「下野」を含むwiki一覧 - 4ページ

進撃祭 - 進撃の巨人 非公式wiki

東京国際フォーラム ホールA東京都千代田区丸の内3-5-1料金:全席指定席7,000円(税込)出演:梶裕貴、石川由依、井上麻里奈、小林ゆう、下野紘、橋詰知久、神谷浩史、Linked Horizonほかイベント内容参加ゲスト梶裕貴石川由依井上麻里奈小林ゆう下野紘橋詰知久神谷浩史Li

足利義繁 - 日本通信百科事典

足利 義繁(あしかが よししげ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。桃井義繁 : 別称は義茂。足利氏(下野源氏)流桃井氏(上野源氏)一門の桃井氏直(うじただ)[1]の子、繁俊の弟。北朝方に備えた同族の新田氏惣領家の新田義貞の執事の船田義昌

足利義長 - 日本通信百科事典

足利 義長(あしかが よしなが)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約5名ほど存在する。梁田義長(簗田義良) : 梁田氏(簗田氏)の祖。足利義康(足利氏(下野源氏)の祖)の次庶子、矢田義清の同母弟、足利義兼・義房(季邦)の異母兄、義正・義綱の父。渋川義長 :

足利義清 - 日本通信百科事典

足利 義清(あしかが よしきよ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。矢田義清 : 足利義清/矢田判官代とも呼ばれる。足利義康(足利氏(下野源氏)の祖)の庶長子、梁田義長(簗田義良)の同母兄、足利義兼・義房(季邦)の異母兄、山名義範・広沢義

テイルズ_オブ_シンフォニア_ラタトスクの騎士 - ゲーム情報ウィキ

==== エミル・キャスタニエ (Emil Castagnier) ====16歳・身長169cm・体重60kg 闇属性 一人称・僕声 - 下野紘主人公。金髪、褐色の肌、緑色の瞳の剣士。目上の人には敬意で接する素直な若者だが、気弱な臆病者で、自己判断が苦手。周りに責められるとすぐ

足利義兼 - 日本通信百科事典

足利 義兼(あしかが よしかね)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義兼 (上総介) : 幼名は春王丸、別名は義包、通称は三郎/又太郎、法号は義称。足利氏(下野源氏)の初代棟梁の足利義康(義泰/義保)の3男、矢田義清・梁田義長(簗田義

足利義信 - 日本通信百科事典

足利 義信(あしかが よしのぶ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。吉良義信 : 通称は三郎。足利氏(下野源氏)の一門である吉良氏の当主の吉良義真の子、義元の父、義堯・一色氏明の祖父。一色義信 : 源姓一色氏(三河源氏)一門の丹後一色氏の

足利義助 - 日本通信百科事典

足利 義助(あしかが よしすけ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。桃井義助 : 足利氏(下野源氏)の棟梁である足利義兼の次子、畠山義純の異母弟、足利義氏の異母兄、義胤の父。桃井氏(上野源氏)の家祖である。平島義助 : 堺公方・阿波国の平

足利義忠 - 日本通信百科事典

足利 義忠(あしかが よしただ)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。足利家時 : 初名は義忠/義忍禅師、通称は又太郎。足利氏(下野源氏)の当主の足利頼氏の子、貞氏・岩松政経(道定入道)室の父、高義・高氏(尊氏)・高国(直義)兄弟の祖父。実

鈴村健一 - ゲーム情報ウィキ

日 - 2005年9月25日)獣神RAVE〜獣神演武RADIO〜(メディファクラジオ:2007年8月31日 - 2008年4月18日)鈴村&下野のキスよりすごいうた☆プリ放送室(アニメイトTV:2010年7月8日 - 10月14日 )鈴村健一のSay!You Young(超!A&

藤原経衡 - 日本通信百科事典

奥州藤原氏の祖)[3]の曾孫、樋爪清綱[4]の孫、季衡[5]の子。『奥州の戦い』で、父とともに源頼朝に降伏し、相模国に流罪された。その後裔は下野国の物部姓十市氏流中原氏一門の宇都宮氏の家老として仕えて、下野国河内郡浜野郡[6]を拠点として、浜野氏(下野浜野氏)と改称して、代々が弾

伊澤寿人 - Bout Wiki

人通称アブダビコマンダーアブダビストライカージャパニーズコンバットファイター性別男性国籍日本誕生日1981年4月15日(42歳)出身地栃木県下野市身長174cm体重73kgリーチ階級スタイル極真空手所属YMC栃木→総合格闘技・栃木 和神会伊澤 寿人(いざわ ひさと、1981年4月

温泉 - Gravity Wiki

神(宮城県鳴子温泉)日本三代実録貞観2年(860年)2月8日:進肥前国温泉神並従五位上 (長崎県雲仙温泉)貞観5年(863年)10月7日:授下野国従五位上勳五等温泉神従四位下 (栃木県那須湯本温泉)貞観9年(867年)2月26日:大宰府言 従五位上火男神従五位下火売神二社在豊後国

清水清隆 - Bout Wiki

清水 清隆本名清水 清隆性別男性国籍日本誕生日1984年3月14日(39歳)出身地栃木県石橋町(現・下野市)身長158cm体重58kgリーチ階級スーパーフライ級(パンクラス)スタイルサンボ所属UPSTREAM→SKアブソリュート清水 清隆(しみず きよたか、1984年3月14日

真蹟遺文で使われている漢字の名詞ランキング_3文字以上編 - あなごクンのうぃき

高雄寺1桓武乃至嵯峨等1根深枝繁源深流1根本法輪法華経1根本伝教大師釈1柔和質直者等申1東面執筆是聖房1東海道十五箇国1東條左衛門景信1東国下野小野寺1東北十万八千里1本門流通之座席1本門十四品一経1本門久遠為元始1本来具足三身徳1本末究竟等云云1本地所栖四土者1末法太有近之言1

メタルマックス4_月光のディーヴァ - ニンテンドー3DS Wiki

して、ヒナタは育ての親であるギブを救うべく、サーシャとともに、旅に出た。登場人物[]プレイヤーキャラクター[]ヒナタ(名前変更可能)声 - 下野紘主人公。ギブスンやサーシャとともに暮らしていたが、二人とは血縁関係になく、実母はモリセ博士である。ノアによる大破壊を生き残り、在りし日

飛山城 - 御城プロジェクト:RE Wiki

89%E3%83%83%E3%83%88_%E5%9B%B3%E9%91%91.gifボイス[]声:世戸さおり自己紹介あたいの名前は飛山城。下野国、今の栃木に建っていた御城だよ。結構広かったんだぜ、それが自慢かなぁ~。後、平安時代には烽火台として利用されてたんだぜ。あたいはその頃

雨月物語 - 映画ペディア

埋めて蛇塚とした。その後富子は病気で死に、豊雄はつつがなく暮らしたという。青頭巾[]「青頭巾」に出てくる主人公の改庵禅師は改庵妙慶といって、下野国大中寺を創建したことで知られる実在する僧侶である。この改庵禅師が美濃国で夏安居をした後、東北のほうへ旅に出る。下野国富田へさしかかった

ストーリーテキスト/第32話_殺生の風韻_~下野~ - 御城プロジェクト:RE Wiki

第32話 殺生の風韻 ~下野~[]下野国の兜を討伐しに来た殿たちを迎えるは重苦しい毒気に満ちた溶岩地帯。徐々に奪われていく体力に注意しながら兜たちを退けよ。前半――下野国・某所。千狐殿、此の地に兜の気を感じますわ!どうか油断なきよう、お願いします。村中城それにしても、何だよこの場

ストーリーテキスト/天下統一3章 - 御城プロジェクト:RE Wiki

目次1 3章 魔王編2 第31話 新たなる智 ~常陸~3 第32話 殺生の風韻 ~下野~4 第33話 白の荒波 ~上総~5 第34話 坂東太郎 ~下総~6 第35話 誘いの魔笛 ~安房~7 第36話 砂上滑走 ~伊豆~8 第37話 結界解除 ~武蔵~9 第38話 獅子の目覚 ~相

北原・行衛の小字 - 埼玉県の小字

大尻になった。北谷ツ(きたやつ):北西の飛び地。現存。北谷ツ排水路がある。寺山下(てらやました):飛地組替により高畑村に編入したと思われる。下野田下(下ノ田下)(しものだした):北東の飛び地。1910年に大字大門字内町、大字下野田字新道下に編入した。飛地(元石神分):飛地組替によ

宇都宮城 - 御城プロジェクト:RE Wiki

pngファイル:宇都宮城[改壱] 御嬢.png[改壱]の画像を表示する/隠すボイス[]声:たなか久美自己紹介わしの名は宇都宮城。平安時代から下野国に建っておる。わしには城主が47人居ったらしいが……流石に一人ひとりなんぞ覚えておらんわ。な、なにぃ~!?誰がボケ老人じゃ!!入手他に

藤原行政 - 日本通信百科事典

吾妻鏡』文治5年8月8日の戦いの条項より。↑ 資綱も嗣子の資光に先立たれて、義弟の鎌倉義宗(源義経の子)を養子に迎えて、中村朝定と改称して、下野中村氏(下野源氏)の祖となった。↑ 上記の藤原玄明の族兄にあたる。↑ 基行・行義・行久・行方・維行の父。↑ 藤原秀郷の7世の孫、知常(千

糸井氏 - 日本通信百科事典

糸井氏(いといし)とは、日本の氏族。約4つの系統が存在する。陸奥国[1]・下野国[2]などにも異流がある。糸井氏 (上野国) : 上野糸井氏とも呼ばれる。新田氏(上野源氏)流源姓里見氏一門の上野大島氏の庶家。同族に大井田氏(越後源氏)・上野篠原氏があった。上野国勢多郡糸井郷[3]

源義平 - 日本通信百科事典

平の子、茂平・季平・景光・時景の弟、鷲尾義久・恒平の父、大和宗平[3]・光平の父。備後杉原氏の祖となった。塩松義衡 : 別名は義平。足利氏(下野源氏)流斯波氏(奥州源氏)一門の下野石橋氏の庶家の塩松氏の当主の塩松政義の子、家博・義仲の父。脚注[]↑吉見氏(武蔵源氏/伊勢源氏/能登

源義興 - 日本通信百科事典

は、陽成源氏(河内源氏)流の人物。約数名ほど存在する。新田義興 : 新田氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。大崎義興 : 足利氏(下野源氏)一門の斯波氏(奥州源氏)の庶家である出羽大崎氏の当主の大崎義隆の子、義宗・義易・義清の弟、義成の兄。長倉義興 : 源姓佐竹氏(常陸

源義統 - 日本通信百科事典

代目の当主。武田信豊の子、信方・信景・信由(のぶもと/のぶとお、元康)・義貞の兄、元明(元次)の父、義勝[1]の祖父。足利義統 : 足利氏(下野源氏)の一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 遠縁筋の足利氏(下野源氏)流斯波氏(奥州源氏)一門の尾張武衛氏(尾張源氏)一門の津川

源義行 - 日本通信百科事典

信方・頼行・行貞の父、隆信(頼行の子)の祖父。源義経 : 別名は義顕/義行。源頼朝の異母末弟、有朝(全成)の同母末弟。足利義行 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。南部義行 : 南部氏(甲斐源氏/奥州源氏)の初代当主の南部義元の子、宗行・祐行の兄、義重・茂時・信

源義氏 - 日本通信百科事典

清の弟、道光(僧侶)・光賢(僧侶)・遠信(僧侶)の兄。新田義氏 : 新田氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義氏 : 足利氏(下野源氏)一門の人物。約4名ほど存在する。関連項目[]源氏河内源氏常陸源氏甲斐源氏武田氏上野源氏新田氏世良田氏下野源氏足利氏この記事は 『源

源義直 - 日本通信百科事典

右(よりすけ)の弟、頼視(よりのり)・頼重・長行の兄。新田義直 : 新田氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義直 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。脚注[]↑義久(頼定)の弟。関連項目[]源氏河内源氏常陸源氏佐竹氏吉見氏下野源氏足利氏上野源氏新田

源義明 - 日本通信百科事典

孫、義高の子、横瀬泰繁[6]室の父。新田氏惣領家の当主で、一族の上野細谷氏と義光流世良田氏と大井田氏(越後源氏)に支えられて、父系は足利氏(下野源氏)、母系は新田氏の系統である同族の新田岩松家と新田惣領家の座をめぐって抗争したが、嗣子がなく義貞の直系はついに断絶した。脚注[]↑

源義長 - 日本通信百科事典

弟、義俊・保義の兄。一条義長 : 武田氏(甲斐源氏)一門の甲斐一条氏の祖の一条信長の子、頼長[3]・信経(信常)の兄。足利義長 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。佐竹義長 : 源姓佐竹氏(常陸源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。細谷資遠 : 別称は義長(義永

源義康 - 日本通信百科事典

義康(みなもと の よしやす)とは、陽成源氏(河内源氏)および、宇多源氏(近江源氏)流の人物で、約数名ほど存在する。足利義康 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約4名ほど存在する。六角義郷 : 別称は義康。近江源氏佐々木氏(近江源氏)の嫡流の六角氏の当主の六角義実(義久/隆頼/

源義広 - 日本通信百科事典

姓佐竹氏(常陸源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。河内義広 : 義忠流武蔵河内氏一門の河内盛広の子、家広[8]の弟。足利義広 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約5名ほど存在する。新田義広 : 新田氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ いずれも同族の新田義重

源義忠 - 日本通信百科事典

の武将。約2名ほど存在する。堀口義忠 : 新田氏(上野源氏)一門である堀口氏の当主の堀口貞満の孫、貞親の子、義興の父。足利義忠 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。佐竹義忠 : 佐竹氏(常陸源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。脚注[]↑桓武平氏繁盛流大掾氏の一

源義憲 - 日本通信百科事典

、頼賢・頼仲・為宗・為成・為朝・為仲・行家(新宮十郎義盛)の兄、義延・義国・頼重の父。上杉義憲 : 後に吉憲(とみのり)と改名する。足利氏(下野源氏)一門の三河吉良氏(三河源氏)の当主の吉良義央(上野介)の孫、上杉綱憲[2]の子、吉良義周・憲孝・勝周・勝延の兄、宗憲・宗房・畠山義

源義重 - 日本通信百科事典

の当主の佐竹長義・額田義直(義尚)・真崎義澄・岡田義高(義隆)[10]・蓮勝房永慶[8]・岡部義綱・重氏(繁氏)の父。足利義重 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]↑ 『高遠記集成』(『木曽福島町史』)・『木曽考』・『木曽殿伝記』・『西筑摩郡誌』など。↑

源義顕 - 日本通信百科事典

: 新田氏(上野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。佐竹義顕 : 佐竹氏(常陸源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。足利義顕 : 足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。脚注[]関連項目[]源氏鎌倉氏 : 源頼義を祖とする河内源氏の嫡流。新田氏(上野源氏)源姓佐竹氏(

竹林氏 - 日本通信百科事典

義宗・為俊(掃部頭)父子の代に『観応の擾乱』で、足利直義(高国)に従って、敗れたために所領を没収されて、義宗・為俊父子は没落した。竹林氏 (下野国) : 下野竹林氏とも呼ばれる。物部姓十市氏流中原氏一門の宇都宮氏の系統の下野横田氏の庶家。竹林元業[3]を祖とする。本貫は下野国河内

福原氏 - 日本通信百科事典

ばれる。藤原南家の工藤氏の系統である伊東氏流の庶家。陸奥国安積郡福原郷(現在の福島県郡山市富久山町福原地区)を本拠地とした[2]。福原氏 (下野国) : 下野福原氏とも呼ばれる。下野国塩谷郡福原郷(現在の栃木県塩谷郡高根沢町福原大字)を本拠地とした那須国造の系統である那須氏の庶家

石橋氏_(源氏) - 日本通信百科事典

る。上記とおなじく義光流甲斐源氏一門の奈胡氏(奈古氏)の系統である甲斐米倉氏の庶家。甲斐国八代郡小石和郷石橋村[2]を拠点とした。石橋氏 (下野国) : 「下野石橋氏」とも呼ばれる。上記とおなじく足利氏(下野源氏)流斯波氏(奥州源氏)の一門で、斯波家氏の子の石橋義利を祖とする。下

稲沢氏 - 日本通信百科事典

氏一門について記述しています。その他の氏族については「鰰澤氏」をご覧ください。稲沢氏の家紋(違い矢紋)稲沢氏(いなざわし)は、日本の氏族で、下野国北部を支配した。稲澤氏とも呼ばれる。那須国造の系統である那須氏一門で、当主の那須頼資の子の資家(五郎)が、武蔵河内氏の当主の河内盛経の

畠山氏 - 日本通信百科事典

時に武蔵国周辺に残った庶家は栗生氏・上野篠塚氏[4]などである。畠山氏 (源氏) : 源姓畠山氏とも呼ばれる。陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門。上記で義時に討たれた重忠の未亡人(義時の末妹)が、畠山義純(足利義兼の庶長子)と再婚して、嫡子の泰国を儲けて、畠山氏と称した

矢田義清 - 日本通信百科事典

義清/矢田判官代とも呼ばれる。通称は足利太郎。山名氏[1]・仁木氏・細川氏・戸賀崎氏などの祖となる。官職は判官代・民部丞。足利義康(足利氏(下野源氏)の祖)の庶長子、梁田義長(簗田義良)の同母兄、足利義兼[2]・義房(季邦)の異母兄、山名義範[1]・広沢義実[3]・矢田義房[4]

田中氏_(源氏) - 日本通信百科事典

田中氏とも呼ばれる。新田氏(上野源氏)流源姓里見氏一門。里見義俊の次男の田中義清を祖とする。上野国新田郡田中郷[1]を拠点とした。田中氏 (下野国) : 下野田中氏とも呼ばれる。足利氏(下野源氏)一門。田中時朝[2]を祖とする。下野国足利郡田中郷[3]を拠点とした。孫の満国は南北

源重氏 - 日本通信百科事典

の子、維長・義継の弟、義利・義直・重継の兄、重政の父。新田重氏 : 新田氏(上野源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。足利重氏 : 足利氏(下野源氏)当主の足利泰氏の曾孫、氏継[3]の孫、兼氏の子、俊氏の父。八島重氏 : 八島氏(羽島氏)一門。約4名ほど存在する。中川重氏 : 頼

源頼純 - 日本通信百科事典

七郎/堀江三郎/堀江冠者/塩谷冠者。源義親の子、義信・義俊・義泰・為義・義行・宗清の弟、維純(頼賢)の父。成人して下向して、塩谷荘司となって下野国の下野源氏の下野堀江氏(摂津堀江氏)の祖となった。妻は上野国板鼻城主・原重房の娘の弥生(由布姫)。後に彼の妻を奪うために、下野国の国司

源頼行 - 日本通信百科事典

行の父。石見吉見氏(石見源氏)の祖のひとり。武田頼行 : 武田氏(常陸源氏/甲斐源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。一色頼行 : 足利氏(下野源氏)流の源姓一色氏(三河源氏)の祖の一色頼深(よりとお、公深阿闍梨)の子、範氏・範深(のりとお)の兄、行義の父。脚注[]↑ 小国頼連(

源頼賢 - 日本通信百科事典

宇野頼賢 : 宇野氏の当主の宇野頼弘(親弘)の子、頼隆の弟、頼治(親治)[3]・親通の兄。岩松義政 : 別称は頼賢、法号は道空入道。足利氏(下野源氏)一門の岩松氏(下野源氏)の当主の岩松政経(道定入道)と新田基氏の娘との間の子、経家(本空入道)[4]・頼宥・直国(ただくに)[5]