ハクセキレイの恋人13

ページ名:ハクセキレイの恋人(13)

 ハクセキレイの恋人(13)

 

 *   *   *

 

 

 私は物心ついた頃から左足がなかったの。その経緯はよく覚えていないけれど、大方巣から不用意に離れたところを他の小動物にでも襲われたのかもね。
 でも、辛かったのは脚を失ったことそのものよりも、それが原因で親鳥からもきょうだいからも見放されていたこと。

 

「もうあの子はきっと駄目だから」

 

 そう言われながら餌もあまり与えられなかった。必要最低限の世話はしてくれたけれど、それだけ。巣立ちの時期になるともう殆ど私の存在なんか無視するかのように振る舞われた。
 私達ハクセキレイは巣立ち後も親鳥と一緒に行動することが多い種族だけれど、私はすぐに親鳥から離れたわ。一緒に居ても悲しい気持ちになるだけだもの。
 それで、私は少し離れた森と川と船が行き交う場所に落ち着いた。たまに人が多いこともあるけれど、基本的には静かだった。
 住心地は良さそうだったけれど、縄張りがありそうな予感はしていて――実際、その主は大きな木立の影から現れた。

 

「あら、あなたはひとりかしら?」

 

 木立の太い枝の上で休んでいると、不意に声を掛けられたの。
 同じハクセキレイのメスで、綺麗な声の持ち主だなと思ったわ。

 

「はい。もう巣立ちしましたから」
「そう、随分と早く巣立ちしたのね」

 

 親元とまだ一緒にいることが多い時期だったから、そのハクセキレイも不思議に思ったのかもしれない。
 でも、私の左足を見てなぜそうしたのかはなんとなく察したのかも。
 彼女は独り言のようにつぶやいた。

 

「猫も少ないし、人も襲ってこないし、食べ物も多いわ。注意するのはとんびくらいのものよ。ここは私の縄張りなのだけれども、ここならきっと大丈夫よ」

 

 あなたお名前は?

 

 そう問われたのに、私はあふれる涙で答えることができなかった。それは後からあとから次々と溢れてきて、ぽたぽたっと地面に落ちる。
 ――受け入れてもらえることが、こんなにも嬉しいことだったなんて。

 

「ちょ、急に泣かないで! というか、私泣かせるようなこと言ったかしら!?」
「すみません……なんか、優しくしてもらえたことなんて久しぶりで」

 

 小さな身体を包み込むように添えられる、彼女の翼。それが暖かかったのはきっと鳥の暖かな体温だから、というわけではないだろう。

 

「名前は……つけてもらってないの」
「そっか。おいで」

 

 普通、親から名付けてもらう筈なのに。それすらも当時の私はされてもらえずに当たり前だと思っていた。
 彼女に促されるままに、川に向かって急に傾斜した土手の中腹に降り立った。そこには蔓状の下草が生え、まるで絨毯のように細かな葉と小さな黄色い花が幾重にも広がっていた。

 

「この花はウンナンオウバイ。この季節になると、こうやって綺麗に花を咲かせるのよ。このお花からお名前を取ったらどうかしら」

 

 オオバ。響きは素敵じゃないかしら?

 

 にこり、と笑みを浮かべながら彼女はそう言う。
 私は少し照れくさくて、翼をあわせてもじもじとしてから、こくん、と頷いた。その日から、私はオオバと名乗ることに決めたのだ。
 それから彼女にはたくさんお世話になった。猫がお気に入りで近づかないほうがいいところ。トンビが現れたとき、とっさに隠れる場所。生きるためのいろいろな知恵を教わった。
 そして、教わったのはそれだけじゃない。

 

「この真っ白なお花はサンユウカ。この時期に花が咲くのだけれど、この甘い香りは夜から朝にかけてよりいっそう強くなるのよ。そして、私はこのお花から名前をもらったわけ」

 

 出会ってからもう2ヶ月が経とうとしていた。梅雨も開け、季節は夏となった。
 ユウカ、と名乗った彼女のルーツとなる花は花径3、4センチほどで私から見たらずいぶんと大きい。
 その花は彼女の美しい体羽毛と結び付けられる程に白い。大きな花弁は彼女の心の広さを示しているような気がした。

 

「よく似合っていると思います。とっても素敵」
「ありがとう。自分で自分のお名前をつけるのはなんだか恥ずかしかったけれどね」

 

 ユウカは恥ずかしそうにはにかんでみせる。そんな姿が余計に可愛らしくて、私もつられるように笑みを浮かべてしまった。
 この付近には見たこともないような木々がたくさんあり、その一つひとつがいつ花を咲かせるのか、実を実らせるのかをユウカから教わった。

 

「あの制服の人間には注意して。このあたりを見回っては猫や鳥も種類に関わらず追っ払っていくから、素直に逃げるのが一番よ」
「そうなんですか……」

 

 私は蒼い制服に白い帽子を被った人を、ユウカと共に木陰から見ながら囁いた。

 

「猫たちを相手にする時は特にひどいわ。見つけるとどこかからか湧いてきて捕まえようとするもの」
「そんなに凶暴なんですか?」
「そうよ。最も警戒すべきは鳶と、あの制服の人間だからね」

 

 警戒。そう聞いて、気を引き締める。
 とにかく姿を見られないこと。見られてもすぐに逃げること。空までは彼らは追ってこられない。
 そんなことを頭に叩き込んでから、彼らの視線から逃れるように姿を隠す。
 ユウカと一緒に飛んで、美味しい木の実を食べて、夜になると仄かな明かりで照らされる木陰でぐっすりと眠る。花火の音にドキドキしながら目が覚めて、その美しくも幻想的な光景に心躍らせた。
 寒い冬を乗り切り、間もなく春が訪れようかという頃。前触れもなくその出来事は起こった。

 

 *

 

 その朝は殆ど人が居なかった。風の音と静かに水面か岸に波を立てる音、木々の葉擦れの音だけが響いており、私は朝日が出る頃に軽く食事をした後、道の傍らにあるベンチでうとうととまどろんでいた。
 夢か現実かわからない微睡みの中で微かに捉えた殺気――はっ、と気づいた瞬間にバチリと金色の瞳孔と目が合った。真っ黒な毛並みを持つ大柄な猫。

 

「……ッ!!」

 

 フシャァァァッ!!!と甲高い声で威嚇しながら飛びかかる猫を咄嗟に翼で宙を叩いて前のめりにつんのめりながらも回避する。鋭い爪が私の頬スレスレを過ぎ去った。
 ベンチから前に一回転しながら落下し、背中をしこたま打った。
 しかし、怯んでいる場合ではない。
 すぐに右足一本でなんとか立ち上がろうとしながら周囲を伺うと――猫はすぐさま反転してこちらへと視線を向ける。鋭い眼差しが私を射抜いた。
 あぁ、もう無理だ――。
 そう覚悟を決めた瞬間。

 

『こらっ!』

 

 大きな声とともに何かが吹っ飛んできた。黒くて私の体長の倍もあろう何かが凄い勢いで飛んできて、私と猫の目の前を通過していった。
 猫は反射的にそれをバックステップで回避する。しかし、その黒い何かが地面に触れたと同時にパァンッ!!と凄まじい音が鳴り響き、水のようなものが撒き散らされる。
 猫は至近距離にいたためにそれをモロに食らったらしく、慌ててどこかへと逃げ去っていった。

 

『あっ……まじか! やっべぇ!』

 

 当面の危機が去ったが、あまりにも大きな衝撃に腰が抜けて動けない。
 逃げなければと頭ではわかっているのだけれど、動くことができないのだ。
 なぜなら、その声の主はあの蒼い制服に白い帽子を被った人間だったのだから。
 彼は私よりも先に地面に落ちている黒い何かへと駆け寄った。

 

『あーぁ、買ったばっかりのペットボトルだったんだけれどなぁ。ま、鳥の命には替えられないか』

 

 水が撒き散らされた黒い何かを拾い上げた人間――おそらくは青年――は何かを呟やいた。
 視線を上げた人間と、ぱちりと目が合った。私は咄嗟にその視線を逸した。
 逸したと同時に、人間がゆっくりと歩いてくる。

 

『おや、キミは……右足が無いのか』

 

 大きな人間に見下されるのは小動物の私にとって計り知れない恐怖心がある。
 しかし、彼はその場にゆっくりとしゃがみ込んだ。膝を地面について、なるべく低く構える。

 

『こんなに小さいのにかわいそうなことだ。ほら、早く木々の方へ戻りな』

 

 ……何を言っているかはわからない。
 声色は今にも私を襲ったり、追い払おうという雰囲気はなかった。その人間からは敵意は感じなかったのだ。
 むしろ、その声を聞いてようやく助かったのだという安堵感がこみ上げてくる。
 脚に力が戻り、ようやく立ち上がるとすぐに羽ばたいて近くの柵の上に戻った。

 

『もう猫に襲われるなよ』

 

 その青年は立ち上がると私に軽くひらひらと手を振って、去っていった。

 

「オオバちゃんオオバちゃんオオバちゃんっ!」
「ぴっ……!」

 

 呆けているところに抱きつくように突っ込んできたのはユウカだった。

 

「大丈夫!? 何かされてない!? 怪我してない!?」
「あ、うん……私はお陰様で大丈夫」
「よかったぁ~~~~!! 気づいたときには猫も人間もすぐ近くに居て飛び出せなかったんだよ~~~~ごめんねぇ!!!」

 

 翼を広げて抱きついてくるユウカ。その優しさはもちろん嬉しかった。
 でも、その時はそれ以上にその青年が気になって仕方がなかったのだった。

 

14話目に続く

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