0403
装備ありきの国防論に与しないが、国際社会の現状から目を背ける事が平和に繋がるのだと思っているのなら、それは大間違いだ。
日本の軍事力が暴走する可能性を考える人は何故か日本が攻められる可能性しか考えないし、日本が攻められる可能性を考える人は、日本の軍事力の問題について冷静に考えないフシがある。
こういう人達は、片側の脅威を"警戒"さえすれば、別の問題は気にしなくても済み、心穏やかになれるだろうと考える。複雑なことを考えたくなく、自分がその事業に一切価値を与えられないと言う現実に耐えられないのだ。
単純な構図の中で、自分は正義の側にいられると思うだけで十分とも言える。
彼等の警戒はネットで不確かな情報を広め、精々デモに参加して、そこで過激なことを口走る事しか出来ない。
いざ、外交上の複雑な問題を与えられても責任ある判断はできないし、交渉事で双方の落とし所を探り出す能力もない。
軍備を多くしても戦争は止められないし、軍備をなくしても戦争はなくならない。
戦争が外交的失敗ならば、その成否はかなり巧みで微妙で高度なものの結果となる。
外交で戦争を止めろと言う人は、その外交力を何と定義し、どのようにして涵養させると言うのだろうか?
鉄器を最初に手に入れたヒッタイトは滅び、最初に核兵器を作ったアメリカはその後冷戦に突入した。
二つの大戦が終わったあと、永世中立国が中立を維持できたのは軍事力を維持した国だけだった。
どちらも絶対的な答えにはなってないのは歴史が証明している。
核兵器を持ちさえすれば、相手は攻めてこないと思うのと、武器を棄てさえすれば相手は絆されるのだと思うのは、どちらも単純で極端な方法が決定的な解決法になると考えていると言う意味で等しく愚かだ。
平和と言う特殊で複雑な問題を、単純な方法で解決出来るはずなどなく、使えるツールを全面活用して、高度な外交を用いて維持する他がない。
今重要なのは、そのツールとしての軍事力がいかほど必要で、外交力とは具体的に何であるのかと言う研究であろう。
外交力の涵養には賛成だ。軍事力の強化は、それが国民の負担にならなければ結構だろう。
重要なのは、軍事力を選ぶのか国民の負担減を選ぶのかの二者択一にならないことである。
国を守るのに最低限どれぐらいの予算が必要であり、その予算は適性に、そして効果的に使われているのか、そして財源は何処にするのか。国民に大きな負担になっていないか。
それを全て等しく秤に掛け、公正に判断しなければならない。
国が滅びれば助けるべき国民はいなくなるが、国民を飢えさせれば国防以外で国が滅びる。
どちらも大切な問題で、絶妙な判断を要する。
最後に外交とはカネの掛かると言う事をご留意戴きたい。
軍事力を棄てて、外交に特化すれば軍事予算がまるまる浮くだなどと考えるのは愚かである。
そして、外交力と軍事力は密接な関係にある。
特別な権威や軍事力の背景もなしに、平和裏に戦争を回避出来た例はどれほどあるだろうか?
その奇跡的な、そして天才的な解決策を、可能性があるという理由で選ぶのは愚かだ。
奇跡は何度も起こらず、天才は常には存在しない。
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