ハクセキレイの恋人6

ページ名:ハクセキレイの恋人(6)

ハクセキレイの恋人(6)

 

*   *   *

 

 その嬉しい報告は、エテがオオバに問答無用でハグをしたところから始まった。

 

 ――オオバさん~! あたし、あの人の漫画の続き引き継げることになったの!
 ――本当に本当におめでとう! ついに念願が叶ったんだね!
 ――ありがとう~! だから、オオバさんにはわたしのネームを見てもらいたいんだ~。
 ――えっ、ネームを……?

 

 私は密着する身体を一度離し、エテの顔を見る。まだ嬉しさが冷めていない満面の笑みだ。
 ネームを見せる、それに対して指摘を受ける。それが漫画を描く存在にとってどれほどに勇気がいる行為だろうか。
 それと同時に、彼女から随分と篤い信頼を得ているのだと改めて実感する。これほどまでに嬉しいことはない。
 それでも一度ブレーキをかけたのは、その責任に対する重さが重すぎるからだ。
 エテが連載を取るためにどれほどの努力を積み重ねてきたのかを知っているから――安請け合いするわけにはいかない。

 

 ――わ、私は一枚絵ばっかり描いてきたから漫画なんて全然わからないし……。
 ――いいの、それでも。オオバさんがわかるところ、思ったことを言ってくれればいい。最初の読者として思ったこと、イラストを描く人として思ったことを言ってくれればいいの。どう直すかはわたしが決めるから。
 ――エテ……。
 ――あの人の描いた物語、絶対に絶やしたくない。だから、わたしはわたしができることを全部やりたいの。

 

 真っ直ぐに決意を顕にする瞳。
 射抜かれたオオバは、頷かざるをえなかった。

 

 *

 

 オオバが全てのアドバイスをし終えた時、エテは膝の上でぎゅっと掌を握っていた。
 たとえ自分の創作にとってプラスになると頭で分かっていても、全力で描ききって完璧だと思っていた原稿に赤を入れるのは気持ちのいいものではない。
 きっと、身を切られるような痛みがあるだろう。
 それでも、エテはプロである。
 ふぅ……と大きく息を吐いた。もやもやとした感情で膨れ上がる胸中の思いを全て吐き出すように、長く。

 

「ありがとう、参考にして直してみるわ」
「うん。頑張って。今回も凄くいい出来だから、きっと素晴らしい回になるわ」

 

 自らエテを切るような言葉を発した同じ口で、エテに更に頑張れと背中を押す。

 

「もちろん! 最高の出来にしてみせるよ~!」

 

 赤をつけられたネームとアドバイスを描いた紙を纏めて茶封筒にしまいつつ、エテは頷いた。もうその頃には満面の笑みを浮かべているのだから、エテは本当に強い。
 私なんて、担当が人間になったというだけでモヤモヤしてしまって、締め切りも近い作品依頼が滞っているというのに。

 

「ねぇねぇ」

 

 エテが私の背後に視線をちらちら向けながら声を掛けてきた。

 

「今日もアイリス様、描いてるね」

 

 彼女の声にちらりと振り返る。見れば、いつのまにかベレー帽を被った三毛猫がキャンバスに向かって筆を動かすところだった。周囲には同じイラスト課でも何度か喋ったことのあるメンバーの数人がアイリスを囲むようにその作業風景を見つめていた。
 凛とした表情を崩さぬまま、なめらかな筆使いでキャンバスに絵の具を乗せていく。
 纏う雰囲気は、まるでよく晴れた公園の噴水のようだ。明るくキラキラとしていて、多くの観衆をわかりやすく引きつける魅力がある。
 そんな光景に、オオバは少し表情を歪めてエテに向き直る。

 

「猫はあんまり好きじゃないのよ」
「ニンゲンも猫も好きじゃないって、オオバさんは本当に好き嫌いが激しいんだから~……」

 

 苦笑交じりにエテが指摘をしながらも、続ける。

 

「アイリス様の絵って、本当にキラキラしていて素敵~。あたし、好きだなぁ~」
「確かに上手ではあると思うけれどねぇ……」

 

 オオバはもう一度振り返り、まだ下書きの段階である彼の絵をじっと見つめた。
 彼の絵はそれまでにも何度か見たことがある。知識、テクニック、形の取り方。モチーフの切り取り方。視線誘導。全てがハイレベルで、上手であろう。
 しかし、それは一言で示してしまえばわかりやすい上手さなのだ。

 

「全面に大胆に、グイグイ押し出してくる絵なのよねぇ……私、そういうの感じちゃうと駄目なのよね」
「グイグイ行くことは大事じゃないかなぁ~? わたしはそこまで変じゃないように思えるけれど。魅力を受け手にわかりやすく表現することも大事だしね」

 

 どちらかといえばエテもアイリス同様にキラキラとしたタイプだろう。魅力をわかりやすく切り取り、漫画として表現して伝えるテクニックを持っている。
 逆に言えば作家そのものの内面がわかりやすく受け手に届くだろう。
 そこに魅力を感じるかどうかが一つの着眼点になってくる。

 

「私は控えめでいいの。自分をさらけ出すような絵を目指してるわけじゃないから」
「そっかぁ……でも、わたしはオオバさんの絵も好き。まだ鳥だったころのこと、すっごく思い出せるから」

 

 とってつけたようなエテの褒め言葉だったが、それでも自分の絵を肯定してくれるのは嬉しかった。
 彼女は同時に手元の水のペットボトルを取ったことで雰囲気的にこの話題は切り上げようと思っていることは丸わかりだった。
 私的にもそうしてくれると有り難かった。
 アイリスの絵を好きだと言うことができないのは、彼の根底にあるモチーフが人間ばかりだからだ。
 彼も、きっと人間が好きなんだ。
 その気持ちをシンプルに筆と絵の具に乗せて表現できる彼が、私は好きにはなれない。
 エテにそう言ったら、きっと私は失望されるだろう。
 自分の胸中の想いは隠したままでいい。
 
 

7話目に続く

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