幅に異なっている。豊田有恒によれば「99.9%石津の仕事」とのこと[121]。なお、終盤の設定の一部が劇場版の「スターシア死亡編」に生かされた。
松本の漫画や石津の小説は原作と誤解される場合があるが、どちらも原作ではない。最初に用意されたアニメ作品企画をノベライズ、コミカライズし、他メディアに展開するという戦略の、今で言うメディアミックスの初期の例と言える。
当時の出版事情から、石津版の入稿時期は、少なくとも松本零士の漫画版の入稿より早いと推測される。これらの存在より宇宙戦艦ヤマトの創作著作者は豊田有恒で、映画の著作者は西崎義展・松本零士と考えられるとする意見もある。ただし豊田有恒は、自分はおおまかなストーリーとSF設定を担当しただけであるとして著作権を主張しておらず、著作者人格権をめぐる紛争では松本零士に原作権があるとしていた[122][123]。
その他の小説作品については、ストーリーはアニメ版とほぼ変わらない。
クレジットに名前が読み上げられなかったために、放送中松本は姿を現さなかった。番組の最後に登場し、自分の名前が読まれなかったことに対し不快感をあらわにして「本当はここに来たくなかった」と言って場を白けさせてしまった。これが後の著作権問題のトリガーになったともいえる。後の再放送では松本のクレジットが読まれた。
もう1つは、BGMの放送事故。ドラマでは『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』のLPレコードがBGMに使われたが、第4部のクライマックスシーンで回転数が間違えられてしまった。後日、ドラマが再放送されたが、この部分は差し替えられた。最後は、ニッポン放送が受け付けていた30回線の電話回線に対して、あまりの人気に推定20万本のファンからの電話が殺到して、電話局の回線がパンクしたというものだった[39]。2009年の劇場映画・「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の公開を記念し、初のオフィシャルコミュニティサイト、ヤマトクルーが公開された。宇宙戦艦ヤマトのファンがウェブを通じて交流しあう、WEB2.0時代の場として存在している。
森雪の声優である麻上洋子が、講談師の一龍斎春水として講談・宇宙戦艦ヤマトを創作して高座にかけている。
6作品がオリコンLPチャートで10位以内にランクインし、関連レコードは総売上は300万枚に達した[129]。これを受け発売元の日本コロムビアでは、アニメーション作品や特撮の劇中音楽をステレオ録音し、アルバムとして続々とリリースしていった。
『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年-平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、151頁・331-341頁。ISBN 4871310256。
前後してキャラクターグッズ類も多数製作された。
本放送時に発売されたバンダイのプラモデルは、当初ゼンマイによる走行ギミックを持つなど、70年代当時のキャラクタープラモデルと同じ考えに立ったものだった。ゼンマイ走行するヤマトと、コスモゼロ、ブラックタイガー、アナライザーがそれぞれ500円で発売された[130][131]。しかし第1作テレビアニメの番組打ち切りにより特に注目されることなく、市場からいったんは姿を消した[132][133]。
ヤマトブーム下での1977年の映画公開に合わせて、バンダイが本放送時発売のゼンマイ走行ヤマトを再発売すると、瞬時に完売、1ヵ月未満で追加生産となる。追加生産時にヤマトファンからの意見を取り入れ、ゼンマイ走行部をオミットした部分に第三艦橋を追加造型し、全体にブロンズ塗装を施した、ディスプレイモデルに改修された(「銀河モデル」)[134]。そして1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』公開時以降は、スケールモデル的手法で新規開発されたヤマト以外のメカのキットが多数発売された。さらにはポスター等で多く描かれる斜め前方からのイメージを重視したデフォルメモデルは、3,000円の高価格(当時)にも関わらず、初回出荷10万個が1ヶ月で完売、1年で25万個、のちの1/700スケール表示のヤマトは初年で31万個、1個100円のヤマトメカコレクションは初年度で合計850万個と大ヒット商品で[130][135]、当時経営不振だったバンダイ模型の売上げを回復した、救世主商品となった[136]。
バンダイによるプラモデルは4年間にわたって販売される人気商品となった[137]。このヤマトのスケールモデルは、大ヒット商品『機動戦士ガンダム』のプラモデルのガンプラの先駆けとなって、開発やマーケティングのノウハウが活用された[135]。ガンプラはヤマトのスケールモデル的手法を活かし、さらに統一されていなかったスケールを統一する形でリリースされたものである[138]。
また、1978年の映画「さらば…」公開の際しては、野村トーイから、ヤマト、アンドロメダ(大小2種)、ナスカ(敵空母)が発売されたが、版権問題でバンダイと揉めた結果、市場に出回った数が限られた幻のモデルとなっており、現在もオークションサイト等で高額で取引されることがある。
又、子供向けに販売されていた「ポピニカ」と「超合金」をそれぞれ大人向け(15歳以上)の企画、「ポピニカ魂」と「超合金魂」の中で以下が発売されている。
本作品は著作権やその他知的財産権をめぐってトラブルや訴訟が頻発した。『キャンディ・キャンディ』とともに漫画・アニメにおける著作権問題として著作権解説書として取り上げられることがある[139][140][141][142][143]。
本作品の著作のクレジットは西崎義展の会社のオフィスアカデミーである。第1作の企画原案としては、西崎義展と山本暎一がクレジットされた。後の、西﨑、松本の著作者人格権をめぐる訴訟において一審判決で製作当初西﨑義展が書いた企画書を原作と認めており、原作権は西﨑にあり東北新社もそれに基づいて、以降の新作作品の権利処理が行われている。
松本の漫画版が原作といわれることもあるが、こちらはアニメ制作開始(1973年9月頃)から1年後(1974年10月)にアニメ放送と平行して漫画誌に連載されていたものであり、漫画版を原作とするのは間違いである[2]。なお、著作者人格権をめぐる訴訟で東京地裁は、「視覚化された原作は存在しなかった」としており、漫画原作の存在や松本零士による原作者の主張は否定している。その後の西崎と松本の和解については、両者の権利の所在を確認したものである。[144]。
なお、本シリーズの翻案作品である『SPACE BATTLESHIP ヤマト』第1作目のリメイク作品『宇宙戦艦ヤマト2199』では、本シリーズの著作者である西崎が原作者としてスタッフクレジットされた。
本作品群のアニメ映像の著作権等は、西崎の会社が所有していたが、1996年に東北新社に包括譲渡契約(北米での利用を除く)され、1998年に西崎及びウェストケープコーポレーションの破産管財人が契約の履行を選択、2000年に東北新社と破産管財人との間で譲渡代金の支払につき裁判上の和解が成立し、映像著作権者は東北新社であることが確定した。ただし原作権および新作、続編を含む「将来作品」の製作権および過去作品の翻案権(アニメーション作品および実写作品を含む全ての映像作品)は西崎に留保されている。
本作品の商標の最初の出願は1974年3月15日にされている。出願された艦体の意匠は本放送のものとは異なるが、商標の意匠文字は本放送時のものと極めて類似している。
西崎義展及びウェストケープコーポレーションの破産に前後して、本作品の商標権を西崎義展から彼の長男に移転したため、破産管財人が否認権を行使し商標の移転登録の抹消及び譲渡契約の履行により東北新社に一部の商標権を移転した。
※『新宇宙戦艦ヤマト』及び『新・宇宙戦艦ヤマト』の商標は1999年 - 2001年に西崎隆二郎なる人物が登録している。
本作品の包括譲渡を受けた東北新社がバンダイおよびバンダイビジュアルに制作・販売を許諾したプレイステーション用ゲームソフトにつき、1999年に西崎義展が東北新社・バンダイ・バンダイビジュアルに同ゲームソフトの制作・販売の中止及び1億円の損害賠償を求めたが、2001年7月2日に請求を棄却する判決が下る[145]。控訴審にて「西崎が宇宙戦艦ヤマトの原作著作者である旨を公表しても異議を唱えないこと」および「将来に渡り商業利用をする場合は、西崎が監修権を有すること」を条件に2004年5月28日に司法和解が成立した[146]。西﨑義展が死後の監修権については、西﨑彰司が継承する事も東北新社と合意している。
[148]。次いで西崎が逮捕された1998年には新潮社や産経新聞社のウェブページにおいて、西崎は『ヤマト』とは無関係で、『ヤマト』の全ての権利は自分が持っていると述べるようになった[8]。これに反論する形の西崎の『財界展望』1999年5月号における手記の発言を巡り、1999年に松本は西崎に対して
2004年、東北新社はパチンコメーカー三共・ビスティ及びインターナショナル・カード・システムに対し、パチンコ「CRフィーバー大ヤマト」(スロット機を含む)プレイステーション2用ソフト・アニメーションソフトの「大銀河シリーズ大ヤマト零号」などが東北新社の有する宇宙戦艦ヤマトの著作権を侵害したとして損害賠償を請求した[84]。
2006年12月27日、東京地方裁判所は判示にて宇宙戦艦ヤマトの東北新社への包括移転契約前の映画の著作権は訴外西崎義展ではなく、西崎経営の会社の訴外オフィス・アカデミーまたは訴外ウエスト・ケープとし、西崎義展と東北新社との間の映画の著作権の包括移転契約は無効とされた。
西崎及びウエストケープコーポレーションの破産管財人が履行を選択し、破産管財人により東北新社への譲渡代金を司法和解した移転内容が否定されたため、
可能性が生じた。
その後、東北新社が控訴しその控訴審において東北新社から著作権の包括移転契約の正当性を証明する証拠が提出された。商品化の翻案権も西﨑義展から譲渡されている旨が含まれている。但し、続編および新作(実写作品、過去作品のリメイク化作品)を製作する権利は西﨑義展に留保されている[84]。
2008年12月15日、東北新社は、本件被告らとの間で、本件被告らの一部が東北新社に対し2億5千万円を支払う内容の和解が成立したことを発表したが、詳細な内容は公表されていない[152]。
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