猫と珈琲とOLの関係性について(14)
「……あの、はじめまして」
私は社長に深々とお辞儀する。
「あぁそっか!千尋ちゃんはヴィルヘルムくんに気絶させられてたんだっけ!」
「はい、実際にお会いするのは初めてなのでちゃんとご挨拶したかったです。改めて、Cafe『Rain』の店員として雇われました、雪島千尋です」
「株SOUの社長です。気楽にしゃちょー!って呼んでくれていいからね!」
部署も所属も言わないのは会社のトップ故だろうか。私は深々と頭を下げ、社長もぴょこんっ、と頭を下げる。
この背中に翼を持つ人が社長……。
「あの……社長さんに、聞きたいことがあるんですが」
「んー?なぁに?」
笑みを崩さず、しかし自分のスマホからも視線を逸らさない。
もちろん聞きたいことは検閲のことと防衛部のことだ……が、それは彼女にとっても触れられたくない部分なのではないかと思うとストレートに尋ねるのは憚られる。
「……単刀直入に聞く。貴女が検閲部隊と戦うために防衛部を作ったのか?」
この猫は本当にこういうときは図々しさの極みだ。
横目でちらりと見るタマはかなり怪訝な表情を浮かべている。その表情は検閲に対して武力で対抗するか?という問いをした時と同じ表情だ。
社長はMUに注がれていた視線を逸した。
「なーんだ、そんなことかぁ」
声のニュアンスを変えないまま、空中に漂っていたスマホを握ってみせる。
「結論から言うと、YESだね。ボクが考えてボクが腕の立つ戦闘員を採用して作った部署だから」
「検閲と戦うために武力を持つなんて……正気のヤツが考えることとは思えない」
――なんで?
社長は笑みを浮かべていた。でも、そこにそれまで抱いていた社長の影はどこにもなかった。
彼女の深いブルーの瞳が真っ直ぐにタマを射抜いている。
電子音と共に彼女の背後のエレベーターが開く。
「自分で創作することができない世界になるくらいなら、悪魔に魂を売るくらい安いものでしょ。武力を以てこの会社を守れるなら、ボクは喜んでその返り血を浴びるよ」
社長はエレベーターに乗った。トッ、と「開」ボタンを押してくれる。
「どうしたの、早く乗りなよ」
「あ……」
社長に促され、ようやく我に返った。タマと一緒にエレベーターに乗り込む。
きっとこの人は――どこに居る誰よりも作品を創りたがっているのだ。
猛烈に。凄絶に。
そして、痛切に。
――焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがてヒトも焼くようになる。
社長ははっきりとそう言った。
「ボクの世界はもうヒトすら焼いていた。筆を持つためには、まず自衛のために武器を持つことが必要な世界だった。そして、ボクは武器を持つことを躊躇って大切な親友を亡くした」
「大切な……親友?」
「そうだよ。ボクよりもよほど上手で魅力的な絵を描く子だった。稀有な才能があったんだ。親友はもう戻ってこない。でも、ボクが筆を置いてしまえば、彼女を失った意味が消える。ボクが筆を持ち続けるためなら、夜叉にもなるし、悪魔に魂だって売ってやるさ」
――幻滅したかい?
社長は清々しい笑顔を見せながら、私に問いかける。
この会社は皆が楽しく創作できる場所を創る――そんな曖昧な志でできた場所なんかじゃなかった。
はじめは彼女がただただ、誰にも邪魔されずに創作するためのアトリエだったのだ。
幼い頃に見た寓話絵本のワンシーンが蘇る。
夥しい数の茨の棘を纏わせ、封印された野獣が住むお城。
今ではこの会社はその城のようにすら見える。そして、目の前の社長は孤独に筆を動かし続ける城の野獣。
「私は、幻滅なんてしないです」
社長にとって、選択肢はそうするしかなかった……なぜなら、世界が間違っていたのだから。
武器を取らねばいけない世界なんて間違ってる。でも――。
「そうやって作った場所であることに衝撃を受けたのは事実で、私はまだその部分を直視する自信がありません。でも……」
――あなたのしていることは間違いじゃないと私は思うから。
社長は微かに蒼い目を見開いた。
「こんなのは詭弁にしか過ぎないのだけれど、聞いてくれないかな」
社長は囁いた。
「防衛部はその名の通り、会社を護るために存在する部署だ。だから、相手が攻め入るために一発撃つまで、此方からは決して武力を使うことはない」
「……それは正当な防衛手段です。攻撃され、身を守るための反撃なのでしょう?」
「そうだよ。でも、流れた血の上にこの会社が成り立っているのは間違いないことだ。そこで流れた血と責任は、全てボクが浴びるものだ。防衛部の社員達は、みんなボクの命令で動いている……そう受け取ってもらって欲しい」
「それでも、貴方はあらゆる歪んだ世界の創作の自由や表現の自由をこの会社で護っている。創作者としての誇りや尊厳を以て戦っているのは間違いないことだと私は思います」
社長はそれまでの笑みとは違うそれを浮かべる。余所行きの笑みじゃない、社員に向ける笑みでもない。
まるで迷子だった子供が親と会えた時に浮かべるような、本当の理解者にだけ向けることのできる笑み。
エレベーターのドアが開いた。
「いつか、千尋さんが描いた絵を見てみたいな」
「あ、いや……でも私は画力とかそういうものは全く無くて……」
不意に飛び出した社長の言葉に慌てる私。
「上手いとか下手とかじゃないよ。千尋さんが、感動するものはどんなものなのか、心が揺さぶられるのかどんなものなのか。そういうものを見てみたいと思ったんだ」
――今度ボクの絵も見に来てよ。
社長はそれだけ呟くように言うと、エレベーターを下りていった。
(15話目に続く)