0408 納豆が食えるか?

ページ名:0408 納豆が食えるか?

0408

 共和国には「納豆が食えない奴」と言うスラングがある。勿論、実際の納豆が食えるかどうかは関係ない。

 赤の場合の以前だが、御堂ちさと氏がこんな事を言っている。

 男女平等、セクマイ歓迎、医療無償、老後も安泰みたいな光に溢れる国が現にあったとして、その国がそうであるのは、その国民が努力したからに過ぎず、自分から何も持ち出さずにおこぼれに預かろうと言う魂胆で移民すれば、歓迎されないのは当然だ。

 これは北欧だのカナダだのに移民したいとか、移民した人があれこれ日本の悪口を垂れていた事に対する回答である。
 しかしこれは、反面、共和国への移民に対しても突き付けられた言葉である。

 共和国は移民に積極的であるが、求めているのは国に奉仕する人間である。
 その為に、女性やセクマイ、オタクに対する権利の向上が国是になっているとも言える。
 技術や資本を持った移民は大歓迎、我が国に骨を埋める覚悟のある人は我々が価値ある人生のために教育しよう。
 そう言う国である。
 "使える"が母国を追われた人を青田買いしている。

 そう、これは青田買いである。
 遠からず国は方針を変えるなりしてこういう人を囲い込まなければならない。それをいち早くやっているのが共和国である。

 それで"納豆"の話だ。
 共和国は国に対する忠誠を試すような事をしばしば行う。
 移民申請一年目に行われる"共和国"の価値観への適合性テスト、特例を除いた日常に於ける日本語の強制、出身地域や宗教コミュニティに対する介入、サイレントインベーション防止法などだ。

 かつての母国を棄て、共和国を母国にする覚悟を決め、それに邁進する人を「納豆が食える人間」と言う。
 極論、元々日本国の人間でも"納豆"の問題は付き纏っている。

 かと言って、共和国を極端に賞揚する人もあまり褒められないから難しいところだ。
 右翼にせよ左翼にせよ、自分の問題を直視しないようにする為に、自分の国を褒めたり貶したりする人間は、一般的に"未成熟な人間"であるとされる。
 無駄に褒める人間はうっかりしたところで失望する。
 そしてこういう人間は、必要以上に活動的で、様々な物事を歪曲して理解するクセがある。

 基本的に出稼ぎの類もいい顔がされない。
 日本国の外国人技能実習制度と言う、事実上の奴隷制度が念頭に置かれている。
 最悪な環境に置かれた人が逐電するのは尤もな事だ。しかし、それが治安の悪化に結びつくとなれば、悪いのは外国人よりもそれを招き入れた人間に他ならない。

 如何なる仕事をするにしても、共和国に定着し、共和国で働き、共和国で消費し、共和国で子供を作り育てる人。それでいて特定の民族に肩入れしない。それが共和国が国民に求める事である。

 様々なコミュニティもコントロールを受けている。
 宗教にしても何らかの文化を守るにしても、共和国のお目こぼしが必要である。その為には、共和国の意向を守らなければならない。
 そこで"母国"の介入があるとなれば、途端にサイレントインベーション防止法で逮捕である。

 宗教的戒律も共和国に順化するように曲げられる。
 共和国としてはそれが世俗化として"コントロール"される。
 どうやるのか? 力がついてきた宗教指導者を懐柔する。それが失敗すれば、逮捕なり謎の死に繋がる。
「我々は死を恐れない?」
 結構、ならばテロリストだ。立ち所に制圧して見せよう。それが共和国だ。

 尤も、共和国の狡猾なところはここに止まらない。
 例えば地下に潜ったそのような活動を対立させるのだ。

 さる宗教の過激派と別の宗教の過激派を戦わせる。
 そうもなれば、すぐに弾圧できるし、ニュースバリューも稼げる。

 国は反政府的な人を「おかしな人」のカテゴリに押し込む。
 そこから立ち直ろうとする人には手厚いが、なおも反攻する人は更に圧迫する。
 圧迫した人間は暴発する。暴発すれば「彼等は危険因子だ」と大手を振って弾圧できる。
 これが共和国のやり口である。

 そう言う共和国の特殊性についての申し立ては多い――(日本国の立場から)保守的な人間からも、或いは(他国の立場から)リベラルな人間からも。
 それについて共和国はこう述べる。

 ある国が制定した法律や制度だからという理由で、我が国がそれを定めなければならない決まりはない。他の国に存在しないルールが存在してはならない理由もない。
 各国でそれぞれ正しいと思うように国作りをすればいいし、人によって最適な国というのは異なる。
 我が国は我が国を愛する人にとって最適な国作りを目指している訳であり、何処かの国のコピーになりたいわけではない。

 "納豆が食える"人間にはベストな回答である。
 そして、こういう人達は自分の母国の現状をしっかりと紹介した上で共和国が素晴らしいというのである。
 当たり前だ。骨を埋める覚悟のある人なのだから、褒めるような言葉しか出てこない。
 それ故、出羽守は誰かしらから反駁を受ける。
 ただ外国に憧れて都合のいいところをつまみ食いした人間と、どちらでも生活した事のある人間とであれば、当然後者の言葉が重い。

 低賃金労働に対する需要はそんなに大きくない。
 これは出稼ぎが推奨されない理由の一つだが、"簡単な労働"と言うのはセーフティネットの為に取っておきたいのである。
 この国の生活保護は手厚いが、徹底的に仕事を斡旋される。そのどれもが不可能である場合は、治療が優先される。
 身体障害だろうが、精神障害だろうが、或いは知的障害だろうが、何らかの労働を求めている。
 その労働がどれほど国庫に影響を与えるかということはあまり重要ではない。
 誰もが何らかの役に立つ場所があるのだと国が主張できる事が大切なのだ。
 勿論重度な障害や高齢者など、労働が不可能と言える人もいる。そのような人に限って手厚い生活保護が出る。
 低賃金労働に対する補助金は当然あるので、労働さえすれば最低限以上の収入は保証される。
 もっと稼ぎたければスキルを身に付けよう。そう誘導される。

 この国に労働しない自由はない。
 どれほど生活に余裕があろうと、何らかの価値を生み出す活動をしない人は尊敬されない。
 逆を言えば、価値を生み出した事には常に賞賛と褒賞が約束される。
 国民でない人が、そのようなチャンスを貪る事を許すはずがない。

 そもそもとして、出稼ぎにしろ、労働力の派遣にせよ、搾取的な労務を行う会社や組織は直ちに制圧され、重大なペナルティを課せられる。
 計画倒産で逃げ切れるなどと思わない方がいい。
 いつだったか、入国斡旋と称して違法な条件で出稼ぎ労働者を働かせていた会社があったが、事が露見すると"正社員"(そもそも共和国に於いて非正規労働者という概念が違法だが)は一人残らず逮捕された。
 管理職、役員は懲役十年からの実刑。派遣労働者に差別的扱いを行った者も実刑となった。
 社長は直前に金を持って国外逃亡したが、半月後欧州某国で強盗に襲われ命を落とした。誰が本当の強盗だったと思うだろうか?

 あぁ、もう一つ労働を生み出すグレーな場所がある。
 それは刑務所である。
 これも健康上の問題がなければ、何らかの仕事をさせられる。
 刑務所は外部に自分の存在を示す事が許されていない。
 懲役が十年を超える人は、手記等による出版が基本的に認められていない。ただただ反省を綴った内容なら可能性はなくもないが、そんなものを読みたい人は多くない。
 受刑者がその行為によって、何らかの自尊心を持つ事を許していないのである。
 受刑者が自分の工賃で絵の具を買い、絵を描く自由はある。だが、そこに署名を入れれば刑務所から外に出すことは出来なくなる。
 詩集を紡ぐ事はできるが、それを人に見せる事は出来ない。

 勿論、刑務所の環境はかなり"先進的"だ。
 清潔な監獄に、柔らかい寝床。食事の質も世界トップクラスだと言われる。制限付きだがインターネットも出来るし、ゲームもできる。労働時間は一日四時間から八時間まで自由に選べるし、年間百五十日の休日もある。
 人生をただ消化だけしたい人にとっては最高の環境だ。

 マズローの欲求五段階の下二つは完璧に満たされている。
 反省を述べ、共和国の価値観に賛同するのに限れば、三つ目の欲求も満たされる。
 しかし、そこから先の欲求が充足されるのは絶対に許されない。
 全く消費されるだけの人生を歩むことになるのだ。それで満足するような人は、逮捕される以前にセーフティネットで安住するだろう。

 刑務所から出て出版するのは自由だが、刑務所の環境は度々広報されるので、「あんな所にいてまだ文句を言うんだ、この人は」と思われるのがオチである。

 では、どの部分がグレーなのだろう?
 それは工賃が明らかに低いのである。
 刑務所内でささやかな贅沢をしようとするには十分であるが、それ以上何かを手に入れることは出来ない。
 仮に懲役十年として消費もせずに工賃を貯め続けたとしても、バイトで一年ちょっと働くぐらいにしかならない。

 そして、この受刑者による労働が、様々な部分で共和国を支えている。
 勿論、こういう事情は幾つかの国で存在する。だが環境はまるで違う。
 それに、あのような国では、労働者を確保するために人を犯罪者に追い込む社会や特定民族に対する収容所がワンセットになっている。これも共和国にはない事である。
 だが、最悪と比較してマシである事が、それを理由に存在していいと言うと難しい話である。

 現実的な有期刑ならまだしも、求刑は常に加算される為、小さな犯罪でも積み重ねれば懲役五十年は簡単にいくし、仮出所なしの終身刑も存在している。
 その間、ただただ小遣いで買えるスナック菓子と、古いゲーム、制限付きのブラウジングだけを心の友に、刑務作業を続けるしかないのだ。

 養育費や損害賠償等、法的に払う義務が課せられている場合、国が勝手に自分の資産を清算してしまう。
 家賃やその他、お金が加算されるものも、予め自腹で払った場合を除き、勝手に整理される。
 故に大体の場合、外に出ても国営のシェルターに行くしかなくなる。
 そこでは当然のように仕事の斡旋もしてくれるが、技術研修などは刑務所内で行っていることを前提で話が進められる。
 つまり、刑期の間に"如何に国に奉仕するか"を選択しなければならない。

 犯罪者の間では刑務所は洗脳される場所だと信じられているところはある。
 しかしそれでも犯罪を犯す人はいるのが世の常だ。
 勿論、治安面に関しては万全だが、暴力的な犯行が抑えられると――それは不死者と言う暴力があるからだが――経済犯罪が目立つ。しかも、こういう犯罪で巨額が動いてるともなると国民の不満が高まってしまう。
 こういう問題には、キッチリ落とし前を付けさせる政府の意向があり、資産や収入の差し押さえが入る。
 それは例えば、追徴課税のような大型の差し押さえから、養育費の支払い不履行、科料の回避にまで至る。

 去年の話だが、実質詐欺と言える方法で荒稼ぎし、巨額脱税までキメた男が、さる国に逃亡した。
 地元警察に賄賂を渡し、警備会社に身辺を守らせていたが、一説によると一人の不死者によって惨殺されたと言う。
 その彼の資産が何処へ行ったか不明だ。

 国に対して負債を抱えた人間が逃亡すれば、それは国の――と言うよりも、不死者に対するボーナスタイムと言える。
 金を抱えて刃向かった人間の資産の総取りなのだから。

 共和国は死刑を廃止したが、それ故に現場の警官が「コイツが死刑にならないのはかなわない」と考える事もある。そんな時"不幸な事故"によって命を落とす犯罪者も多い。
 簡単に言えば、反撃されたからとか、危険な挙動があったからと言って射殺される。
 警官によるボディカメラの装備は必須で、それも公開されるが、その辺は実に上手くやっている。
 しかも殺される人間は、実際にテロルに参加したとか、武器を準備していたとかそう言う重大犯罪ばかりなので、国民に一定の支持がある。
 公式文書が見つかったという話はないし、あくまで噂話だが口伝のマニュアルがあるとかないとか。

 裁判の結果に人を殺すものがあるのか、裁判なしに人を殺すのか、どちらかを選べという前提が間違っているが、悲しいかなそういう現実はある。

 国民の意識が麻痺しているというのは間違いない。
 何か批判的な意見があったとしても「でも今の自分たちが裕福なのは不死者のお陰じゃないか」と言われる。
 それは元々共和国領地にいた人も、日本国から入ってきた人も、はたまた海外から来た人も一様に言うのだ。

 こういう状況を海外――特に日本国の人は「洗脳だ」と言う。カメラの前だけで言ってるまで言われる。
 しかし、国内の人間はそう言う評判を知った上で笑っている。
 金もあり、概ね自由であれば、人間に余裕が出来るのだ。

 海外では共和国民は労働に必死になっていると言われるが、労働基準法は日本のそれよりも厳しい。
 休暇や労働環境について事細かく決められ、それを守れない会社の経営者は「経営の能力が足りていない」とされて、会社経営が出来なくなる。
 経営する権利は国民全員にあるが、経営する能力が低いと判断されれば国から介入されて、暗にその立場を追われる。

 日本国からの移民は、こういう部分に驚き感動する。
 勿論、共和国で一発当てようと言う人間には窮屈で仕方ないが。
 労働者の権利として出身国や性別、性的嗜好等に対する差別禁止も含まれているので、母国で差別されて逃げてきた人間などは、共和国での厚遇に喜ぶ。
 自称共産主義者を指して、「共和国こそプロレタリアの楽園ではないのか?」と嫌みを言う人さえいる。

 では、資本家には美味しくない国なのかと言えばそんなことはなかった。
 消費は旺盛だし、教育された労働者が豊富という立地は、高度な技術や知識を求める産業には絶好であり、インフレがある程度抑えられているので、細かな点でのし掛かってくるコストが大きくない。
 治安がよく、政治的に安定しているので、警備や労働者の保護に掛かるコストが殆どない。
 共和国に好意的である限り、知財の保護には積極的だ。
 企業誘致に必要なのは補助金以上に、インフラや制度の整備が重要だ。
 新技術を阻害するような法令はすぐに改められ、問題ある技術が現れても精査された上で必要最低限の制限となる。
 高度な技術を支えるのに天才ばかりでは回らない。ある程度の知識を持つ労働者のサポートが必要だ。これもインフラの一つである。

 この"知識"や"技術"は何処から手に入れたのだろうか?
 一つの答えは移民である。
 言語の問題と言う難点を除けば、共和国は割と住みやすい国である。特に自由主義的な人からすれば、他に選択肢がないほどだ。
 そして、共和国には元々高度な知識を求める職場もある。
 移民で困ることはそれほど多くないのだ。

 教育にも力を入れていて、年齢が幾つであるか、何処の出身であるかに関わらず、求める知識は常に与えられる。
 教育は安価であるか無料で提供される。
 "国民"になる覚悟を決めれば、そこから人生を切り開く手立てを用意してくれるのだ。
 甘い汁だけ啜りたい連中は拒否されるが、「そのような人間が国の為になるとは思えないから」と国民は考えている。

 飴と鞭が交互に利用されている。
 移民一年目とは、その機微を身に付ける為の一年とも言える。

 どうやって飴を与え、鞭を振るうのだろうか?
 それが信用度スコアだ。
 公式には認められていないし、誰もその存在を大っぴらに語らないが、国内の振る舞いは殆ど監視されていると見ていい。

 何処だったかの金持ちがかなり横暴な言動をして、「国民の不和を煽った」と言う事件があった。
 具体的には税金を払った額が違うのだから、発言力が違って然るべきと言う内容を、割と下品な言い回しで説いていたのだ。
 当初SNSでは、甲論乙駁盛んであったがすぐにこの話題は"抑止"された――政府に都合のいい「社会的地位のある人は責任を持ち、何人も特別な自意識を持つべきではない」と言う意見が満ち、肯定的であれ否定的であれ、過激な発言は姿を消した。
 世間では、過激な発言をした人は、問題の金持ちから何から、信用度スコアを下げたと言われている。
 明確な"不都合"が身に降りかかり、それについての発言は当然誰の目にも触れられない措置が行われた。

 例えばその不都合は、罪にはなるが摘発されない程度の罪が即時摘発対象になるとか、共和国では普通のネットによるあらゆる手続きが謎のトラブルになり窓口オンリーになるとか、お目こぼし程度の節税も追徴課税の対象になるとか色々だ。

 役所関係の手続きが窓口オンリーになるのは非常に強いペナルティだ。
 大抵のものは電子化され、それをネットで触るだけで24時間受付、審査が必要なものだとしても一週間待たされることは稀だ。
 住民票について例に出そう。
 通常住民票が必要な場面は、暗号化されたファイルを提出するだけだ。なので役所も住民票のファイルを発行するだけだ。
 夜中の三時に思いだしてアクセスしても、即時ファイルはダウンロードできる。勿論手数料など掛からない。
 そのファイルを必要な場所にアップロードするだけで全ての手続きが完了する。
 仮に紙での出力が必要となっても、コンビニで発行すればいいだけだ。大した手間ではない。
 これが制限ありになるとどうなるかというと、朝早く役所に出掛けて列に並ぶ。
 朝十時半の開庁時間に受付票(番号がランダムなので具体的にいつぐらいに呼び出されるかは不明)を受け取り、ただただ待たされる。
 開庁時間は平日の十半時から十二時、十三時半から十六時とたった四時間だ。開庁時間に消化されなかった受付票は無効。
 間に合わなかったら翌日来庁するしかない。
 受付を受けても住民票が即時発行されることはない。
 再び待たされ手数料を払う。これもその日に間に合わないこともあるので、後日来庁である。
 発行は支払いが完了してから一ヶ月後。しかも、受け取りのために再び受付票が必要だ。
 受け取ったらそれを電子化しなければならないが、それも手続きが必要。手続きが終わって、再び手数料のために待ち、その日に間に合わなければ更に来庁。
 更に半月ほど待って電子化が終わったら、役所まで来て、役所のWi-Fiだけでダウンロードできる。
 完全に嫌がらせだが、「政府は全ての業務の電子化を進めており、人的リソースはそちらに割り振られている」と述べている。
 勿論、そんな嫌がらせに屈して役所で声を荒げればすぐに警察の出動だ。
 手続きを行わずに何かを勝手に行えば当然摘発だ。

 手続きが必要な項目は実に多岐にわたるが、それはスマホでポチポチと五分もすれば完了するし、手続きしたなりにサポートはしてくれる。
 例えば市街地でのドローン撮影許可など、慣れていれば計画書込みで数十分というところ。審査は夜中にやっても翌朝には下りる。撮影の24時間前に申し込めば文句は言われない。
 そして、この許可一つで保険の手続きも一瞬で済むし、計画書通りならば仮に人身事故があっても法的制裁はあっても最低限のものになる。
 きちんとした計画を定期的に出している人には規制が緩和され、より自由に撮影出来る。

 兎に角「ちゃんとした人」は厚遇され、それが出来ない人は徹底的に冷遇される。

 この現象を突き止め、告発した人と言うのを知らない。
 みんな噂するだけだ――みんな知っているけど、誰も語らない。
 威勢の良かった人はみんな大人しくなるか、SNSから消えるか。それだけだ。

 小学生かと言われそうだが、ゴミ拾いをしたり、障害者や妊婦、年寄りに優しくした人は――どういう監視をされているか不明だが――何となくツイていると言われる。
「心を入れ替えて社会に奉仕するようになって人生が上手く回るようになった」
 そう言う人は引きも切らない。
 一方、歩行者の信号無視や、車のちょっとした速度超過も監視されているのだろうと言われている。
 前述の通り、社会福祉のシステムに不具合が生じ、行かなくてもいい役所に行かされたり、何らかの順番待ちをする時(それが普通のお店でも)、しれっと後に回される事がある。
 こう言うのを人々は"偶然"と言う。

 共和国民の言う"偶然"とは達観の境地にある。
 偶然の不幸が続く人は何となく触りにくい。

 勿論、人生、偶然の不幸が続くことは多い。そういう時、今まで積み上げてきた信用度スコアが、偶然の僥倖をもたらす。
 ある独身のおじさん――彼はボランティア活動に熱心だった――が末期癌になった時、稜邦中学附属病院に転院が決まり、不死者の朝比奈葵によって助けられたなんて話がある。
 一年目の移民の女性が、勤めていた会社の不正を当局に伝えた後、かなり条件のいい仕事に巡り逢えた話。出所後仕事を探していた男が、テロ事件の現場で自らの危険を顧みずに市民を助けたのだが、その後たまたま貰った宝くじが当選したなんて話もある。

 みんなこう思うだろう。
「不死者は神になったつもりなのか?」
 そう。実際神みたいなものだ――しかも噂によると、その決定に人間が直接作用している事は少ないとまで言われる。

 誰も逆らえない。
 だが、実際の神様より理不尽さはない。
 死んだ時の地獄や天国ではなく、現世での地獄と天国を与える。
 それは実際あるかどうか分からない死後の世界よりも、人々を注目させる。

 宗教的活動はどの宗教に於いても寛容と柔和が一番となっている。
 それそれの宗教は、他の宗教の祭典も尊び、そして(共和国の奨励により)参加した。
 お陰で共和国は祭りだらけだ。
 新興宗教も共和国の言うとおりにして、国への奉仕を忘れなければ信仰は保護される。
 一方、不穏な動きがあれば宗教ではなくカルトと指定される。
 カルト指定は公安委員会のさじ加減で決まるが、それについて文句を言う人はいない。少なくとも、国民を納得させられる証拠が積み上げられるからである――どうやって集めたのか、それが本物なのかと言う検証を、本当に自由な立場で出来る人間がいるのかと言えば疑問だが。

 こういうものを"信教の自由"と言えるかどうかは分からないが、移民の精神的支柱にはなる。
 各宗教、本場に行けば、自分の信ずる神や宗教指導者より上の存在はない筈だ。しかし共和国は常にそれを圧倒している――勿論、不死者がそれを語り、傲ることはないのだけど。

 移民やその他"まつろわぬ民"がその子供を学校に行かせようとしない事が度々あるが、当然指導され、それに従わなければ「養育する能力がない」と子供は施設に入る。
 施設では当然、愛国教育がされるのだが、実に優遇される。
 お小遣いは貰えるし、しっかりとした教育が受けられる。
 様々な人種の友達が出来るし、教育の結果よりよい暮らしの存在を知る。
 その結果、親元に戻ったところでその向上心と、共和国の理念を忘れることはない。

 不和を煽る者は、それが移民であれ愛国者であれ発言は規制される。
 それは暗号化された個人的メッセージさえも検閲されていると言われる。
 一部分で盛り上がった火も立ち所に鎮火され、何か暴力的な準備をしているのであれば逮捕される。そういう状況を煽っていた人間も直接関係していたかどうかにかかわらず拘束されて"お話し"を聞かれる。
 それが一定のコミュニティに属していたらそこも摘発対象だ。
 うっかりしたら、そのコミュニティの代表や家族は強制送還の上、国民の権利剥奪だ。

 何もトラブルを起こさなければ共和国はいい国だ。だからそう言う問題の巻き添いは誰も彼も避けたがる。
 過激な発想な人間は自然とコミュニティの輪を外れる。
 こうして、政府に刃向かう者と、政府に従う者での扱いに差が激しく、そして前者は不可視化される。

 こういうことを政府は国民を奴隷にしようとしていると言う人がいる。
 しかし、政府なり大企業なりマフィアなり或いは家族や宗教指導者なり、何者かの言いなりになるのであれば、恩恵を与えてくれる人がいい。
 カネと前向きな自由を与えられるのが奴隷というのであれば、隷従も存外悪くない。
 「何を選ぶのも自分の選択なのだ」と言う言葉によって、低賃金や過重労働、時間的拘束を正当化するのに比べれば、政府がなんでもよしなにやってくれて、自分は自分のやりたい事に専念できる方がずっとマシだ。
 「まかり間違って自分が国家指導者になる」と言う極僅かな可能性を完全に棄ててしまえば、理想的な隷属があると言われているようなものだ。

 こういう議論の時、「本当の奴隷制度が如何なるものか知らない」と言う所で大体話は終わる。
 共和国国民の「政治的発言の自由度を棄てる事」が、「どの程度奴隷なのか」は各人思うところはある。しかし、現状を棄てたくない人間の方が圧倒的に多くて、無知のためにそれを棄ててしまった人は、後悔をして不死者にかしずくか、海外に逃げてもっと不自由な生活をするしかないのだ。
 そして、そう言う事は「皮膚感覚」で覚えていくしかない。
 親切な人は教えてくれるけど、決定的な事は言わないし、ネットでも大っぴらにそう言う情報が載せられている訳ではない。
 国民に噂され、そして国民を脅えさせているのは間違いない。

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