ハクセキレイの恋人(14)
* * *
「オオバさんはその男の人が好きになったんだ……」
ぽつり、と囁いた千尋の言葉にオオバは我に返ったかのように目を見開いた。
「好きになったかどうかはわからない」
そこはきっぱりと否定し、
「でも、あの時に感じた恩はちゃんと返したいとは思うわ。少なくとも、感謝の言葉くらいは言いたかった」
もちろん、その当時のオオバは一匹のハクセキレイに過ぎなかった。人間の言葉を理解することもできなかったし、もちろん人間の言葉を喋ることもできなかった。
感謝の気持ちを伝える手段なんて無かったのだ。
「じゃぁ、今から会いに行けば良いんじゃないですか? 会って、ちゃんと好きですって伝えたらいいと思います!」
……はぁ? 何を言ってるんだこの小娘は。
オオバはよほど口に出してやろうと思ったところで踏みとどまる。
「あのね、私は死んでいるから元の世界に戻ることなんてできるはずが――」
「「いや、できる」」
同時にオオバの言葉を遮ったのはタマとやなゆーだ。
「この会社から座標をつなげて元の世界に戻れば良い。俺はよくそうやって出かけてるしな」
「出かけてるってどこへ」
タマの言葉に脊髄反射かと思う速さで問いかけるのは千尋である。
「ここでも画材は手に入るけれど、ちゃんと画材専門で扱ってる店があるんだよ。そこへ行きに」
「なんでアタシの知らないところでふらふら元の世界に戻ってるんだか……」
「受付のステラに言えば人間の姿にもしてもらえるしな」
「よりによって猫獣人じゃなくて人の姿に化けて!?」
「人間の視線で見る元の世界もなかなか斬新で面白いからな。本も読みやすいし、言うことなしだ」
手で顔を覆って天を仰ぐ千尋に対し、タマはカカッと楽しげに牙を見せて笑った。
「就業規則的にも死者は元の姿では元の世界に戻ることはできないが、MUで姿を変えて元の世界に戻ることは可能だったはずだ」
そう口を挟むのはやなゆーだ。
「私は死者は元の世界に戻ることはできないと思っていたのだけれど……」
「無論、死者故にその制約は生きている獣人よりは強いからな。そう思っても無理はない。申請には課長クラスの判子と部長クラスの判子がそれぞれ一つずつ必要だ。ま、どっちも俺が説得すればどうにかなるだろ」
判子が必要になる書類をわざわざ申請しようという物好きはなかなか居ないのだろう。その不確かな噂が独り歩きして「できない」となるのも無理はないだろう。
「ていうか就業規則なんてあったんだこの会社……」
「仮にも会社だからな。ま、普通にクリエイターしてる分には就業規則に抵触するようなことはないし、それを意識するほど厳しい規則じゃないしな。んじゃ、早速判子もらいに行ってくるよ」
「あ、頑張ってくださいね!」
すぐに踵を返して部屋を出ていくやなゆーの背中にそう声をかける千尋。
やなゆーは背中越しにひらひらと手を振った。勝算はあるらしく、余裕そうだ。
残された部屋に置き去りにされたのは、エテ、タマ、千尋、オオバである。
「なんだか、トントン拍子で話が進んでるところに水を差すようで悪いんだけれど……」
最初に口を開いたのはオオバであった。
「私、元の世界でその彼がどこに居るか知らないのよ? 生前の話だから思い出せるのは断片的な風景ばっかりで詳しい場所まではわからないんだから」
「あ、それなら心配は無用です。私、オオバさんの故郷である場所は見当がつきますから」
千尋はあっけらかんとした表情で言う。
「え、千尋ちゃんわかるの? なんで?」
「……どういうこと?」
千尋に意味がわからないと言いたげなオオバ。
エテもきょとんと小首を傾げている。
「あの絵です」
千尋は振り返り、オオバの未完の絵を見つめた。
「あの絵はオオバさんがハクセキレイだった頃、実際に見た光景じゃないですか?」
「えぇ、そうよ。でも、この猫ったらこんな光景はありえない、シュルレアリスムだって言い張るのよ」
オオバはタマを見遣って、唇――否、嘴を尖らせた。
タマもむっとした表情を浮かべる。
「いや、こんな光景はありえないだろう。こんな摩訶不思議な場所があってたまるか!」
「私が実際に見た光景だって言ってるでしょうが!」
「あぁもう喧嘩はやめてください! 実際、どっちの言い分も捉えようによっては正解なんです!」
今にも喧嘩が始まりそうだったが、千尋が仲裁に入った。
「どっちの言い分も正解って……どういうことなの?」
「この光景、私の住む世界でも指折りの大きなテーマパークなんです」
静かなさざ波をうっている海とそれを覆うように沖に広がる巨大な防波堤。そして、森の光景。
一見シュルレアリスムにも見えるその絵の光景は、
「人間が、物語の世界を人工的に作ったんです。莫大な費用を投じて制作し、そこでは非日常の世界に浸れる……そんな空間を提供する施設を遊園地やテーマパークと言うんです。特にここは作り込みに定評がある有名なテーマパークなんですよ」
元々人がシュルレアリスムのようにありえない光景を作っており、その光景を正確に風景画に起したのであれば――それは風景画とも言えるしシュルレアリスムとも呼べる代物になる。
だからどっちも正解なのだ。
「そうだったのか……元々ありえない光景を作っただなんて、人間はすることのスケールが違うな」
「信じられない……じゃぁ、私が育った場所は普通の人がいるような場所じゃないってこと?」
「鳥の生息地としてはかなりイレギュラーな場所であることは確かだと思いますよ。でも、確かにあそこは餌も多いしたくさん植物が植えられてるから鳥にとってはかなり楽園かも」
こんなことを言うとオオバの機嫌を損ねるかもしれないので口にはできないが、管理されたテーマパークではきっと外敵はどこからか紛れ込んだ野良猫くらいで他の野生動物は存在しない。その上、訪れる人はポップコーンやワンハンドメニューを食べ歩き、そのおこぼれをいただくこともできるだろうから餌にも困らない。
まさに鳥の楽園と呼ぶに相応しいだろう。
「……素朴な疑問なんだけれどさ」
エテが何かに気づいたかのように、ふと口を開いた。
「チヒロがこの光景を知ってるってことは、オオバさんやあたしと同じ世界の出身ってこと~?」
「奇跡的な確率かもしれないですけれど、そうなんじゃないでしょうかね」
試しに私とエテ、オオバのプロフィールをMUに表示させると出身世界の欄は三人そろって「8332.9987」を示していた。
「ついでに俺も千尋と同じ世界の出身だから、この四人は同じ世界の住人だったってことだな」
更にタマのプロフィールを開くと、世界座標「8332.9987」が並んだ。
「凄いなぁ、こんなことがあるんだねぇ……」
「ホント。ひょっとしたら生前すれ違った可能性もあるのよね」
入社した頃、ドラゴンや人でない生き物が闊歩するこの会社は常識をぶち破るほどの衝撃を受けた千尋。
しかしながら身近に姿形が違えど、同じ世界の出身者が居るとわかると急に親近感が湧いてくるような気がしたのだった。
(15話目に続く)