猫と珈琲とOLの関係性について(11)
縁ちゃんをお借りしました。
夏葵とはホールで別れた。
彼女はパート別練習に混ざらずに自分の譜読みのことを真紅の翼を持つ指揮者であるネフィン・オリードと話し合う。その表情は真剣そのもので、そのディスカッションでオリードは声を荒げる事はなかった。きっと、少しのイメージの差異が音に微妙に影響を与えていたのだろう。
「俺はオリードに話を聞いたが、彼女には期待しているんだってよ。だからつい言葉が強くなったと言っていた」
「期待しているって……?」
後追いでタマが囁いた言葉に私は小首を傾げる。
「夏葵はオリードの中でもイチオシの耳が良い子らしくてな。コンバスの演奏者としてだけでなく、ゆくゆくは指揮者としてもオーケストラを率先して引っ張っていってもらいたいと考えているらしい」
「そうなんだ……そのことを夏葵は知ってるの?」
「さぁな、そこまでは聞かなかったが……あの様子じゃ流石に知ってるってことはないんじゃないか。まだオリードとクリーシアの秘密なんだろう」
クリーシアは青い翼を持つ第一ヴァイオリンだ。クリーシア・アルトといい、ネフィンと一緒にオーケストラを纏める存在だろう。
「あのふたりさぁ、付き合ってるのかな」
ふたりとも翼を持つ有翼族の男女だ。傍から見ていてもお似合いのカップルだと思ったのだが――。
「ふたりはもう夫婦だぞ」
「えっ、なんでタマがそんなこと知ってるの?」
「匂いでわかるだろ。普通に喋ってれば、なんとなくそのふたりの関係はわかる」
「猫ってそういう感じなんだ……」
感覚鋭っ! きっとタマや獣人さんを相手にそういう秘密は作れないんだろうなぁと心に刻みつつ次の課の見学のためにエレベーターへと向かった。
*
ライトノベル課とか、文学課といった文芸を扱うクリエイターの集結するフロアから、手芸を専門に扱う縫成課、工芸課……それ以外にもコアなクリエイターが揃う空間もあった。
特に印象に残っているのは工芸部だ。
縁ちゃんという小柄な狼獣人の子がギャンギャン騒いで遊んでるだけの職場かと思いきや、鉱物を目の前にして加工を行ってる時の鋭い目つきと言ったら。
「凄いね。こんな綺麗なネックレスをあっという間に……」
「あはは、集中する時にガッとやるタイプなの私」
縁は額にゴーグルを戻しながらどや顔を決めてみせる。
そのネックレスは小さな翡翠が付けられ、あとはショーケースに入れれば百貨店で並ぶものとしても遜色ない出来栄えであった。淡く艶やかな緑のワンポイントは日頃のおしゃれとして首から下げる装飾品としてぴったりだろう。
私がうっとりと見つめていると、縁は満足そうに口元に笑みを浮かべる。
「それあげるよ。千尋さんによく似合いそう」
「え……でも、これ商品にして売るものじゃないの?」
「商品にするのは、営業部のひとが持ってきたオーダーメイドの受注品だけだよ。これは私が自分で作りたいなーと思って作ったやつだからいいの」
貸して。彼女はサッと手を伸ばして私の手からネックレスを攫うと、留め具を外して私を見上げた。
私はうしろ髪をそっと両手で持ち上げる。
もふもふとした柔らかな毛並みに包まれた手によって、私の首にペンダントが付けられた。
「うん、いい感じ。すごくよく似合ってるよ」
縁は手鏡を手に取ると、私に向ける。鏡の中の私にとって、世界でたった一つしか無いネックレスは不思議なほど自分にピタリと似合っていたのだった。
「ありがとう。大切にするね」
私は少し頬を火照らせたのだった。
*
「こうして見てみると、クリエイター業務って結構あるんだねぇ」
「クリエイターと言うと絵や文章に傾倒しがちだけれどな」
見学させてもらった課の印象をエレベーターの中でタマと囁く。
「工芸も立派な創作よね。原石があるぶん、他の創作とは違って一品物で同じものは作れないけれど……でも、凄く魅力的だったなぁ」
そういう世界があることを、私は今日はじめて知った。そしてその魅力の最初の1つを知ると、もっとその魅力を知ってみたいと思ってしまうのだ。
「千尋はさ」
私の隣に居るタマは私を見ないで囁いた。
「ここまで見て創作部を兼部しようとは思わないのか」
私はこちらを見ないタマを見上げる。
「確かに今まで見てきた創作部のひとたちは凄かったよ。みんな、才能や熱意があって……でも、それに至るまでにいろんな努力を重ねてきていることを知った。でも、今の私は何もないの。きっと私は何もない自分が一歩を踏み出して自分の知らない世界に飛び込むことを怖いと思っているの」
「……怖い?」
「才能あふれるひとたちの作った作品と、何もない私の作品を見比べて――その時、きっと力量差を目の当たりにする。こういう世界があることを知ることが、その世界へ一歩を踏み出すことが遅かった自分の程度を知ってしまうことが、恥ずかしくて怖いのよ」
熱中して夢中になれるのは、羞恥やという感情を知らない幼少の頃からそれに浸りそれが当然だと思える環境が根底にあってこそだ。
他ならぬタマだって、絵を描くときにはその才能や熱意を遺憾なく発揮していると思う。きっと、私の知らないところで沢山の努力を積み、熱中して夢中になれる領域まで自分を高め続けてきたのだろう。
24歳の私は何も持ち合わせていない。己の「好き」を作品として表現する力を高め続けるために恥も外聞もなく作品と向き合ってきたひとたちと、空っぽの自分を比較されることを考えると恐ろしくなる。
「趣味で、遊びで……そう言いながらも作品を作れるのって、それもきっと立派な才能の一つなんだと思うよ。『作品をきちんと完成させる才能』という意味でね」
エレベーターが止まった。開いたドアに向けて私はタマを置いて歩き出した。
彼を取り巻く見えない壁は、それを見つけた頃とは違う性質を持つようになっていた。
それはまるで電気を帯びているようで、創作部のことを知れば知るほど、そのピリピリとした痛みは強くなっていくように私は思った。
ただただ、痛い。
(12話へ続く)