0344 定例記者会見

ページ名:0344 定例記者会見

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 行動党はあくまでもリベラルであり、そのリベラルが現実的に弱者救済に取りかかると、気に入らないのは高みから理想を語っていたリベラルを名乗るだけの人々である。
 勿論、保守からの攻撃があるが、それは意見の対立であるから議論の価値があるが、自称リベラルからの攻撃は、一言で言えば俺よりも格好いい真似をするなと言う事である。

 さる知識人――知識を持っている人と言う意味ではない――が、自分の気に入らない人をリスト化して、"反論する価値のない人"とした記事をネットにアップした。
 ご多分に漏れず私や行動党の関係者もエントリーしていて、さてどうしたものかと言うところである。
「こうした人達は、反論されるとボロが出ますからね。自分から墓穴を掘りに行かないと言う意味で賢明ではないですか?
 リストには我々の他に民族主義者とか色々居ますが、結局自分の嫌いな特性をひとまとめにして、こいつらは一緒だからと自分に言い訳をしているのではないでしょうか?
 我々が完全無欠だとは思いませんが、ですが部分部分彼等が認めてもいいようなことはしている筈ですよ。
 そもそも反論しないと心に決めたところで、私や他の方々が消えてなくなる訳でもないし、自分の理屈に於ける欠陥が是正される訳でもないのですけどね。
 反論する価値がないものは、既に反駁済みの問題を再度持ってこられた時だけです。反駁できていないあれこれが多そうに見えますがね。現実から目を背ける選択をしたのですから、それはこちらからも触れる価値もないでしょう。
 我々は現実に生きますので、間違いの指摘や反論は受け付けます」

 他からの攻撃も多い。さるネットサロン主催もその一人で、サロンの中であることないこと述べていたので、さてどうしたものかと言う事である。
「日本のことがお嫌いになって、海外に出て行って、税金もその国に払っているのなら、もう、その国のコミュニティの中で、その国の事について語っていればいいんじゃないんですかね?
 出羽守の方にはそういう方が多いように思いますよ。
 嫌いなものにそんなに時間や労力を費やすのは、人生にとってあまりよい選択とは思えないのですが」
 個人的には、日本人しか相手に出来ない商売で、日本人しか友達が作れないのかと言いたいが、流石にそれは言う訳にいくまい。

 さる領土紛争で、稜邦中学校の政治部の人達が関わっていたことが明らかになった。秘密の会合なのでそれを公開しなかったのは当然のことで、そういう反論で話は一度収まっていた。だが、紛争自体は実際の戦闘へと発展したために、それに対する批判が出てきていた。
「先ず第一に、交渉が不調に終わり、戦争状態に陥ったこと自体は遺憾であります。
 ですが、外交努力を尽くさなかったのかと言われますと、それは断固として違います。
 粘り強いタフな交渉を行っていたと聞きます。
 我々は情報公開法に倣いまして、三十年後に文書を公開いたしますので、そのときはっきり致します。
 そもそも、努力が不足していたか、満足していたかは第三者が判断できるものではありません。そして、その上で十分な努力の上での失敗という事は十分あり得ることです。
 努力したかどうかを、"自分の気に入る結果になったかどうか"で評価するのは、一種のモラハラでありまして、合理的な評価とは信じられません」

 陰謀論者に、稜邦中学校こそがディープステートであると言う指摘を受けた。
「世の中、沢山のことが隠された状態にあると言うのは間違いないでしょう。多くの政府が公に出来ない事実は沢山あると考えられますし、情報公開が万全に機能していないと言う指摘は一考の余地があります。
 よしんば、それをディープステートであると評価したところで、世の中は複雑であり、誰が善の側であり、誰が悪の側であると言う単純な二元論には落とし込めません。
 陰謀論と言うのは、複雑な世の中を複雑なまま消化出来ない人が、シンプルに考えるために組み立てた理屈でしかありません。
 社会を深く知る人は、その為に多くの知識を蓄え勉強し、よく見聞きし考えて、この複雑な世の中を理解しているのです。
 そういう頭のいい人に、一番手軽に対抗する手段として、単純な虚構を組み立ててそれで全て説明できるようにしたのが陰謀論であります。
 闇のディープステートに対して光の勢力が戦っているとか、宇宙人に支配されているとか。
 ではそういう人が、実際にその為に世の中に為になる行動をしていますか? インターネットでデマをかき集め、拡散し、偶の週末に駅前で演説するだけじゃないですか。
 青春時代、同世代と一緒に何か成し遂げると言う事を出来なかった人々が、陰謀論ビジネスに絡め取られているだけではないのですか?」

 稜邦中学校の生徒が、アイドルやVTuber、イラストや漫画、音楽などを生み出していて、快楽的なものに積極的だという批判を受けた。
「快楽的なものを禁止して我慢していれば、神様がご褒美をくれるって考え方ではないのですか?
 ハレとケの考え方と同じで、何か楽しいものが先にあるから人々は普段の苦しい日々を耐えられるのですよ。
 それはお昼休みに漫画を読んだり、家に帰ってVTuberを見たり、音楽を聴いたり、週末にライブやコンサートに行ったりと言う事によって成り立っているのだと思うのです。
 確かに、それらは彼等にとって不可解な行動かも知れませんが、世の中の事なんて殆どの事が不可解ではありませんか? 自分の理解している事しか存在していけないと言うのであれば、そう言う人の持つスマホの動作に関して、その原理を一々説明できる人がどれほどいるでしょうか?
 宇宙が何故存在できているのか、人間が何故存在しているのか、明確な説明は誰もまだできておりません。ならば、何故我々は生きていられるのでしょうか?
 禁欲的である事は立派な事でしょうが、全員が立派な人間である必要がないと言うのが、自由というものです。
 全員が何かしらの生産に必死でなければならないとしたら、その生産は誰が受け取るのでしょうか? 国がでしょうか? 仮にそうだとして、国がそれを溜め込む事に意味はあるでしょうか? それとも、国民にその富を分配するのであれば、その富を娯楽に使ってはならないというのは、どういう理由でしょうか?
 我々は娯楽を通して、沢山の感動をします。それが何故ダメな事なのでしょうか?
 感動を自分の信じる神様の物語で独占したいのでしょうか?
 簡単に感動しないって事がそんなに高尚な事だと思ってるのでしょうか? 人の事を見下すことがそんなに立派な事だと思ってるのでしょうか?」

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