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私も有名になったなと思ったのは、トレパク疑惑が突如吹き上がったからだ。
似た構図の漫画が既にあるのだと指摘されたのだが、かなり凡庸な構図だし、私以外にも描いているだろうと思った。
とは言え、それを言っても人の話を聞かない人間が聞くようになるとは思えない。
そう言えばと、昔のクロッキー帳に描いた気がする。
学校の書庫にしまってあるなと言う事で、何人か手伝いを呼んで調べたら、六十三年のものが出てきた。
じゃぁ、その頃に何か描いているだろうと言うので調べると、同じ年に油絵を描いて発表していたのだ。
どみにく名義じゃないから見過ごされていたか。
と、言う訳で、さっさとその辺の資料を公開して、決着を付けた。
絵を描かない人からしたら、線と言うのは無限大に引けるし、構図も無限大に存在すると思っているかも知れないけど、絵になる構図は限られているし、美しい線も限られているんだよ。
その中で、美しいモノを引っ張ってこようとすると、必ず何処かで収斂することになるんだ。
これは多分、音楽も一緒で、一つや二つフレーズが似通ってるだけでパクリだとかなんとかって騒ぐのは危ういことなんじゃないかなって。
トレパク疑惑に夢中になる人って、一言で言えば自分で絵を描かなくてよい理由を、社会の中から汲み取りたい人なんじゃないかな? 人を下げたからと言って、別に自分が高まれる訳じゃない。
自分が如何なる仕事をしたのか、作品を残したのか、如何にして生きたのかって言うのは、人との相対で評価できないし、結局のところ、自分自身で自分を評価するしかないんだよ。
勿論、トレパク自体はいけない事だし、それによって助かる人もいるのは間違いない。でも、これは文章でも音楽でも同じだけど、モチーフは必ず過去に誰かがやっている事に近付くんだよ。
沢山知れば知る程、そう言う人の言うオリジナリティーの余地って全くないんだよ。
じゃぁ、我々はどうしているかって、そういうところに現在の精神を注ぎ込むんだよね。
メロディも物語の構造も絵の構図も、もう何千年も同じ事を繰り返してきてるんだよ。
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