猫と珈琲とOLの関係性について(7)
オープンからひっきりなしにテイクアウトを作り続けていたが、お昼時になると今度は店内と軽食の注文が増えた。パスタ、ピザ、トーストにパンと目が回りそうなオーダーの嵐に、遅くやってきたタマとノーべが厨房で私とリストくんが接客という布陣で迎え撃つ。
……それにしても、入社して数日で厨房任されるなんてちょっとは先輩のリストくんに遠慮ってものを知らないのかしらねぇうちの猫は。
出される料理の美味しそうな香りと見栄えの美しさに余計に腹が立つ。
「千尋、これは4番テーブルのお客さんだ。落とすんじゃないぞ」
「言われなくても落とさないよ!」
そんなやり取りを交わしつつ、仕事をテキパキとこなしていく。
横目に見るお客たちは人間であったり、なかったりしたが皆一様に秀でた何かを持っている気がした。
例えば机に紙を広げていたテーブルに注文を届けるとき、ふと見ればそこには漫画のネームらしきモノが描かれていたりとか。社内を見てぼんやりとしながら大きなヘッドホンを着けてオーダーを待つ女性だって、その傍らには恋人のようにコントラバスのケースが置かれている。
私からしたら異次元の人達だ。
オーダーの提供が一段落したのでカウンターに戻り、吊り下げられた伝票を見て次のオーダーを確認して出来上がりを待つ。
「千尋さん?」
「ひぇっ!?」
気配もなく背後から声を掛けられ、ビクッと肩を竦める。
振り返ればリストくんが小首を傾げていた。
「疲れましたか? 朝から働きづくしですし、ここらで一息入れたらどうでしょうか?」
「ううん、大丈夫! 身体の方は全然へっちゃら!」
ぼーっとしていたところを悟られまいと必要以上に笑顔を浮かべて見せた。両手の拳を握って胸の前でグッと構える。
むにゅ。
ところが、そんな様子を見たリストくんは両手を伸ばすと、私の頬を指で軽く摘んだ。そのままくい、と軽く口角を上げるように動かす。
「表情硬いですよ。お茶を少し飲んで一息ついてくださいね」
「っ……うん……」
にぱ、と笑うリストくんの表情は、日頃は大人っぽい落ち着いた雰囲気なのにその瞬間だけ子どものようだった。まるで、虫取りに来た少年が目当てのカブトムシを捕まえた瞬間のような笑み。
ギャップに思わず頬が火照る感覚を覚えながら、私は少しだけ水を飲んで休憩するべくバックヤードに向かうのだった。
* * *
怒涛のランチタイムが終わり、午後二時過ぎにようやく一息つける程度に落ち着いた。
賄いで明太子のクリームパスタをタマに作ってもらう。エプロンだけ外して彼と一緒に隅の四人席に移動した。
「……って、タマも明太子のクリームパスタなんだ」
「別に合わせたわけじゃない。俺も同じのを食おうと思ってたところだ」
じろり、と金色の瞳で見られるが同じ皿を間に置くと、ちょっと気分がいい。いただきます、と手を合わせて同じタイミングでフォークを持った。
「ところで、千尋は創作部と兼部しないのか」
不意にタマにそう切り出され、きょとん、と小首を傾げた。
「兼部なんて今は考えてないなぁ。私は今カフェのメニューを覚えるので精一杯だし……そういうタマはやっぱりイラスト部と兼部するの?」
「俺はもう昨日兼部届けを出してきたぞ」
私はフォークを咥えたまま、食事の手を止める。
「えぇと、初耳なんですけれど?」
「別に言ってないからな」
あーん、とパスタを巻きつけたフォークを口に差し込みつつ彼はいけしゃぁしゃぁと言う。
「やなゆーさんから入社する時に『可能であればイラスト部も兼部したらいいと思う』って推されてな。初日に見学させてもらって、翌日には入部を決めた」
「何でそういうことを言わないの!?」
「別に……絵を描くのは俺の趣味だって千尋もわかってるし、それで少し給料も上がるんだからいい事づくしじゃないか。流石に俺はノーべさんみたいに自分のゴールデンタイムを決めて店を離れたりはしないが」
もっとも、俺のゴールデンタイムは店がクローズした後の深夜だけど。
そう補足のように言うタマに、私は、はー……と大きく息を吐いた。
「あのね、そういうことは私にも一言くらい言って欲しかったなぁ」
「何だ、空いた時間見計らってデートにでも誘うのか? 行かないけどな」
「違うそうじゃないッ!」
私が思う感覚とタマの感じてる感覚って違うのかなぁ、と深い溜息(二回目)を吐いた。
確かに恋人でもなんでもない仲だし、言う言わないの選択肢はタマが握ってるけれどさぁ……。
「私はタマと一緒に喫茶店ができて楽しいよ」
「俺も千尋と一緒に此処で働けて楽しいぜ。なんだかんだあの猫の姿だと全然喋れないし、楽しかったけれど物足りなかったからな」
「そういうことはしれっと言うんだから……」
私はフォークでパスタを弄りながら囁く。少し耳が熱い。
本物の猫になったタマと私が一緒に生活を始めてから一ヶ月という頃合いでやなゆーさんが来訪し、私とタマを株SOUにスカウトしたのだ。
無垢で無邪気に撫でさせてくれたり、くれなかったりする彼と一緒に和む生活も素敵だったけれど、心の底で彼はやっぱり二足歩行で立ち上がって私に皮肉を言うのが彼らしいと思っていた頃合いだった。
だから私はその話を受けることにした。土日はお休みを頂きたいという条件付きで。
「折角こんな面白い場所で働かせてもらえるんだし、千尋も何か新しいことを始めたらどうだ?」
「私が? えぇ……でも……私ってタマみたいに上手な特技はないし……」
「まだ社内を全然見てないんだろ? この後少し時間貰って一緒に会社見学にいかないか」
確かに私はまだ会社の全容を見てはいない。株SOUの二階には大きな社食とコンビニエンスストアと雑貨店(本物の雑貨店だ。絵画に必要な道具や楽器用品、パソコン用品まで何でも揃っている)があるのは興味本位で覗いたものの、巨大なエレベーターが四基揃ったエレベーター・ホールの先、会社の上層階は未知の領域である。
私はこくんと頷くと、タマは「決まりだな」と小さく囁いたのだった。
(八話目へつづく)