猫と珈琲とOLの関係性について(2)
ノーべが淹れてくれたアイスコーヒーを飲みながら、向かいに座った彼を見下ろした。律儀に履歴書なんて作ってきた千尋とそれを眺めるノーべのせい面接のような雰囲気になっていく。
堅苦しい雰囲気に俺は早速飽きてきて脚を組んでコーヒーを飲む。
流石にカフェを経営しているだけあってノーべのコーヒーを作る腕は確かなようだ。俺のコーヒーにも劣らないくらいに美味い。
「雪島さんは……」
「あ、千尋って呼んでください。あんまり名字で呼ばれるの好きじゃないので」
初見のノーべから出た言葉を遮って名前呼びを強要する千尋。
そんな名字で呼ばれるのは好きじゃなかったのか? 初耳発言に俺もちらりと隣の千尋を見下ろす。
「そういうことならお言葉に甘えて千尋さんって呼ばせてもらおうかな。えっと、この書類では喫茶店のレクイエムでタマさんの下で店員をしていたみたいだけれど、コーヒーは淹れられる?」
ノーべもその辺は何かを察したのか、すぐに名前呼びして話題を逸した。
「満足いくものを淹れられるかはわかりませんが、淹れるだけなら……」
「一応焙煎や挽く技術、一通りのことは教えてる。俺の納得行くようなものはまだ淹れられてないけれど、そこらのカフェ店員よりは美味いコーヒーを淹れられるはずだ」
俺の補足説明に意外、とでも言うように見上げる千尋。
「なんだよ、一緒に仕事した正当な評価だろう。それとも、もっと辛辣な物言いをしてほしかったのか?」
「辛辣な評価も言動も結構です!」
ぷい、と視線を逸らす千尋。そういうリアクションがあるとついいじめたくなるんだよなぁ。
「なるほど、それならカウンター業務も任せて大丈夫そうだね。接客はもちろんオッケーだろうし、何も心配はいらなかったね」
「私、採用で大丈夫でしょうか?」
千尋の言葉にノーべがぽかんとした表情を浮かべ、
「あはは、何言ってるんだい? もう働いてもらう前提で呼んでるから採用に決まってるじゃないか」
「えっ、これ面接じゃなかったんですか!?」
「何かの勘違いじゃないかな、うちの営業は基本的に適正のある人材をスカウトしてくる形態だからね。もちろんタイプが合う合わないってのは会ってみないとわからないから、そういう意味では面接といえば面接なのかな……。少なくとも、私が君達とこのカフェで一緒に働いてみたいと思うかどうか。それを最終的に確認しただけで、もう胸中では殆ど一緒に働くことは決まっていたよ」
「そ、そうだったんですか……真面目にスーツを着てきた自分がバカみたい……」
「その姿も似合ってると思うよ。でも、この会社でスーツ着るのは営業部くらいだから、もう着てこないほうが良いよ。次からは私服で大丈夫。制服も用意しておくから」
にっこりスマイルを浮かべるノーべに安堵したように息を吐く千尋。俺はそんな千尋の姿が面白くてカカッと笑みを浮かべてしまう。
「ところで、スーツ着てこないほうがいいってのが引っかかるな。そんな理由があるのか」
「えぇ、まぁ……」
ここだけの話なんですけれどね、とノーベが声を潜めたその矢先だった。
「ほう、スーツの似合う女子発見! しかも容姿端麗と来た! お前は営業部の為に入社したんだな、そうだろう。我々は歓迎するぞ!」
野太い声が響いた。壁のないオープンカフェの外からぶっとい腕を組んだ大柄な……というかデカすぎる犬の獣人が満面の笑みを浮かべている。首が三つ、灰色のスーツに黒い毛並みと来たら威圧感は相当なものである。
俺でも驚いたのだ。隣では千尋が完全に怯えきっている。
そんなことも意に介さず、彼は自身の銀色のスマートフォンによく似た機械を取り出して操作する。
「名前はユキシマ チヒロと言うのか。おぉ、しかも過去の経歴は営業もしているじゃないか! まさに弊社に必要とも言える人材!」
「ヴィルヘルム営業部長、勘弁してください。千尋さんは我々のオープンカフェの店員として採用された方なんですから」
「ははは、細かいことは気にするな。兼部も大歓迎だ!こちらとら、猫の手も借りたいくらいの人材不足に陥っているからな!」
「だったらそちらで人手を探してスカウトしてくるのが筋ってものでしょう。こちらだって人手不足は同じです」
強引に千尋を獲得しようとする筋骨隆々な犬の化け物は思考も単純なのか。抑えに回るノーべを独自理論でパワフルに壊しに来る。
これがスーツを着て来ない方が良い理由か。絡まれたら確かに厄介そうだ。ため息をひとつ吐いて、やれやれ、と頭をかいた所で――
不意に袖を引っ張られた。
何事かと振り返れば、千尋の手が裾を掴んでいた。俯いたその表情は真っ青で、明らかに怯えを通り越してパニックに陥っているような気すらした。
そういえば、彼女は初めて会った時……。
「まずは本人の意向を聞いてみることが最優先だろう。どうだ、営業部に兼部する意思は――」
ずいっ、と近づいてくるヴィルヘルムのデカイ3つの顔。その真ん中に俺は裏拳を叩き込んだ。
「おっと悪ィな、手が滑ったわ」
思わず仰け反ったヴィルヘルムの様子を横目に俺はグイッ、と千尋の身体を抱き寄せて彼から隠した。微かに彼女が震えているのが毛並み越しに伝わってくる。
「こいつはアンタみたいな威圧的なやつが苦手なんだ。あんまり近づかないでくれるか。それと、こいつは俺の部下みたいなもんだから話をするなら俺を通せよな」
「なんだと、貴様ッ……!」
ヴィルヘルムのでかい手が伸びて俺の胸ぐらを掴む。凄まじい怪力に俺は腰が浮かび、思わず「ぐっ……!」と蛙が鳴くような声が漏れる。喉を襟元が締め上げて苦しい。
その時である。
(三話目につづく)