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シルヴェスター・スタローン Sylvester Stallone | |
シルヴェスター・スタローン(2010年7月) シルヴェスター・スタローン(2010年7月) | |
本名 | Sylvester Gardenzio Stallone |
---|---|
生年月日 | 1946年7月6日(76歳) |
出生地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク |
ジャンル | 映画(俳優・監督・製作・脚本家) |
活動期間 | 1970年- |
活動内容 | 1970年:デビュー 1976年:『ロッキー』 1978年:映画初監督 2006年:『ロッキー』最終作 |
配偶者 | サーシャ・キューザック(1974年-1985年) ブリジット・ニールセン(1985年-1987年) ジェニファー・フレイヴィン(1997年-) |
主な作品 | |
『ロッキー』シリーズ 『ランボー』シリーズ 『クリフハンガー』 『コップランド』 『エクスペンダブルズ』 | |
受賞 | |
アカデミー作品賞 セザール賞 名誉賞 ゴールデンラズベリー賞 | |
表・話・編・歴 |
シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone、1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家。 1970年代から1990年代のアクション映画を代表するメガスター。60歳を超えた現在でも、己の肉体を魅せる激しいアクションをこなす現役の映画俳優である。
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区生まれ。 父はシチリアにルーツを持つイタリア系アメリカ人の美容師、母はロシア系ユダヤ人およびフランス系アメリカ人で、元ダンサーで占星術師として著名なジャッキー・スタローン[1][2][3]。弟のフランク・スタローンも俳優。次男のセイジ・スタローンは俳優・監督で、また、カルト映画を専門にDVD化する「Grindhouse Releasing」の共同経営者。ニューヨークでも治安の悪さで知られるヘルズ・キッチンで育った。
出産時に産科医が鉗子の扱いを誤り、顔面の左側(特に唇、顎、舌)の神経が傷つけられたため、言語障害(舌足らずなイントネーション)と下唇の下垂という症状が残った。このことは少年期のスタローンを内向的にさせ、空想や漫画、特に映画へ興味を向けさせた[4]。崩れた容姿と脆弱な性格から常にいじめの対象となっていた。このトラウマは現在も残る。9歳[4](もしくは12歳)の時に両親が離婚したことを切っ掛けに次第に素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。高校卒業後は美容師学校へ進んだが中退し、レザンにある American School of Switzerland (en) に体育奨学金を得て入学し、演劇を学んだ。(この頃から演劇に興味を持ち始めたとも。)アメリカに戻りマイアミ大学の演劇学部に3年間在籍したが、脚本家を志すため中退した[4][注釈 1]。(もしくは2年間在籍したが、授業料の支払いが困難となり中退した。)23歳でニューヨークに戻り本格的に俳優を志した。
スタローンが初主演した映画は1970年のポルノ映画 The Party at Kitty and Stud's(子猫と種馬のパーティ)である。当時は極度の困窮生活で、出演はやむにやまれぬ事情だったとスタローンは述べている[5][注釈 2]。同じく1970年には No Place to Hide(隠れ場無し)というコメディ映画に主演した[注釈 3]。1971年にはオフ・ブロードウェイの小劇場で Score というアダルト劇の舞台に立っている。このようにポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ちたテンプレート:要検証。
1974年に出演した The Lords Of Flatbush(邦題『ブルックリンの青春』)での演技が何人かの評論家の目にとまり、スタローンは妻と愛犬を伴ってハリウッドへ移った[4]。1975年には『デス・レース2000年』に準主役として出演した。『ロッキー』の半年前である。
1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって製作所に売り込む。脚本が気に入った映画会社は大スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞。スタローンの意見が通ったが、スターの作品でないため低予算となり、わずかな上映館でスタートした『ロッキー』であったが、徐々に大評判を呼ぶことになった。同年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界的な規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)となり、映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの “アメリカン・ドリーム”を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績が評価された。
その後『パラダイス・アレイ』で監督業にも進出。『ロッキー』、『ランボー』、『クリフハンガー』など、常に鍛え上げた肉体を駆使した作品でアメリカを代表するアクション俳優となる。2006年、シリーズ16年ぶりの新作となる『ロッキー・ザ・ファイナル』 が公開され、2008年には、20年ぶりの新作となる『ランボー/最後の戦場』が公開された。この後には、チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』のリメイクや、『クリフハンガー』の続編が予定されている。2008年3月10日、Moviehole.netが、スタローンが『ランボー5』の製作途中であることを配信。そして『ロッキー7』も構想中であると噂されている。
共に極限まで肉体を鍛え上げたアクションスターであり肉体派ヒーローを演じる機会が多いアーノルド・シュワルツェネッガーと頻繁に比較される。彼ら自身もお互いに良きライバルであり親友であるという認識を共有しており、著名人が一堂に会す場において撮影された、二人が共に納まった写真もしばしば映画誌などに掲載されている。また『ラスト・アクション・ヒーロー』、『デモリションマン』では互いにネタにし合っている。2010年公開の映画『エクスペンダブルズ』では、1シーンながら両者が共演している。
『ロッキー』で共演し、長年の親友であるタリア・シャイアが実兄であるフランシス・フォード・コッポラに『ゴッドファーザーPARTIII』にスタローンを出演、または監督させる約束を取り付けたがコッポラがいずれも反故にしてしまったため、両人の間に亀裂が生まれてしまった。
2007年の2月に『ロッキー・ザ・ファイナル』の宣伝でオーストラリアを訪れた際、シドニー空港にて、手荷物の中にオーストラリアでは禁止されているステロイドが発見され、起訴された。5月15日に行われた審理では代理人が起訴事実を認めたが、スタローンは出廷をしなかった。21日、2500ドルの罰金を科す判決が下った。本人は当初『持ち込んだのは成長ホルモンだけだ』と弁明していたが、やがてはステロイド剤の所持を認めるに至った。しかし、後日になると『あれはテストステロンだ。ステロイドではない』と再度弁明を行った[6]。
2010年9月に来日し、大相撲秋場所を観戦。その際九重親方に映画出演のオファーを行い話題を呼んだ。また、同年9月28日放送分のNTV系列『魔女たちの22時』にもゲスト出演している。
2010年12月7日、一連の『ロッキー』シリーズのボクシング映画製作などが評価され、国際ボクシング殿堂顕彰者に選出された[7]。
本人の声がかなり低音であることや、アクション以外の役も多いため、日本語吹替版には羽佐間道夫や玄田哲章、ささきいさおなど様々な声優が起用される。一時、テレビ放映の際はささきいさお、ビデオ版は玄田哲章が定着していたが、最近は、ささきいさおがフィックスの傾向にある。(『ランボー/最後の戦場』など)、稀ではあるが彼が主役ではなかった『スパイキッズ3-D』では格闘家の角田信朗を吹き替えに起用している[10]。
下積み生活中にサーシャ・チャックと結婚。二人の男児をもうけた後、離婚。1986年にブリジット・ニールセンと再婚し翌年離婚((『ロッキー4炎の友情』『コブラ』で共演した仲であった)。 1996年に女優兼モデルの女性ジェニファー・フレイヴィン(Jennifer Flavin)との間に一女をもうけ、1997年結婚。四女まであり。
上記の他にも20回以上個人賞にノミネートされている。暴力的なランボーシリーズへの主演に対してリベラルな評論家達から目の敵にされており、たびたび酷評を受けるが、作品としてはヒット作を頻出しておりノミネート自体も皮肉を込めたオマージュの意味もあることに留意する必要がある。
自身が脚本や監督を務める作品にはすべて出演している。
テンプレート:シルヴェスター・スタローン
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