「北畠親房」を含むwiki一覧 - 1ページ

日本魂百人一首 - いにしえwiki

夢路やいまの ねさめまて いく暁の へたてきぬらん (結城忠顕)011.身のうさは さもあらはあれ 治まれる 世をみるまての 命ともかな (北畠親房)012.此儘に しつみはてなは みなせ川 ありてかひなき 名をや流さむ (右兵衛督)013.日に三たひ 愚なる身を 顧みて つかふ

愛国百人一首(日本文学報国会) - いにしえwiki

かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる (楠木正行)046.鶏の音に なほぞおどろく つかふとて 心のたゆむ ひまはなけれど (北畠親房)047.いのちより 名こそ惜しけれ もののふの 道にかふべき 道しなければ (森迫親正)048.あふぎ来て もろこし人も 住みつく

新撰百人一首(昭和) - いにしえwiki

かね 入りにし山を 立ち出でて 迷ふうき世も ただ君の為 (藤原師賢)050.をやま田の 苗代水の ひきひきに 人の心の にごる世ぞ憂き (北畠親房)051.とりのねに おどらかされて 暁の 寝ざめしづかに 世を思ふかな (後村上天皇)052.わが庵は 松原つづき 海近く 富士の

愛国百人一首(異種) - いにしえwiki

かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる (楠木正行)034.かた絲の 乱れたる世を 手にかけて 苦しきものは 吾が身なりけり (北畠親房)035.みちのくの 安達の真弓 とりそめし その世に継がぬ 名を嘆きつつ (北畠守親)036.君がため わが執り来つる 梓弓 もと

歴代秀吟百首 - いにしえwiki

人や遺ると 山ふかみ 松の戸ざしも なほぞ尋ねむ (後村上天皇)070.片絲の 乱れたる世を 手にかけて 苦しきものは わが身なりけり (北畠親房)071.思ひきや 手もふれざりし 梓弓 おきふし我が身 なれむものとは (宗良親王)072.峰の松 さわぐと見れば 夕あらし 麓の

歴世記事詠史百首 - いにしえwiki

徳桜樹を白して小詩を書す056.名和長年後醍醐帝を舟上山に奉迎す057.菊池武時躯を王事に殉ふ058.万里小路藤房帝を諫めて世を遁る059.北畠親房神皇正統紀を著はす060.足利高氏反を謀る061.楠正行四条畷に戦死す062.足利義満国体を汚辱す063.細川勝元山名宗全と対陣す(

日本史に関連する名数の一覧 - いにしえwiki

(上和田の円石・下和田の方石・和田の立石) 大槻三賢人(大槻玄沢・大槻磐渓・大槻文彦) 前の三房(藤原伊房・大江匡房・藤原為房) 後の三房(北畠親房・万里小路宣房・吉田定房) 三木一草(結城親光・名和長年・楠木正成・千種忠顕) 三振の太刀(石川兵助・伊木半七・桜井左吉)四 四天王

後の三房とはなんですか? - クイズwiki

A. 後の三房とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、後宇多天皇や後醍醐天皇の側近として仕えた、北畠親房・万里小路宣房・吉田定房の3人を指す。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%89%E6%8

新田氏 - 日本通信百科事典

在の静岡県伊豆の国市↑ 現在の長野県木曽郡木曽町↑ 現在の栃木県足利市↑ 現在の神奈川県鎌倉市周辺↑ 『吾妻鏡』↑北畠家(伊勢源氏)の当主の北畠親房著の『神皇正統記』より。↑ 『増鏡』↑糸井義世の子、大島義政の従弟。↑世良田義政の弟、義時の父。↑ 江戸時代の新井白石(君義)の遠祖

北畠家 - 日本通信百科事典

た。伊勢国を統治したために、公家としてさかえて伊勢源氏とも呼ばれた。北畠家 (雅家流) : 中院雅家を家祖とする。南北朝時代には南朝に仕えた北畠親房・顕家父子はこの系統である。戦国時代の具教の代に織田信長に滅ぼされた。一部は高家旗本として存続した。庶家に春日家・木造氏・星合氏・伊

大舘氏 - 日本通信百科事典

左馬介に任じられた。1336年正月に病床にあった義貞の代理として、族父の江田行義(行家)とともに北畠顕家(村上源氏北畠家(伊勢源氏)の当主の北畠親房の子)に従って、弟の幸氏・宗兼・氏兼・時氏らを率いて奮戦し、義貞の族弟である源姓足利氏の惣領家の足利尊氏(高氏)についた佐々木氏頼(

歌人 き - いにしえwiki

)徽子女王(きしじょおう)儀子内親王(ぎしないしんのう)宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)喜撰(きせん)北畠親子(きたばたけ しんし)北畠親房(きたばたけ ちかふさ)北畠具行(きたばたけ ともゆき)吉田宜(きちた の よろし)儀同三司母(ぎどうさんしのはは)→高階貴子木梨軽

春日顕時 - 日本通信百科事典

院家一門の北畠家(伊勢源氏)の庶家の春日家一門の武将。約2名ほど存在する。春日顕国 : 別称は顕時。北畠顕行の子。南朝方の武将として、一族の北畠親房・顕家父子のもとで転戦した。春日顕時 (冷泉顕統の子) : 冷泉持房[1]の孫、顕統(顕雄)[2]の子、雅持の弟。脚注[]↑ 北畠師

続英雄百人一首 - いにしえwiki

うじ) = 足利基氏017.佐渡判官道誉 (さどのはんがんどうよ) = 佐々木道誉018.北畠准后親房 (きたばたけじゅごうちかふさ) = 北畠親房019.高階師冬 (たかしなもろふゆ) = 高師冬020.武田信武 (たけだのぶたけ)021.山名氏清 (やまなうじきよ)022.斯

古今和歌集 - いにしえwiki

家)古今和歌集聞書(藤原為家)群書類従七為家抄古今和歌灌頂部(津守国夏)古今集序註(源親房)続群書類従巻452, 続群書類従巻462古今抄(北畠親房)古今集為明抄古今集註(了誉)毘舎門堂本古今註古今集童蒙抄(一条兼良)群書類従287古今和歌集抄(浄弁)宗祇古今集聞書(飯尾宗祇)宗

春日家_(源氏) - 日本通信百科事典

春日仲基を祖とする。同族に慈光寺家[2]・西五辻家・三木家があった。春日家 (村上源氏) : 久我家流中院家一門の北畠家(伊勢源氏)の庶家。北畠親房の次子の春日顕信、あるいは冷泉持房(親房の弟)の孫、顕統(顕雄)[3]の子の春日顕時[4]を祖とする。脚注[]↑ 現在の京都府京都市

源信親 - 日本通信百科事典

/晴近/晴親)の弟、信藤の兄。春日信親 : 北畠家一門の春日家の当主の春日顕信[2]の子、浪岡守親[3]・親統の兄。脚注[]↑ 昭治の父。↑北畠親房の子、顕家の弟。↑ 親能の父。関連項目[]宇野氏義光流世良田氏武田氏この記事は 『源信親』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じ

北畠親房とはなんですか? - クイズwiki

A. 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿で、歴史家としても知られる人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E8%A6%AA%E6%88%BF

鎌倉殿の13人 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

から「土産」を貰った時は悪い笑みを浮かべていた。にもかかわらず、あまり良い口利きはしてくれなかったらしい。子孫に戦闘力のおかしい南朝の公家・北畠親房、北畠顕家の親子が居る。・一条高能いちじょうたかよし(演・木戸邑弥)藤原北家中御門流、一条家の公家。頼朝の妹・坊門姫の子息。つまり頼

源親房 - 日本通信百科事典

源 親房(みなもと の ちかふさ)とは、源氏(村上源氏・陽成源氏(河内源氏))流の人物。約3名ほど存在する。北畠親房 : 法名は宗玄入道/覚空入道。久我家流中院家一門の北畠家(伊勢源氏)の当主。北畠師重の子、実助(僧侶)・冷泉持房・通房の兄、顕家・春日顕信(春日家の祖)の父。松平

関岡氏 - 日本通信百科事典

ち/あきむね/あきやす。↑ 北畠家の宗家である中院定平(義定/良定(ながさだ))の子、定清・雅平の弟、木造顕俊・顕泰・大河内顕相の父。族父の北畠親房の婿養子となった。↑ 氏親の父。↑ 氏信(満信(氏冬)・満冬の父)・義信・忠則(貞忠の父)の父。↑ 族父の金谷経氏(重氏の子)の後を

群書類従(官職部) - いにしえwiki

る。 巻 資料 読み 時代 人物 070 官職秘抄 かんしょくひしょう 平基親 071 職原鈔 しょくげんしょう 北畠親房 072 百寮訓要抄 ひゃくりょうくんようしょう 二条良基 072 詠百寮和歌 えいひゃくりょうわか 高大夫実無

  • 1