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情報統制というのは何処の国でもやっている事だ。必要のない情報を国民が持つ必要はない――何処の誰でも持つ必要はない。
そういうものに分けられる情報は、極めて高度で政治的で或いは軍事的である筈だ。
少なくともあれもこれもと指定出来るものではないし、そんなことをしていれば情報統制の姿形を曝してしまう。
一部の頭の悪い人々は、自分の気に入らない情報は何でも秘密に出来るしそうするべきだと思っている。
それ以上に、子供に対して"悪い事を覚えさせなければ悪い子にならない"と言う思想を、国民に対して持っている馬鹿どもがいる。
何も知らせない事は、未来永劫知らないでいられる訳ではない。まるで海外の文化をシャットアウトしている、或いはしていた全体主義の国のような発想だ。
そんな風に、子供からエロや暴力を遠ざけた結果、「これは暴力ではない」と言ってDVやモラハラ、快楽の為の暴力を振う大人が生まれた。男でも女でもだ。
しかも、「国民は何も知らない方が良い」と言う考え方を持つ人間は、自分に都合の悪い思想をそれに指定したがる。
自分が反論でもって言い聞かせる事が出来ないと知ると、「知る事が悪」と言う短絡的な結論に至るのである。
だが、こういう短絡的で極端な思想は、政治的に極端な人、或いは教育思想が極端な人ばかりの発想ではない。
左翼或いは右翼の人が、「右翼または左翼は間違っているので、賢い私が情報を規制しよう」と言ったとしたら、大変なことになるけれど、「陰謀論や似非科学は間違っているので、賢い私が情報を規制しよう」と言う向きは非常に多い。
こういう時に、陰謀論者もそうでない人間も「政府は公然と不都合な情報を隠そうとしている」と意識するようになるのは、共和国としてあまりよい事ではない。
少なくとも、政治的であろうとなかろうと、嘘で人を騙そうとする人に対して政府は毅然とした態度を取る必要がある。
東に偽の健康食品があれば行って行政処分を下し、西に出鱈目な健康法があれば厚労省が訂正情報を広め、南に陰謀論があれば徹底論戦の上SNSから追放し、北に非科学的な世界感があれば懇切丁寧に科学と説く。
リターンは一切ないけれど、大切な仕事であると職員を鼓舞する。
国民は少し馬鹿なぐらいが丁度いいと思っている人間が、為政者の中にも少なからずいる。
だが、それは自分の言う事だけを盲信してくれる国民と言う程度の意味であり、同じぐらいの馬鹿は同じぐらいの邪悪な人間の言説に流される。
ナラティブと言う言葉が程よく聞かれるようになった。
共和国の敵は日本国だけに限らない。
そういう者共の嘘には対抗する必要がある。
ならば教育が必要であろう。
ある人が「民主主義は一人の心の綺麗な天才より、十人のアホの意見が優先される仕組み」と言ったのを思い出す。
なるほど、それは正しい。だが、政治システムとはその馬鹿と天才を振り分ける仕組みに他ならないはずだ。
一人の馬鹿をあぶり出す為に、十人の正しい目が必要である筈だ。
重要なのは、民主主義がダメであると言う事を主張するよりも、民主主義を完璧にするために行動するところにある。
民主主義が国民の審査を第一にしているのであれば、国民を賢くする必要がある。
その為には公教育だ。
これは子供を教育する事に絞った話ではない。国民は生きている限り"賢く生きなければならない"。
勿論、その賢さとは共和国を支持する事である――それを人は全体主義と言うけれど。
だが高度で安定した民主主義は全体主義と区別が付くだろうか?
陰謀論が笑われ、世界の隅に追いやられるのを健全と見るだろうか? 不健全と見るだろうか?
国民が十分に馬鹿で、国家の「陰謀論を唱える国民など爪弾き者だ」と言う言説を信じる状態がA。国民が十分に賢くて、各々の個人が「陰謀論なんて唱える国民になんて関わらないでおこう」と言う状態がBとしよう。
Bの状態に国家がナッジできたら、もう、これは実質Aの状態と何が違うだろうか?
唯一の違いがあるとするなら、国民は自分の意志を持っていると言う自信があると言うだけである。
自信のある国民は強い。自信とは士気だ。自分の国は自分が奉仕するに足る国だと思われることは、国としての力となる。
さぁ、その為に為政者はどうする必要があるだろうか?
賢い人に侮られないように、自分が十分に賢くなることである。
その為に、自分を嘲る人を味方に付けよう。魅了しよう。
この国が、そして為政者が自分の運命を預けるに値する人間だと思わせる為に、自分を質的に改善しなければならない。
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