ハクセキレイの恋人5

ページ名:ハクセキレイの恋人(5)

 ハクセキレイの恋人(5)

 

 *

 

 14階は油画課のフロアであり、談話室には何人かがキャンバスを前に談話しながら作業を行っていたり、ヘッドフォンをしながらエスキースをしていたりスケッチブックに向かっている姿が見える。
 そんな部屋の片隅にひとり、2メートルを軽く超えてお相撲さんのようにやたら大きくて和服を羽織った明るい毛並みを持つ狐の獣人が居る。
 彼はクリエイターが休憩中にありがちな行為であるMUをいじるでもなく、本を読むでもなく――どうやら手帳のようなものにメモを取るように万年筆を動かしていた。

 

「えぇと、夜霧さんですよねっ?」

 

 声を掛けると、茶色の獣耳がピクリと動いて金色の瞳がゆっくりとこちらに向けられた。

 

「はい、私は夜霧ですが……あなたが雪島千尋さんですか?」
「そうです。遅くなってすみませんでした!」

 

 千尋がぺこりと頭を下げると、夜霧は小さく首を振った。

「気になさらないでください。私もメイルを送るのが遅くなってしまいましたから」

 

 あ、優しい……。
 ちょっと辛辣な出来事があった後なだけに夜霧の穏やかな表情に救われる思いだ。

 

「えぇと……凍凪杯のパンフレット制作に関して担当者がやなゆーさんから変更になったそうですね」
「そうです。私が担当しますので、宜しくお願いします」
「はい、宜しくお願いします」

 

 ……。
 ……。
 沈黙がふたりを包み込む。
 じっとお互いに視線を向け合う。夜霧さんのキレイな金色の瞳はまるで吸い込まれそうな気にすらなる。琥珀のような瞳――……。

 違う違う!そうじゃないって!

 

「あの、えっと……私は何をすれば良いんですか? それと、あまりじっと見つめられると照れますよ」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか獣耳を垂らし頬を掻いてはにかむ夜霧さん。ちょっと可愛い側面に、明るい黄色と白の毛並みをなでなでしたくなる欲望がこみ上げてくる。
 もちろん、初対面の相手にそんなことはしないように強く心を自制する。
 こらえろ、アタシ。

 

「いやぁ、その、あはは……実は、あたし新人で。引き継ぎのやなゆーさんも生憎別件の打ち合わせが入ってしまい居なくてですね……」
「あぁ! つまりそういうことなんですね。担当を引き継いだけれど、何からしたらいいかわからないと」
「面目ないですが、まさに仰る通りです……」

 

 先程のやなゆーとオオバさんの打ち合わせが脳裏に過る。
 すらすらと淀みなく打ち合わせをするやなゆーと、その打ち合わせが腑に落ちるように頷いたオオバさん。
 どうやったら、あんなにすらすらと打ち合わせができるようになるのだろう。
 そんなとりとめも無いことを考えていると、ふむ……と顎の毛並みを撫でながら考え込んでいた夜霧さんが不意に呟いた。

 

「とりあえず、私達はお互いのことを知らないといけないと思うのですよね。だから、ちょっと私の書斎にでも行きましょうか」
「書斎……いいんですか?」
「構いませんよ。少し散らかっていますが、掃除は行き届いていると思います。それに、私もたまには自分の作品を自慢したくもなるんですよ」

 

 他に良案も浮かばなかったので、夜霧の言うことに倣うことにした。
 席を立って、彼の先導で部屋を出る時に――

 

「あ」
「おっ」

 

 思わず声が出たのは、入れ違いにやってきた猫の獣人が知った顔だったからだ。

 

「タマ、お疲れ様」
「おう、千尋もお疲れ」

 

 エプロン姿のタマである。今日はカフェ店員ではないので、白地に洗いたてでありながらも絵の具のシミが残るエプロン姿だ。

 

「今日のシフト午前からじゃなかったっけ」
「ノーベさんが凍凪杯も近くて大変だろうからって融通効かせてくれたんだ。だから今日は休み」
「そっか、制作頑張ってね」
「サンキュ。そっちは打ち合わせ?」
「うん。凍凪杯のパンフ作りの担当になったの」
「そっか。デザイン系の仕事が本格的にできるようで良かったな」
「へ? あ、うん」

 

 頑張れよ。ひらりと手を振って室内へと入っていくタマを見送った。

 

「タマさんとお知り合いですか?」

 

 少し先で私が立ち話しているのを黙って待ってくれていた夜霧さんが振り返り、そう問いかけてくる。

 

「知り合いも何も――彼の飼い主ですよ、私」
「おやおや、パートナーだったんですね。それは知りませんでした」

 

 朗らかに笑みを浮かべる夜霧さん。
 いや、パートナーなのか? パートナーと言える立ち位置にアタシはいるんだろうか?
 確かにタマの飼い主になったけれど、互いに別に何かを意識して生活しているわけではない。Cafe「Rain」の店員なのは一緒だけれど、兼務はタマがイラストのクリエイターでアタシが営業だ。
 どこかすれ違いつつあるような気がいてならないけれど――それでもパートナーと言うんだろうか。
 そんな考えを巡らせていると、そんな様子に気づいていない夜霧が更に会話を続けていた。

 

「彼、毎日もの凄い量の絵を書いているみたいですよ。ここでエスキースやスケッチブックに内容や構図決めをして、隣の作業部屋で実際にキャンバスに色を置いているようです。美大の受験生のようだと周りのイラストレーターの皆さんは仰っていました」
「美大の受験生がどれほど絵を描くかはわからないけれど……そんなに描いているんですか?」
「少なくとも平均よりは圧倒的に多いと思いますよ。私が作業をしながら横目で見る限りの情報ではありますが」
「やっぱり凍凪杯に向けて集中して作品を創っているのかなぁ……この前もカフェで包丁握りながら船漕いでたもん」

 

 あはは、と私が少し笑いながら言うと――夜霧さんは穏やかではあるが、真っ直ぐに私の表情を見つめていた。

 

「それはどうでしょうね」

 

 夜霧さんはタマが以前紹介してくれたアトリエが立ち並ぶ廊下をゆっくりとアタシの歩調に合わせて歩きながら、囁いた。

 

「先程も言いましたが、イラストレーターの同僚曰くタマさんへの評価は『受験生のようだ』と言っていました。これはつまり、一つの賞を狙った絵を描いているというわけではなく、単純に上手くなりたいと思っているのかもしれません」
「飼い主の偏見かもしれないんだけれど……タマの絵ってかなり上手い方だと思う。それでも、もっと上手になりたいって気持ちはあるのかな」
「私も絵は分野違いですし不得手なので、彼の絵の上手さは一概には評価できませんが……それでも、彼が一端のクリエイターであるなら、何かしら思うことがあるのかもしれませんね」

 

 彼が一端のクリエイターであるなら、という部分を強調する夜霧さんの言葉にどう返答しようか悩む。
 自分が特にこれと言ってクリエイターの仕事ができるわけではないし、その気概もないからその胸中の思いが自分には理解できない。
 最近――この会社に勤めるようになってから、こういう部分が増えた気がする。喫茶レクイエムに居た頃にはタマの気持ちなんていくらでも理解できるような気がしたのに、今はタマが少し遠く感じる。

 

「ここです。どうぞ」

 

 夜霧が指したのは、デフォルメされた可愛らしい狐の顔のネームプレートが飾られていた扉である。
 彼の大きくも穏やかな性格と妙にマッチしていて、少しきゅんとしてしまいそうになる。

 

「失礼します」
「どうぞどうぞ」

 

 ドアを開いて手で支えながら夜霧が招き入れた書斎に入っていくのだった。

 

 

 *   *   *

 

 

 千尋が夜霧の書斎に入り、ドアが閉められた瞬間に隣のアトリエのドアが開いた。そこは白と黒の羽根がドアに貼り付けられており、中から出てくるのはオオバである。
 彼女は大きめの革で作られたボディバッグを首に下げ、一本足と翼で器用にバランスを取りながら、何度も跳ねるように廊下を歩く。向かう先はエレベーターホールにほど近い談話室だ。

 

「あ、オオバさ~ん。打ち合わせお疲れさまぁ~!」

 

 広い談話室の一角にあるテーブルからひらひらひらり、と翼の生えた手を振るのは燕の獣人であるエテだ。藍色に白のツートンカラーの羽毛に包まれ、喉元は赤いワンポイントが入っている。更に民族衣装風のショールを肩に掛けていた。
 にぱーっとした笑みを浮かべ、まるで彼女の笑顔の周りにはぱぁっと花が咲くのが見えるような純粋無垢な笑みを浮かべていた。
 そんなエテに誘われるようにオオバは向かいの席に腰を下ろした。

 

「ありがとう。もう本当に疲れちゃってねぇ」
「打ち合わせって凍凪杯のポスター作りでしょう~? そんなに疲れるほどに無茶苦茶なリクエストでもあったの?」
「リクエストというよりも、担当替えの話があってね。新しい担当がニンゲンなのよ」

 

 えっ、ニンゲン!?
 エテは軽やかに細長い身体を前に突き出し、目をキラキラさせて前のめりになってくる。

 

「いいなぁ~いいなぁ~ニンゲンいいな! わたしもニンゲンの担当欲し~!」
「何なら担当変わってほしいくらいよ……エテの担当誰だっけ?」
「ん~とね、リックさん~!」

 

 リック、と聞いてオオバは脳裏にイメージを浮かばせる。
 確か明るいブルーのスーツが特徴のゴールデンレトリーバーで犬獣人だったはずだ。

 

「担当としては悪くないのよねぇ。本当に交換できたらいいんだけれど」

「でも、わたし連載持ってるから変わられちゃうと、ちょっと困っちゃうかなぁ~。リックさんは打ち合わせもしやすいしね~」

 

 エテはとある世界で漫画の月刊連載を抱えている。お世辞にも大人気というわけではないが彼女らしい、彼女しか描けない漫画だ。
 リックはこのおっとり娘であるエテをうまくコントロールして人気に持っていくものだから大した役者ではあると思う。

 

「冗談よ。ちゃんと二人三脚でできてるエテから担当を奪うような真似はしないから安心して」
「よかった~。あ、そうだ~ネーム切ったんだけれど見てもらってもいいかなぁ~」

 

 エテは不意に持ってきた革製の鞄から茶封筒を取り出して、オオバに突きつけるように差し出した。
 彼女はネームを担当であるリックに見せる前に、友人でもあるオオバに見せて完成度を高くするのが毎回のルーティンになっていた。

 

「えぇ、もちろん。拝見させてもらうわね」

 

 オオバも彼女の作品に対して頬を綻ばせてその茶封筒を受取る。中からはコピー用紙に定規と鉛筆で描かれた彼女のネームが現れる。
 32ページをさっ、さっ、さっ、と見ていく。最初は大まかに初めての読者としての感想を抱きながら作品に目を通す。

 

「もう一度読ませてもらうわね」

 

 ものの数分で読み終えたオオバはコピー用紙を一度テーブルでトントン、と整えてから今度はじっくりと読み込んでいく。
 次の観点は同じ作家として、友人として、そしてもうひとりの編集としての目で見ていく。
 今度は10分程読み終えるのに時間が掛かった。その間、エテはぎゅっと膝に手を当てて少し前のめりになりながら待つ。
 たとえ友人だろうと、自分が考えたネームを見てもらうのだ。緊張は抜けないだろう。

 

「うん、いい感じね。きっちり盛り上がるところもあるし、このお話も好きだわ」

 

 そう前置きしながらも、オオバは自らのボディバッグから筆箱を取り出すと、中から赤鉛筆を引き抜いて握る。

 

「2ページ目のこのコマ、少しキャラのデッサン狂ってるわ。ここはこう描くの」

 

 オオバが茶封筒に同封されていた白いコピー用紙に、丁寧に狂ったコマのキャラを書き直してクリップで挟む。単純なデッサン力ならエテよりもオオバの方があるためにこういったことは多い。

 

「ここがコマの割り方が少し不自然で視線誘導ができてない。この部分は分かりづらいから少し引きのコマを入れてキャラ同士の位置関係を明確に。この見開きは目立たせるためなんだからデッサン狂うと読者にバレるよ」

 

 付箋に赤鉛筆でコメントを残しては、ネーム用紙に貼り付けていくオオバ。
 ストーリーに関しての指摘はなく、あくまで示されたコマ割りやキャラのデッサンなどの絵に関する指摘が殆どだ。
 なぜなら、ストーリーならリックとでも綿密に打ち合わせができるが、絵に関してはなかなかリックから指摘できることが少ない。彼は専門が音楽なので絵を描かないからだ。
 だったら、絵を描き、絵の勉強をして、絵に対する視線を持っているオオバが絵の指摘をしたほうが良い。
 そう言い出したのは他ならぬエテからだった。
 振り返るのは、エテが賞を獲得したあの日に遡る。

 

6話目に続く

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