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人類の根本的な部分はまだ、その生存が自然に支配され、超越的な存在に頭を垂れていた時代から変化はしていない。
だから人間は合理的に考えるよりも、ずっと非科学的なバイアスに左右される。
その一つとして、畏れを感じた何かを擬人化して、それに阿ると言う行動様式がある。
それは氾濫する川を龍神と見立てたり、海や山に祈りを捧げた。
それは当世に於いては、熊に餌を与えていれば"自分には"悪さしないと思い込んだり、敵対国家に有利な発言をすれば"自分だけは"よく扱ってくれると思い込むのに近い。
勿論、人が何かを祭る理由の全てがそれではないが、恐怖によって突き動かされるのは大きな動機である。
人が恐怖に屈服するかどうかの違いは、実は些細な違いによるものだろう。
その時、ちょっと精神が不安定だったから、様々な事が立て込んでいたからなどだ。
そういう"隙"に陰謀論や極端な政治思想、カルトが漬け込む。
執拗な誹謗中傷を繰り広げる人の首根っこを捕まえれば、「プライベートで辛かった」と言うのは常套句だ。
「そんなものは理由にならない」と言う正論は兎も角、現実が辛ければそこから逃避したくなるのは人間の性だ。
そして逃げ込む先は、憤りであり、怒りは恐怖を忘れさせてくれる。
その時、怒りを向けるのは恐怖を与えるものそのものではなく、恐怖を知らせるものなのである。
一部の人々が自国の軍備を嫌うのは、他国に軍備があると知らせるからなのだ。
人生に訪れうる多くの危機は、本当にちょっとした運の差によるものばかりだ。
そして、そういう不安定な状態であることに人は耐えられない。
多くの人は、そのどうしようもない出来事を、どうしようもないと諦め、そして直視を避ける。
だけれど、それが出来ない人は、それを運以外の理由に転嫁する。
通り魔に襲われたのは、素行が悪かったのだと言い、自然の脅威により命を落とせば、環境に対する自然界の警告だと言う。
悪いのは全部、被害に遭った人間に帰すると考えれば、そのようにしない自分は被害に遭わないと思い込めるのだ。
世の中は複雑である。単純な図式では押し込めない。
だが、人は自分が世界を理解できるものだと信じている。
そのジレンマの末に得る解決策は、世界は単純な構造をしていると思い込む事である。
頭の悪い人ほど、自分の不利な情報やルールを「自分に対する悪意」と理解する。
共和国は自分を敵視し、自分に対する不利を強要しているから、自分の今の境遇があると理解していれば、他のあらゆる問題を単純化させる事が出来るのだ。
こういう人達に共通するのは「自分こそが自分の頭で考えているのだ」と言う確信である。
人は常に外部からの刺激を受けて、それに影響されている。そして多くの人はそれに自覚的であるかないかは兎も角、"極端な行動にならない"ように自分を制御している。
"自分の頭で考えていると思い込んでいる人"が、共和国の発表や処置を信じない割に、第三国のプロパガンダや正体のよく分からない人の妄言を"疑念もなし"に信じてしまうのは、何も考えていない証拠である。
考えないから無条件の拒否や無思慮な受容を行うのである。
さて、"人間とはそういうもの"と言うだけで、国家を分裂されてはたまったものではない。
そして国家を分裂させたい"敵"は、往々にしてそういう人間の心理を利用する。
サイレントインベーションは大きな問題であるが、国家秩序を否定する人々の全てを説明するには至らない。
デモに参加するだけで日当が貰えたりするのは些細な切っ掛けでしかない。重要なのは彼等に居場所を与え、敵を与え、闘争心を無駄にさせない事なのだ。
我が共和国では、その切っ掛けになる不安定や恐怖を取り除く事を是としている。それを国民監視や思想教育と言うのならばそれはそうだろうが、国民を愛する事が国家安定に資すると言い換えている。
サイレントインベーション防止法や防諜法制は、そういう恐怖を与える人間を摘発する。
人を恐怖によってコントロールするのは国家の専売特許でなければならない。それが他国によるものであるのなら当然、それを明るみに出して、そのような企みに居場所を与えない。それが善意のつもりならば"教育"や"放逐"が必要と言うだけである。
性自認と生まれの性が違う事があるように、国家とか社会とか自分が生まれたところと自分が合う条件が揃っているとは限らない。
だから、共和国が合わないと言うならば、共和国から出ていって、好きな国や社会で愉快に暮らせばいいし、逆に共和国の理念に共感するならどんな国の人でも受け入れる。
共和国を出て行った挙げ句に、その国で共和国を否定し続ける人は、その国でも落ち着けていない証拠である。
これは逆に、共和国に入ってきて、他国の批判にご執心な人は何かしら不安定である事を意味する。
こういう人は、何か違えば共和国の敵になるので、先に処置をする必要がある。
人間は"理想の実現と言う錦の御旗"に弱いのは間違いない。
問題は、その理想があやふやで各々がバラバラである時である。
国家を一つにするのに明確な敵が存在しないとき、如何に具体的な理想を見せるのかと言うことである。
貧困の撲滅と公正と公平、そして平等、自由と平和、豊かな生活、そして自律だ。
それだけでは漠然としているので、次々に政策を打ち出し、本気で実現するつもりのあることを国民に見せつける事である。
最低限の体裁、お題目ですら実現できない国は、これからの時代生き残れない。
これからの世界は、成功した国家と失敗国家の二つに分かれるようになるのだから。
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