群書類従(和歌部) - いにしえwiki
8 土御門院御集 つちみかどいんぎょしゅう 土御門天皇 229 砂玉和歌集 さぎょくわかしゅう 後崇光院 230 元良親王御集 もとよししんのうぎょしゅう 元良親王 230 瓊玉和歌集 けいぎょくわかしゅう 宗尊親王 231 李花
8 土御門院御集 つちみかどいんぎょしゅう 土御門天皇 229 砂玉和歌集 さぎょくわかしゅう 後崇光院 230 元良親王御集 もとよししんのうぎょしゅう 元良親王 230 瓊玉和歌集 けいぎょくわかしゅう 宗尊親王 231 李花
A. 元良親王は平安時代前期から中期にかけての皇族・歌人です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B
あしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや(伊勢)020.わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ(元良親王)021.いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな(素性法師)022.ふくからに あきのくさきの
かき冬の 暮の間も 打たでその日を 過ごしてよとや (伊勢)020.まちぬれば 今方見えし かたきなる 夜をとほしても 打たんとぞおもふ (元良親王)021.いざこいと 打ちしばかりに 留めおきの ありたけの酒を 飲まれけるかな (素性法師)022.ふくからに 彼の打つ手の 裏か
た みじかき蘆を 伊勢ならば たゞ濱荻と 詠みそうなもの (伊勢)020.詫ぬれば 鯉のかはりに よき鮒の みを造りても 飲まんとぞ思ふ (元良親王)021.今來んと いひし計りに 出でこぬは 素性法師の 弟子か師匠か (素性法師)022.喰ふからに 汗のお袖の 萎るれば むべ豆
『どうけ百人一首』・『神社仏閣 江戸名所百人一首』と並ぶ、近藤清春の「百人一首」シリーズのひとつ。今様職人尽百人一首の全首一覧001.のきのけた かりほぞあなの のみをゑらみ はかてしどもの せいをだしつつ*1 (てんちてんわう)002.かるすぎて のふじよのげいを うらやむも
つを見捨て ゆく雁は はなゝき里に すみやならへる*7 (伊勢)020.朝まだき 起てぞ見つる 梅の花 よのまの風の うしろめたさに*8 (元良親王)021.見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける*9 (素性法師)022.吹からに 秋の草木の しをるれば うべ山風を
毛利元就(もうり もとなり)本居大平(もとおり おおひら)本居宣長(もとおり のりなが)本居春庭(もとおり はるにわ)元良親王(もとよししんのう)物部秋持(もののべ の あきもち)物部乎刀良(もののべ の おとら)物部古麻呂(もののべ の こまろ)物部刀自売(もののべ の とじめ
親王[2]・源長頼・貞純親王[3]・貞辰親王・貞数親王・貞頼親王・貞真親王・貞平親王・源長監・源長猷(ながみち)・源長淵の兄、源清蔭[4]・元良親王(元長親王)・元平親王[5]・元利親王・源清鑒(きよあき)・源清遠の父。概要[]生後3ヶ月足らずで立太子され、9歳で父から譲位(践祚
12日(天徳2年5月23日))は、平安時代中期の皇族。陽成天皇の第3皇子。生母は主殿頭・藤原遠長(連永)[2]の娘。異母兄に源清蔭、同母兄に元良親王(もとなが、元長親王)、異母弟に元利親王・源清鑒(きよあき)・源清遠ら。陽成源氏の祖となる。暴君として有名だった父の陽成天皇譲りの破
元良親王集 群書類従20出観集(入道二品親王覚性)群書類従264珍誉集(法印珍誉)続群書類従444北院御室御集(守覚法親王)群書類従265守覚法親王百首高台院和歌集(道助法親王)雅成親王集澄覚法親王集尊円法親王百首瓊玉和歌集(宗尊親王)群書類従230柳葉和歌集(宗尊親王)東関三百
死語第五一 大江匡衡の妻赤染、和歌を讀む語第五二 大江匡衡、和琴を和歌に讀む語第五三 祭主大中臣輔親、郭公を和歌に讀む語第五四 陽成院の御子元良親王、和歌を讀む語第五五 大隅の國の郡司、和歌を讀む第五六 播磨の國の郡司の家の女和歌を讀む語第五七 藤原惟規、和歌を讀みて免さるる語タ