「アレイからすこじま」を含むwiki一覧 - 1ページ

呉海軍工廠電気実験部跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

呉海軍工廠電気実験部跡アレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋)の通りから山手に入り呉海軍工廠員養成所跡を超えたところに旧呉海軍工廠の電気実験部がありました。『実験部』とは電気部以外の部にも置かれている部署で素材や製造の開発を行う開発部門です。呉海軍工廠の電気実験部では主に探照灯や通

串山公園(旧串山防空機銃砲台) - 呉市周辺の遺構まとめ

の西側から工廠神社へ登る道の途中にある ・串山公園は東側の国道487号線から行った方が早いが工廠神社側からも行ける ・旧呉海軍工廠やアレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋)も一緒に見たいのであれば西側から行く方がわかりやすい ・防空壕跡は串山の南にあるアレイからすこじま

旧呉海軍工廠 - 呉市周辺の遺構まとめ

・高座・津にありました。それぞれの海軍工廠に得意分野があり独自部門が作られた工廠もあります。海上自衛隊潜水艦教育訓練隊(旧呉海軍工廠本庁舎)アレイからすこじま公園の後ろにある海上自衛隊の施設です。太平洋戦争終戦までここが呉海軍工廠の本部でした。当時働いていた人の話では「戦争末期は

工廠神社 - 呉市周辺の遺構まとめ

るため注意 ・東側から行く場合は階段はないが遠回りになる ・ただし階段から行けばトーチカや空気孔の遺構が見れる ・旧呉海軍工廠やアレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋)も一緒に見たいのであれば西側から来た方がわかりやすい ・夏はただの草藪と化すため見学するなら秋冬が

澎湃館(旧呉海軍工廠第一弾薬庫) - 呉市周辺の遺構まとめ

り梁は国産の松で作られています。鋳鉄とは溶かした合金を鋳型に流し込んで作る製法で鋼に比べて強度は劣りますが量産しやすい利点があります。また、アレイからすこじま公園にある旧潜水艦桟橋の橋脚も鋳鉄で造られています。鋳鉄柱が現存しているのは全国でもめずらく貴重な建物と言えます。夜景

海上自衛隊呉造修補給所貯油所(旧海軍軍需部乙廻燃料置場) - 呉市周辺の遺構まとめ

りました。昭和36年から海上自衛隊の貯油所となり、現在は大小70基以上のタンクが並ぶ自衛隊最大の貯油施設となりました。ここに貯蔵された燃料はアレイからすこじま等に係留されている海上自衛隊艦艇に海路で送られます。艦艇の係留地点であるアレイからすこじまからかなり離れた場所に燃料を貯蔵

港湾監視所跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

港湾監視所跡アレイからすこじま公園駐車場から宮原13丁目交差点の間にあります。いつごろ、どのような目的で作られたのか不明ですが、呉海軍工廠の後ろにあることから防空監視用か守衛用に作られたものと思われます。余談ですが、ここに配属された兵士たちからは「天蓋付きたこつぼ(屋根付き防空壕

アレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋) - 呉市周辺の遺構まとめ

アレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋)元々は明治28年に呉海軍工廠の前身である呉鎮守府造船部が神戸からここに移転された際、花崗岩で作られた切石積護岸が築かれたのが始まりです。そのころ烏小島(からすこじま)という小さな島が南西の沖にあり、その烏小島が現在の公園の名前の由来となりまし

分析山応急機銃砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

場所にあるのでここから湾岸地帯への眺めはすごく良いです。 備考 ・近くに呉海軍工廠電気実験部跡の遺構がある ・近くにアレイからすこじま公園駐車場(呉海軍工廠員養成所跡)や串山公園(旧串山防空機銃砲台)や港湾監視所跡がある 住所

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

造ドックの壁石 二河川橋梁 戦艦大和の主錨 戦艦大和デザインマンホール 五月荘 呉の名店昭和町・宮原町以東昭和町・宮原町以東 旧呉海軍工廠 アレイからすこじま公園(旧潜水艦桟橋) 串山公園(旧串山防空機銃砲台) 工廠神社 アレイからすこじま公園駐車場(呉海軍工廠員養成所跡) 港湾

アレイからすこじま公園駐車場(呉海軍工廠員養成所跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

アレイからすこじま公園駐車場(呉海軍工廠技手養成所・職工教習所・工員養成所跡)串山のとなりにあります。呉海軍工廠職工教習所は、呉海軍工廠で働く技術者を育成するための教育機関で大正7年に創設されました。元々ここではなく呉海軍工廠製鋼部や砲熕部の近くにあり、2年制の課程教育が行われま

大麗女島 - 呉市周辺の遺構まとめ

め上陸することはできない ・小麗女島も上陸する手段はないと思われる ・島が見たいだけなら呉湾が見えるところなら大体の場所から見える(アレイからすこじま公園からも見える) ・一番近くで見えるのは呉港と江田島小用港の間を運行する旅客船の中からがよく見える ・蛟龍の生産

大入魚雷遠距離発射場跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

大入魚雷遠距離発射場跡大入(だいにゅう)魚雷遠距離発射場は戦前阿賀南の海岸沿いにあった海軍の魚雷開発施設魚雷遠距離発射場は元は呉海軍工廠魚雷実験部の1つで呉湾から大正時代に移転してきました。この施設では海軍が開発した魚雷の試験を行っており、元々呉湾を出入りする船舶が増えたため危険

海上保安大学校(旧呉海軍工廠火工部) - 呉市周辺の遺構まとめ

海上保安大学校(旧呉海軍工廠火工部)現在は海上保安官を育成する学校ですが終戦までは呉海軍工廠の一部でした。明治22年の呉鎮守府開庁と同時に呉鎮守府吉浦火薬庫がここに置かれたのが始まりです。その後、明治36年に対岸に呉海軍工廠が建設されると呉海軍工廠造兵部第六工場の火薬庫となりまし

呉湾 - 呉市周辺の遺構まとめ

水路軍機第232號 呉湾昭和7年に海軍省水路部から発行された海軍の軍事機密が記載された呉湾の地図当時の市販地図では白く塗りつぶされている呉鎮守府・海兵団・水雷団・軍需部・海軍工廠引き込み線・二河川より海側が記載されています。さらに、太平洋戦争中の昭和19年に艦艇の錨泊場所も追記さ

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