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海上自衛隊呉警備隊(旧呉水雷団) - 呉市周辺の遺構まとめ

湾の防備も行うようになり、呉水雷団所属の水雷砲台が広島湾に建設されました。呉水雷団のとなりには呉海兵団があり、堺川を挟んで水雷艇囲場(現在の呉中央桟橋ターミナルと大和ミュージアム)がありました。つまり、堺川を挟んで東(呉海兵団側)に呉水雷団が、西に呉水雷団の水雷艇囲場があるという

呉中央桟橋ターミナル(旧海軍第一上陸場) - 呉市周辺の遺構まとめ

呉中央桟橋ターミナル(海軍第一上陸場跡)現在は「呉の海の玄関口」として多くの観光客が訪れる呉中央桟橋ターミナルですが、太平洋戦争終戦までは第一上陸場と呼ばれる海軍専用の港で一般人の立ち入りは禁止されていました。元々この場所には呉水雷団の水雷艇囲場がありましたが、呉水雷団が廃止され

戦艦大和デザインマンホール - 呉市周辺の遺構まとめ

衛隊呉地域事務所跡から入船山記念館へ続く道)にある ・2つは長迫小学校前にある ・1つは大和ミュージアム前の歩道にある ・1つは呉中央桟橋ターミナル前の横断歩道の前にある ・2017年8月より戦艦大和デザインマンホールのイラストが描かれた「マンホールカード」を無料

大和波止場 - 呉市周辺の遺構まとめ

52年に退役し現在はここ大和波止場に展示されています。 備考 ・呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の裏にある ・呉中央桟橋にもつながっているのでフェリーの待ち時間潰しに来てもいいかも ・九一式徹甲弾は大和ミュージアム内と歴史の見える丘にも展示されて

特攻艦隊留魂碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

野島沖(戦艦大和最後の停泊地)山口県防府市江泊山の沖合い太平洋戦争末期の昭和20年4月5日、沖縄に向かうため呉を出港した戦艦大和以下10隻からなる特攻艦隊が翌6日に停泊した場所がここ野島沖です。艦隊は当初、佐世保へ寄港し沖縄に向かう予定でした。しかし佐世保近海に米軍艦隊がいるとい

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

青山宿舎(旧呉鎮守府軍法会議所)の防空壕跡 旧澤原家住宅(三ツ蔵) 眼鏡橋(海軍第一門跡) 海軍第二門跡 海軍第三門跡 第六潜水艇遭難之碑 呉中央桟橋ターミナル(旧海軍第一上陸場) 二河橋 呉海軍工廠職工殉職者各霊永供養塔 呉市戦災遭難者供養塔と和庄防空壕跡 此彼堂(城家防空壕跡

呉湾 - 呉市周辺の遺構まとめ

水路軍機第232號 呉湾昭和7年に海軍省水路部から発行された海軍の軍事機密が記載された呉湾の地図当時の市販地図では白く塗りつぶされている呉鎮守府・海兵団・水雷団・軍需部・海軍工廠引き込み線・二河川より海側が記載されています。さらに、太平洋戦争中の昭和19年に艦艇の錨泊場所も追記さ

大麗女島 - 呉市周辺の遺構まとめ

大麗女島(旧大麗女島燃料置場)大麗女島(おおうるめじま)は呉湾にある島ここには大正11年に海軍軍需部の地下燃料庫である『大麗女島燃料置場』が建設されました。海軍鎮守府のある呉湾の入口に位置し、比較的大きい島であるという理由からの建設でした。太平洋戦争末期には、空襲を避けて兵器製造

小用港(戦艦榛名終焉の地) - 呉市周辺の遺構まとめ

小用港「江田島の玄関」と呼ばれる江田島中部にある港広島市から海上約7.5km、呉市からは海上約6kmと広島市と呉市の中間に位置する港です。江田島は倉橋島にある音戸大橋と早瀬大橋を経由すれば本州と陸続きになりますが、広島市や呉市街地から見るとかなり遠回りになるため旅客船を利用する人

兵士壮行式場跡の碑 - 呉市周辺の遺構まとめ

兵士壮行式場跡の碑(蓮華寺跡)黒瀬川にかかる蓮華橋と蓮華寺ここは明治・大正・昭和の三代に渡って若者が軍隊に入営する際の壮行式の場でした。また二度の大戦では召集令を受けて出征する兵士の見送り場でした。見送りには国防婦人会や退役軍人・小学生など地域の住民が参加し、日の丸を振りながら万

原村兵士見送場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

原村兵士見送場跡の碑旧原村(現在の東広島市八本松町)の七ツ池公園にあります。太平洋戦争中に召集された原村出身の兵士が出征する際に、村の住民たちが七ツ池にある記念橋まで歩いて見送りをしました。その見送りの地に建てられたのが兵士見送場跡の碑です。見送りには国防婦人会や退役軍人・小学生

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