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動物愛護の問題になると、如何に自分が善人で心優しいかと言うアピールをすることだと考えている人がいる。
それはコイの放流や野猫の問題から羆の問題に至るまで全般的に見られる現象だ。
これは偏にアニミズムに根ざしていて、自分が動物に優しくする事は自分が自然から許される事だと信じている。
科学的に正しいこと、現実としてそうすべきだと言う事に耳を貸さないのは、現実的に自然環境を良くしたいと言う意識ではなく、自分が正しい人間だと思いたいこと、そして間違った事をしていないと思いたいが為である。
こういう人は、自分の正義のために敵を作りたがる。
野猫の保護を目的として奔走している人に対して、猫を殺処分しているとありもしない嫌疑で攻撃するのは、そういう事情だ。
人間はどんなに自分が愚かだと分かっていても、世界の根幹の部分では正しい判断が出来る人間だと思いたいのだ。
自分がどんなに暴力的な人間だと居直っていても、根っこはナイーヴで優しい人間だと思いたいものなのだ。
でも、それは誰も理解してくれない。本当は優しくも賢くもないからだが、それを認められない人は、自分の気に入った形で動物だの植物だのに優しくする。本質的に、自分がメインにある人間だから、動物や環境のことを正しく理解する事はしない。自分が楽な行動で、自分の事が優しい正しい人間だと思える事をしたがる。
例えば猫は、野良でいるより人間の飼育下の方が三倍以上長生き出来る。だけど、自由の方が大切なんだと自分に言い訳をする。
何故なら、ただエサをやるだけで懐かれるのに満足しているからだ。
こういう人は、野猫の話をすると、猫が悪者にされるのが許せないと思う。違う、自分が悪者にされるのが許されないだけだ。猫を悪者にしているのは、そういう人の無見識であり、問題解決への妨害である。
本当に猫のことを愛している人は、人生や財産を賭けてその保護を第一にしている。
種の多様性の問題に関してもそうだ。
放流を単純に繰り返すことが、自分の中にある善に繋がっている人は、それが生物多様性を壊すと説明しても受け入れない。何故なら、自分が悪人だと言われているように思うから。
猟師への攻撃など、ネット上でただ過激なことを言うだけで、お手軽に"命を大事にしている自分"を演出できる。
放射能デマも根本的に同じ問題で、自分の主義に反すれば、必死に頑張っている農家でも原発利権扱いされる。
環境問題は何処までも人間の問題だ。
正面切って壊す人間を正すのは存外難しい事ではない。問題は、正しい事をしている顔をして壊している人間なのだ。
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