猫と珈琲とOLの関係性について(4)
リストさんと一緒に二階のカフェ「Rain」に戻ると、店は既に夜の営業になっていた。厨房に近いところで黄色の明るい毛並みと白黒のツートンカラーの毛並みがそれぞれ何枚もの紙を机に広げ、幾つものグラスやマグカップを片手に真剣に何かを話している。
「なるほど、この『アーモンド&ホットココア』は美味しそうだ。クリームの上にアーモンドを乗せる見た目も良い。これからのシーズンにもよく似合うだろう」
「自信作なんだ。期間限定のメニューとしてピックアップし、宣伝していく方針でどうだろう?」
「それは良いね……っと、千尋さん。もう体調は大丈夫かい?」
こちらを向いていたノーべがいち早く私のことに気づき、振り返る。
私は頭を軽く下げて、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「ううん、全然迷惑だなんて思ってないからね。気にしないで」
ノーべさんの言葉と笑みにほっと息を吐くと、タマが振り返った。
「なぁ、千尋。あの時のことどこまで覚えてるんだ?」
「あの時って……」
「ヴィルヘルムとの一連のいざこざの時のことだ」
「容赦なくぶっ倒れた原因のことを根掘り葉堀り聞いてくるねぇ……」
私は盛大に溜息を吐いて肩を落とすが、タマはそういう猫だから仕方ないと思うしかない。
少し記憶を辿って、
「えぇと、ヴィルヘルムさんがぐっと顔を寄せてきた辺りで記憶が途切れてますが」
そこまで聞いておきながらタマの返事は「ふぅん」と素っ気ないものだった。
「俺はノーべとメニューの打ち合わせしてるから、千尋はリストさんに色々教えてもらいな。リストさん、千尋を頼む」
「はい! お任せください」
自分より後輩ながら年上でカフェマスターという立場である猫に色々指示を出されても文句一つ言わずに尻尾を振っている辺り、リストさんはどっちかと言えば狼よりも柴犬のように見える。
初めてのお店なのでまずはお店はランチタイムとディナータイムがあることから教わった。オープンは10時。18時からディナータイムでメニューが大幅に増え、お酒も飲める時間になっていく。クローズは少し早めの22時だ。平面図を使って席の配置番号を覚えることからはじまり、厨房についての説明を一通り受け、メニューについての解説を終えた頃合いで私達は一服することにした。
彼はタバコも吸わないらしく、店で販売している小分けに包装されたドーナッツの封を開けた。傍らにはブラックのコーヒー。私はアイスティーのミルクだ。
話は私がリストくんのことを少し探るように、当たり障りのないところから始まったのだが、リストくんは隠し事をするようなタイプじゃないらしく色々と話してくれた。
「へぇ、リストくんって20歳なんだ!」
「元の世界ではまだ大学院生で……元の世界で経営していたアルバイトをしながら学校に通ってるんです」
大学院生、という響きにある種の感動すら覚える。
少なくとも、私の周りで勉学に打ち込んだりその道の専門家になろうという志を持った友人は居なかった。
「大学院って……凄いね、アタシは特にやりたいこともなくてなんとなくで大学出ただけだからなぁ~」
「千尋さんが住む世界って、進学率がとても高いんですよね? それって、ボクらにしては凄く羨ましいことですよ」
「そうそう、世界を見渡すと日本って大学に進むけれど、それは就職のために必要なこと~みたいな風潮があるしねぇ。実際に大学で学んだことなんて、殆ど役に立たなかったよ」
リストくんはそんな私の様子に少しだけ視線を落とす。
「そういう世界なんですね。なんだか、あらゆるモノが溢れていて才能がある人が増えて順風円満な感じがします」
「まぁ、悪い世界じゃないと思うけれど……」
「勉強してきたことが全く通用しない、畑違いの仕事をするのって辛くないですか? ボクなら辛くて逃げ出してしまうかもしれません」
不意に飛び出したリストくんの囁きに、私は少し頭が痛くなる。
「実際かなり辛かったよ。初めて就職した会社がデザイン系の営業の仕事での採用で、経験値0からスタートするわけで……何も理解してないから取引先に怒鳴られたり全くと言っていいほど活躍できなくて……毎日それなりに頑張ったけれどさ、上手にできないと怒られるんだもんねぇ」
何だこの企画書、お前俺の話聞いてたのかよ!
先方からお怒りのクレームだ! お前は一体何をしてたんだ!
毎日毎日怒鳴られて、いつしか自分の心を休める瞬間もなくて。
私が思い描いていた未来って、そういうものじゃなかったのに――……。
「まぁ、そこに至るプロセスの前にもう少し自分の将来とか、そういうものを考えて行動すれば少し違う未来があったのかもしれないけれど……」
前置きのように囁くリストくんは正論だ。私が考えてこなかった部分は否定をしようとはしない。
「だけど、そういう日々があって初めてタマさんとも会えたし結果的にボクとも会えた。そういう考えもありますよ」
「うん、そうだね……」
前向きなリストくんの言葉と彼の柔和な表情が温かい。
私が本当にやりたかったこと、それはきっと今のように平穏で穏やかに過ごせる仕事をすることだったんだなとタマに教えてもらったんだ。
彼が差し出してくれたドーナツを受け取ると、私はそれを軽く齧った。少しだけほろ苦くも甘いママレードの練り込まれたドーナッツは私のブルーな気持ちを少しだけ乖離してくれるような、そんな気がした。
(第五話へつづく)