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"今まで本を読んでこなかった人間が行動党にハマる"とさる政党の代議士が発言していたのだ。
"本を読もうがなんだろうが、人は皆平等に一票持っていて、それを右に入れるも左に入れるも等価だ"と言うのは、リベラルが戦い勝ち取ってきた尊い価値観の筈だ。それをリベラルを標榜する代議士が否定する。そこに日本のリベラリストを名乗る人間の問題が煎じ詰められている。
リベラリズムが素晴らしい事は否定しないが、リベラルを名乗れば、リベラリズムを理解しなくても自分を着飾れると思っている人が多すぎる。否、今の日本のリベラルとはそういう論客ばかりだ。
格好を付ける事を第一にしているから、弱者を馬鹿にして自分の権利ばかり主張する。ファッションリベラルとはこのことだ。
そういう人達は、日本的なものを否定すれば、海外的な格好良く見えるモノを身に付けられると考えているフシがある。
自分自身を育ててくれた土地の事を想わず、国を必要な時だけ利用すると言う存在と思っている人には、本当のリベラルなど到底理解できないだろう。
一方、右派を名乗る人達は、自分を勇ましい人間だと着飾ることに執心している。
例えば、憲法九条の事を指して、日本の窮状はかの条項に寄るのだと訴える。
別に九条に神秘的な力があるとは思ってないし、ある程度の見直しは必要であるのは確かだが、「九条があるのに○○だった」と言うのは別に「九条がなかったら○○にはならなかった」を言えるかどうかは別の問題の筈だ。
では君たちは、九条がなかったら手に武器を取り真っ先に駆けつけただろうか?
勇ましいことは単純である事が美徳とでも思われているようだ。それを古い日本語では○○に刃物と表現しているのだが。
日本では、右翼とリベラルは全く相容れないように思われてきたが、それは右翼もリベラルも本来あるべき姿を損なっているからだ。
本来国民を守り、困ったことを解決するためにある政治が、国民を困らせ、攻めるようなことになったのは、政治家が庶民を馬鹿にしているからだろう。
それは偏に、国民が投票しなかったり、政治について語る事をタブー視しているからだ。こういう価値観は、利益誘導をしたい政治家にとって絶好と言える。
最近は最低限の"国民を思っているフリ"すらしていない。こんな政治家が増えると国は滅びる。
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