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劉封_(蜀漢) - 日本通信百科事典

葛亮の讒言で、非業の死を遂げた人物である。干支は未年。 烈祖穆帝(繆帝)の劉備の養子、劉公仲[1]・後主(懐帝)の劉禅・劉永らの養兄、長沙郡羅県[2]の劉氏の外甥、羅侯の寇氏の子で父母の名は未詳[3](後述)。子は劉琳(劉林)、母方の叔父は樊城県の令・劉泌(寇泌、後述)[4][5

芙蓉姫 - 日本通信百科事典

1992年) ↑ いずれも嗣子がないまま1代限りで断絶した。↑ 大将軍・鄧隲(鄧騭)の妻、寇恂の孫娘。後に鄧隲は罷免されて、羅侯として長沙郡羅県(現在の湖南省岳陽市汨羅県 )に左遷され、侍中だった子の鄧鳳と絶食して没した。↑ 幽州上谷郡では「寇」と発音され、徐州小沛付近では「鴻」

劉封 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

物には珍しく、字が不明。荊州、長沙の人。三国志に登場する人物で、劉備の養子である。劉禅、劉永、劉理には義理の兄にあたる。【出自】元々は荊州の羅県侯の子。県侯の氏族は寇とも鄧とも言われるが、いずれも家系をたどれば光武帝の円卓の騎士雲台二十八将にさかのぼる後漢の名家である。加えて母は

トウ芝 - 日本通信百科事典

在の河南省駐馬店市上蔡県)にあった爵位。↑ 4.04.1 後に鄧隲は大将軍を罷免されて、南郡枝江県(現在の湖北省宜昌市枝江県)を経て、長沙郡羅県にある羅侯(現在の湖南省岳陽市汨羅県あたり、長沙市の北方にある)に左遷され、侍中だった子の鄧鳳と絶食して没した。↑ 梁の陶弘景著『真誥』

劉泌 - 日本通信百科事典

った劉備の側室となり、建安初年に劉公仲を産んだ[2]。劉封はその素質を認められて、劉備の養子となったという[2]。『三国志演義』では、長沙郡羅県[5]の人で、上記同様に樊城県の令であり、荊州牧の劉表に仕えて、甥(姉妹の子)である羅侯の寇氏の子の劉封を養っており、劉備と初対面した際

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