更新
更新するってすごいよね。毎日更新したらそれは大変なことだよ。
でも毎日更新したら、それは更新するのが当たり前になっちゃう。
どんなに犠牲を払って誰かのためになることをしても、それをすることがあたりまえになってしまうと、しないことが異常になってしまう。それが人助けであっても、感謝もされなくなる。
感謝など求めているかは問題ではなく、人助けをすることが当たり前になっていたなら、それをやらないこと、また簡単な失敗で寧ろ恨まれる結果を生むことになる。
その点不良が仔猫可愛がっているとポイント稼げるし、みんなニコニコ。不良は仔猫の面倒を見る必要はないし、プッシーキャットよりどちらかと言えばキャットのプッシーが好きだ。
だからぼくも仕方なく敢えて心を鬼にして、頻繁に更新をしないことにしている。
更新その2
更新するだけが人生じゃないと思う。
現代に伝統文化と言われているものは大抵、価値は認められてはいるけど、保護しないといけない立場にあるよね。
それらは過去には普通のものとして存在していたよね、一般に楽しまれ、ファンがいて、商売が成り立っていた。
いつから伝統が守ることになってしまったのだろう。いつも引き継がれゆく文化や技術はあったにしても、その時代に必要とされるものを提供してきた、それが伝統だった。
今になっては変わらない何かに価値を見出している。変わることを悪いかのように。本来は昔から変わり続けていたから価値があり、伝統として続いてきたのに。
そんなわけで現代のやり方に倣って、変わらないスタイルを評価しよう。というわけで更新はしません。
更新3
グラブルの六周年だかに「こくう、しんしん」というイベントがあった。
ぼくはトップウプレイヤーなので全スキップしたような気がするから内容は知らない。
この「こくう、しんしん」という文字を見て何か気がつくことはないだろうか。
そう、"こうしん"という文字が埋め込まれているのだ。これは世界の教科書であるグラブルからのメッセージであると言える。
"こくう、しんしん"から"こう"しん"をぬくと、く(苦)のみが残るということから、なにかを更新をしないことは苦であると解釈できる。その苦から解き放たれるために苦心し、更新するのが人生の目的である。
同様に8周年イベントの「星の落とし子、空のいとし子」を"こうしん"抜きで読み取っていくと、
ほしのおとしごそらのいとしご
ほのおと そらのいと
しこしこの部分が消えて、炎と、空の糸(意図)になる。これを簡単に訳すと、更新は大事だけれど、たまには更新をサボってもええんよ、むしろそうしてくれ、となる。
これに従って今日の更新はやめておく。
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