沢田研二_19830410

ページ名:沢田研二_19830410

【重要】1983年4月10日



いつもニコニコニコニコしてる
これは「作られた小生意気なイメージが嫌だったから大袈裟に愛想良くしてた。分かって欲しい思いが強くて、本当の自分よりいい子に思われるようにしてた」ということだろう。


裏方の人たちともきさくに話してる
同じ「楽しませる側」というチーム意識だろう。
だからこそ「楽しませる」という目的の障害となるような事態には厳しくなる。
当日になって衣装の用意をできなかったことを報告するスタッフに「なら何故前日に言わないのか」と叱ったり。
当日になって「午後からのクライアントへのプレゼン資料を用意できませんでした」があり得ないのと同じ。
風邪で声が出ないのに「大丈夫」と空元気を見せる
膝の脱臼でドクターストップがかかっていたが痛みを堪え歌唱
膝の脱臼から3週間経過しても足を引きずって登場
楽しませるためにここまでする彼女。ましてや当時は10代。
10代の私がここまで必死に頑張ってるんだからと、同じ「楽しませる側」の大人のスタッフに厳しくなるのも当然だろう。


週刊誌ではツッパッてるとか本音をズケズケ言うとか書かれる
「本音をズケズケ言う」の部分は後に本人も語っているとおり事実。
ただ、沢田研二の「別になんでもズケズケ言おうという気分でいるわけではないでしょ。自分では普通でしょ」
に肯いているのも、彼女にとってはまさにその通り「普通のこと」だということだろう。
母「正しいことは主張しなさい。年上でも親でも友達でも間違ったことは正さないといけない」


週刊誌もお仕事だし、お母さんや兄妹が怒ってくれるから、かえってなだめてる
これも事実だろうとは思うが、傷ついているのも事実。
この頃はまだ家族が怒ってくれるのを励みに堪えていたのだろう。
それもやがて限界が来る。
週刊誌に悪く書かれて、嫌だし泣きたくなる時もあります。相手も仕事だなって思えるんですけど、いくら仕事でも人間として限度がある


声が前みたいに出ないんです。低くなっちゃって
沢田研二に「働き過ぎもあるでしょ」と言われ「いやー」と答えたのは、
「忙しい」と言うのは威張ってるみたいで嫌なんです」ということだろう。
こういう江戸っ子気質の謙虚さで誤解を招いている側面もある。


沢田研二「ゴールデン・アイドル賞は、僕はもう明菜ちゃんに決まったようなものだと思ってる」
沢田研二の予言通り、この年(1983年)、
「ゴールデン・アイドル賞」「ゴールデン・アイドル特別賞」を受賞する。
第25回日本レコード大賞


久しぶりに見直して気付いた。
沢田研二の「どんどんどんどん」「一生懸命」。これらは彼女の口癖。
また、沢田研二の

歌が上手ってのは必要条件ではあるけど全てではない。本当に上手い人は先天的に上手い。

『中森明菜心の履歴書』

私、歌はヘタだと思う。すごく上手な方はいっぱいいるから。
でも歌のイメージを伝えられるっていう自信だけはあるの。雰囲気を伝えられる自信だけは

よく似ている。
同じく沢田研二の

歌唱力はもとより、自分で楽しんでやるとか、みんなを楽しませようとするところがあるといい

「自分で楽しんでやる」の部分はなかなかできないようだが、
「みんなを楽しませようとする」は元々奉仕が好きな彼女の生き方、生き甲斐に合致する。
本人が意識しているかは分からないが、この時の沢田研二との対談がその後の彼女に大きな影響を及ぼしたのかもしれない。
あるいは、元々似た者同士だったのかもしれないが。


関連リンク


タグ
1983年 その他対人 沢田研二 コント 性格 真面目 努力家 本音 マスコミ 仕事 スローモーション 重要


シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧