金輪島 - 呉市周辺の遺構まとめ
金輪島広島湾に浮かぶ小さな花崗岩の島人口60人程度の非常に小さな島ですが、陸軍の兵站拠点である宇品港から近いことから似島と同じように陸軍の島でした。金輪島は江戸時代に入植され蠟の栽培や蠟燭の生産などが行われた小さな島でした。明治27年(日清戦争の年)に陸軍が島を買収し輸送や揚陸な
金輪島広島湾に浮かぶ小さな花崗岩の島人口60人程度の非常に小さな島ですが、陸軍の兵站拠点である宇品港から近いことから似島と同じように陸軍の島でした。金輪島は江戸時代に入植され蠟の栽培や蠟燭の生産などが行われた小さな島でした。明治27年(日清戦争の年)に陸軍が島を買収し輸送や揚陸な
糧秣支廠倉庫跡 江波山公園(江波山高射砲陣地跡) 陸軍江波射撃場跡 江波山気象館(旧広島気象台) 中野村聴音照射所跡 比治山陸軍墓地 似島 金輪島 元宇品高射砲陣地跡と宇品灯台(旧宇品島南端信号塔) 戸坂取水場(旧戸坂水源地) 陸軍吉島飛行場跡 瀬野機関区跡 太田川漁業協同組合(
したが、太平洋戦争前には装甲中隊に変わりました。慰霊碑がツギハギだらけのように欠けているのは枕崎台風による損傷と修復の跡と思われます。暁部隊金輪島工場慰霊碑陸軍船舶司令部野戦船舶本廠金輪島工場工員の慰霊碑金輪島は明治27年、陸軍が島ごと買収し輸送船等を建造する陸軍運輸部金輪島工場
空砲や爆雷などで武装しはじめ、それらを扱う兵科として船舶砲兵という兵科も作られました。さらに、陸軍の船舶を建造するのための造船所として宇品と金輪島に野戦船舶本廠も設置されました。ここでは最盛期には約30万人が船員や工員として金輪島周辺で働いていました。戦争末期になると戦局悪化から
独立高射砲第22大隊第8077部隊が配備され『八八式7cm高射砲』と機銃砲台がいくつか配備されました。元宇品は宇品港や陸軍野戦船舶本廠のある金輪島に非常に近いため、重要な場所で戦争末期には陸軍船舶司令部の地下施設も作られました。ただし、高射砲陣地は基本的に山頂など標高が高いところ
大の面積で人口も1100人と多く、島のシンボル的な山である安芸小富士(標高278m)が広島市内からでもよく見えます。また、同じ陸軍の島である金輪島より沖にあり広島市と江田島の中間に位置します。日清戦争の時に戦地から帰還した兵士からコレラが発生し流行したため明治28年に陸軍が検疫所
。昭和20年8月6日の原子爆弾投下の際は宇品線に被害はなく、南段原駅と宇品駅を往復し約3000人の負傷者を臨時救護所である宇品凱旋館や似島・金輪島へ搬送しました。太平洋戦争終戦後も国鉄として運行を続けていましたが、戦後のモータリゼーションの発達によりバスや路面電車が宇品港に行くよ
平和塔から望む広島市街地二葉山は標高は低い山ですが市街地に山がないため展望は開けています。天候の良い日には宮島、江田島、似島、峠島、黄金山、金輪島、呉市の灰ヵ峰まで見ることができます。兵舎跡平和塔から西に降りると兵舎跡の遺構が残っています。兵舎の入口もしくは階段と思われますが詳細
水戸街道 -水戸-」(1980年2月11日) - 笠井十次郎第12部 第16話「瀬戸の夕映え花嫁 -広島-」(1981年12月14日) - 金輪島の源八いただき勘兵衛 旅を行く 第6話「錆びた十手が泣いたとさ」(1973年、NET / 東映) - 銀造荒野の用心棒 第32話「肌色