猫と珈琲とOLの関係性について(15)
私達は社長と別れた後、Cafe「Rain」に戻ってきていた。
戻るや怒涛の注文が相次ぎ、戦場のようになっていた。厨房はタマとノーべさん、接客はリストくんと私でしゃかりき回す。
「千尋、18番テーブルのチョコレートパフェだ」
「はぁいっ!」
厨房から顔を出したタマからカウンター越しにパフェを受け取り、レシートと一緒にお盆に乗せる。
だんだん様になってきた、と自分的にGOODを出せる動きだ。
一方でタマは何やら仏頂面である。
「どうしたのよ、そんな顔して。厨房にしかいないからってそんな表情で仕事しても何も良いことないと思うけど?」
私がそう声を掛けると、タマは微かに視線を逸して顎に手を当てる。
「いや……少し、引っかかることがあってな。何か、お前に伝えなきゃいけないと思ったことがあったんだが……」
「なにそれ意味深……。それってどんなことなの?」
「……思い出せない」
タマは思い出そうとしているようだが、そういうものは得てして一生懸命思い出そうとすれば思い出そうとするほど取っ掛かりがなくなってしまうものだ。
「思い出せないってことは、些細なことなんだよ。きっとそのうち思い出すって」
一度頭を空っぽにして仕事をしていれば、ふとしたきっかけで思い出せる。そんなものだ。
私はタマにニッ、と笑ってみせるとチョコレートパフェの乗ったお盆を手に客室へと向かったのだった。
*
混雑は止むことなくオーダーは続き、食事の比率が高まってきた。
もうそんな時間なのかとMUの時計をちらりと見て驚く。
「なんでこんなに忙しくなっちゃったんだろ……!」
「あはは、夕方ですからねぇ。制作してた皆さんが一息付きに来るタイミングなんですよ」
気を取り直して伝票で次のオーダーを確認していると、隣に颯爽と現れたリストくんが笑った。
厨房のふたりはまだ忙しそうに料理を作っている。一瞬の凪のタイミングだった。
「そういえばさ、リストくんって創作部の兼課ってしてるの?」
ノーべさんは作家だけあって文学系の課に所属していて、タマはイラスト課だ。リストくんは今の所カフェで働いている姿しか見たことがないのでどうなんだろう。
「僕は創作部ではないんですけれど……MU管理部に兼部しています。学生なのであんまり時間がなくって」
「そっか、夜は大学行ってるんだもんね」
「そうですね。午前中、出社する前に少しだけお手伝いしてますよ」
あの暗くて重苦しい雰囲気の部屋に籠もるのは正直私は勘弁願いたいところだが、リストくんは目を輝かせている。
「フェルミさんはプログラマーとしての腕だけでなく、機械工学の知識も豊富なので、僕の師匠みたいな存在なんです!」
「へ、へぇ……そうなんだ?」
「そうなんですよ、それでいて僕よりもずっと若くて……凄いなぁってずっと思ってるんです。尊敬しちゃいますよね!」
「そうだね、あんなに若いのにMUって凄いマシンも作って創作部を裏から支えてるから凄いと思うよ」
ぶっちゃけ私はプログラマーも機械工学もさっぱりだ。文系出身の女子なんてそんなもんだよね?
リストくんはお盆を胸に抱いて尻尾をわさわさ振っている。まるで自分のことのようにフェルミのことを思っているのを感じると、初見で「変な子」って思った自分がちょっと恥ずかしくなってくる。
「リストくんって、将来どんなふうになりたいの?」
そう問いかけたのは、リストくんが自分と違ってきちんと目標を見据えてひとつひとつの行動をとっているのが眩しく感じるからだ。
彼が何を以て勉学や日々の行動を決定しているのか、それが知りたい。純粋にそう思ったのだ。
リストくんは頬を指で少し掻いてみせた。少し口に出すことをためらうような、おずおずとした様子。
「僕、自分で設計したロケットで宇宙に行きたいんです」
それでも、彼は私の想像の範疇を超える具体的な将来像を提示してきた。
「だから大学では機械工学をベースに航空工学と宇宙工学を専攻してるんです。もうすぐ専攻を絞って本格的に博士号を取りたくて勉強を……わふっ!」
あまりの可愛さに私はつい持っていた伝票を置いて、両手でリストくんをハグしてしまう。
「凄いよ! そこまで考えてるなんてびっくりしたー!」
「わわっ……千尋さんっ、苦しいっ……!」
もふもふとした彼の尻尾や首筋を丹念に撫で回す。
あぁもうなんて可愛いんだろう。無垢で純粋な天使のようだ。
「こら千尋ッ! このクソ忙しい時に何やってんだ!」
厨房からタマの怒鳴り声が聞こえるがスルーしてリストくんの柔らかな首筋の匂いを嗅ぐように顔を埋める。
そのもふもふの毛並みも、柔らかさも、夢も……自分にはないものだらけなことを痛感する。
「私もリストくんみたいになれるかな……」
囁いたのはきっと彼なら私のそういう部分も受け入れてくれるであろう信頼の証。
「なれますよ。千尋さんならきっと」
リストくんの言葉に少しだけ救われたような気持ちになる。
「8番テーブルのナポリタン! 早く持っていけ!」
タマの罵声も気にせず、少しだけリストくんに甘える夕方の一幕であった。
* * *
「あれ、やなゆーさんじゃないですか」
「よう。今日はよく会うなぁ」
Cafe「Rain」を出てすぐのところにあるベンチに腰を下ろし、MUを弄っていたやなゆーはふと顔を上げる。
「営業のお仕事ですか?」
「あぁ、音楽課のところに来訪者が居るってことで俺がエスコートをしに来たんだ。今トイレ待ち」
「へぇ……そんな仕事もあるんですね」
「あぁ。社外で関わった人がどうしても社を見たいって面倒な話になっちまってな……他にも打ち合わせとかなんやかんやと社に人が来ることは珍しくない。そういうときは営業部のメンバーとか、受付が案内を担当するってわけだ」
やはり打ち合わせを社外とかよその会社でばかり行う……という流れにするのは難しいし、どうしようもないのだろう。
株SOUは秘密の会社でいろいろな世界からクリエイターが集まっていることを隠蔽しなければならないが、一体どうしているのだろう。
「MUを使う」
何気なくやなゆーさんの隣に座しながら問いかけた質問に対し、彼の返答は至ってシンプルだった。
「MUの五感操作魔法で取引先の世界に酷似した光景が彼らの目の前に広がっているように調整している。彼らが、例えばキミの世界からの来訪者だったら……そうだな。この会社はせいぜい大きなビル・テナントで従業員は皆人間に見えるようになるはずだ」
「なるほど……社内の光景そのものを相手の知る世界に合わせてしまうということですね」
「そういうことだ」
困ったらとりあえずMUに頼る、くらいに超便利なMU……と考えながらポケットから無造作にスマホタイプのそれを取り出した。
「お、千尋さんもMU貰ったんだ。フレンド交換しようぜ」
「フレンド交換って……なんですか? SNS?」
私は現実で少しだけSNSをやっていたが、主に使っていたのは大学生の頃までだった。
前前職はブラック営業職でSNSはもっぱら連絡用。前職は猫の喫茶店の店員で連絡は黒電話だったのでSNSとは縁のない生活だった。
「んーと……社内のメンバーとは誰でも通話とメールのやり取りができるんだけれど、フレンド交換すると相手の位置に瞬間移動できたり、相手が今社内で何してるのか見れたりとか、何かと便利になる」
「そういうことなら良いですよ」
やなゆーさんは別に悪い人じゃなさそうだし誘いに応じる。どうやら社内向けSNSアプリのようなものがあるらしい。
お互いのMUをさっと翳すと、フレンド申請はあっというまに終わる。
「これでOKだ」
「すごーい、あっという間……」
「何かあったら連絡するよ。千尋さんも会社で困ったことがあったら遠慮なく連絡して」
「タマの愚痴を吐く時に連絡させてもらいますね?」
やなゆーは苦笑して肩をすくめた。そして、レストルームのほうをちらりと見る。
が、来訪者の人はまだ来ていないようだ。
「千尋さんは今休憩なのか?」
「えぇ。コンビニで少しスイーツでも買ってこようかなと思いまして」
「なんで財布持ってんの?」
え? と小首を傾げる。
確かにコンビニに入るのは初めてだけれど……。
「コンビニにあるものは全部福利厚生で買えるから、必要なのはMUの端末か生体認証くらいだろ」
「えっ、そうなんですかっ!?」
「コンビニはおろか画材や創作に必要な代物全て会社持ちだろ。買ったものは全部MUの認証で引き落とされる。っつーか、カフェだってレジで値段言ってるけれど、あれ給料天引きじゃなくて全部会社持ちだぜ」
確かにレジで会計をするときは皆MUを突き出して端末を添えるか、指先をMUに触れてもらっての生体認証のどちらかでお金をやりとりしたことは一度もなかった。
私の中では「あーはいはい、クレカみたいに会社が代わって一度払ってくれるけれど給料から天引きされるシステムでしょ知ってる知ってるー」というノリだったので、衝撃の事実に私は唖然とするしかなかった。
「え!? 社食は!?」
「福利厚生で無料」
「自販機の缶ジュースは!?」
「MUかざせば出てくる」
「やなゆーさんが吸ってたタバコも!?」
「それは流石に有料で天引き。でも、俺の給料はそれくらいしか使ってない」
「……マジですか?」
「マジ。俺は独身寮に住んでるけれど、そこもタダだから給料たまりすぎて逆にいつ使えばいいのかわからなくなる程度には働いている時にお金使わないぞこの会社」
衣はともかく、食住はほとんどカバーできてるなんて――。
「どこかの名だたる大企業ばりの超優良優遇福利厚生ッ!」
私は思わず拳を振り上げて叫んでいた。ホワイト企業バンザイ!!
食いついてきた私をやなゆーさんがぽかんとした目で見上げてくる。
「独身寮ってどんな感じなんですかっ!?」
「そこそこ広めで家具一式ついてるから入居は簡単だったはず……詳しくは総務に行って確認してみたらどうだ?」
「はい、確認してみますね!」
ふたつ返事で立ち上がり、エレベーター・ホールへと向かおうとして――
「やなゆーさん! 総務って何階でしたっけ!?」
「今行くのかよ!」
盛大に突っ込まれる。だってそんな良い情報、すぐに確認しなきゃ損だ。
やなゆーの「3階!」という声と同時、
火災報知器のような、けたたましいアラートが鳴り響いた。
* * *
「え、なにこれ……火事?」
私はうるさいアラームに耳を塞ぎながら、天井を見回す。
日頃は見落としがちだが、赤や黄色のパトランプが天井付近に設置されており、それが存在を遺憾無く知らしめるようにぐるぐる発光して危機を伝えていた。
「火事じゃない! 検閲だ!」
やなゆーさんが目を剥いて叫ぶ。
「え、どどどどうしよう!!」
困った――と思う前に反射的にMUを引き抜く。
その画面にも大きく「検閲です。至急防弾室へ避難してください」という一文が蛍光色で表示されていた。
「今は検閲中だからMUはほとんどの機能がダウンされてるんだ!」
「な、なんで!?」
「こんな便利なツール、敵の手に渡す訳にはいかないだろ!」
敵、という単語に心臓が鷲掴みにされたような重苦しさを感じる。が、それも一瞬のこと。
あぁそうか、納得……と安堵する気持ちの方が大きかった。
って、落ち着いている場合じゃない。防弾室!? 防弾室ってどこ!?
確か勤務初日に教えてもらったんだけれど、綺麗に脳内から弾け飛び、霧散してしまった。
「あっちだ! エレベーター脇の通路を進んだ突き当たりの部屋!」
「や、やなゆーさんも一緒に行きましょう!」
人差し指をさすやなゆーは別の方向に身体が向いており、防弾室へ向かうとは思えなかった。
「俺は客人を迎えに行く! すぐに行くから先に行ってろ!」
「わ、分かりました……!」
そうか、やなゆーさんは客人の案内をしようとしてたんだっけ。それは放置して逃げる訳にはいかないよね……!
周囲を見渡せば、わらわらと社員が一同にエレベーター・ホールへと向かっていく。きっとみんな防弾室に向かうのだろう。
――パパァンッ!
軽やかに響くクラッカーが弾けるような音は初めて聞くが、それは銃声なのだろうということは一瞬で想像がついた。
音の聞こえた先は会社の入り口がある1階だ。吹き抜けになっている2階から見る勇気は私にはとてもない。
「千尋!」
鋭く名前を呼ばれた。
振り返るのと同時に、タマの柔らかな肉球が私の手首を掴む。
「タマ……」
「逃げるぞ! あれだけ足に自信があるのに腰抜かしてるんじゃないバカ!」
気付けば、私は地べたにぺたんとアヒル座りしていた。
「こ、腰が抜け……え? あ、ほんとだ……」
「全く、お前と来たら。この騒動の時に……!」
牙を噛み締めて本気の説教モードにスイッチしそうになったタマだが――次の瞬間、目を丸くして動きが止まった。
「……思い出した」
「え、何が?」
「伝えなければならなかったこと、だ」
タマは私の手首を強く引っばって体を持ち上げる。
そのままお姫様抱っこの形にされて……って、ちょっと待って、こんなにタマって力持ちなの!?
状況が状況なのに顔の火照りが止まらない。顔を両手で隠す。
タマはそのまま走り出す。エレベーター・ホールの先にある防弾室へ向かって。
「前になにかの本で読んだんだが――」
やめて〜〜〜〜いま、私それどころじゃない〜〜〜〜!!!
「『フィンランディア』はかつて検閲の対象になったことがあるんだ」
え……?
お姫様抱っこのまま、私はタマの表情を見上げる。
「フィンランディアは、初演当時ロシア帝国によるフィンランド弾圧があった頃。フィンランドの作曲家が、弾圧に屈しないよう、民を励ますように。抗うように――そういったテーマの下で作られた曲だ。だから、ロシア帝国はフィンランディアに検閲をかけ、演奏禁止処分にしたんだ」
「フィンランディアが検閲対象曲……?」
「でも、俺達の住んでた世界では随分と過去の出来事の筈だ」
ふと、胸中に嫌な予感が過ぎった。
その予感を払拭するために、確認しなければならないことがある。
私はタマの腕を払って飛び降りた。
「千尋さん!」
走ってきたやなゆーは――ひとりきりだった。
「お客さんはいましたか!?」
「トイレにはいなかったんだ。こんな時にどこに行ったんだ……」
喉が絞まるような気がした。
「音楽課に来訪したお客様は何人でしたかっ!?」
「え……ふたりだが」
「特徴とかありますかっ!? 例えば、顔立ちは私よりもずっと顔の彫りが深いとか! 私と比べるとちょっと昔っぽい服の人だったとか!」
「どうして、そんな知ったようなことを!? 心当たりがあるのか!?」
悪い予感であってほしいとそう願わずにはいられない。
今は悠長に喋っている場合じゃない。一刻も早く、この手がかりを誰かに知らせなければ。
――誰に? そうだ、あの人しかいない。
私はタマに抱きつくようにそのエプロンのポケットに手を伸ばす。
「借りるよ!MU、通話開始して!」
「ちょ――千尋、どこに行くんだ!」
「音楽課! 夏葵ちゃんが危ない!」
私はスマホ型のMUを耳に押し当てながらエレベーター・ホールへ向かう。
(16話目に続く)