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明治政府が出来た時、一等国と見られる事に血筋を揚げた。
芸術、音楽、文化、歴史。そういう金にならない事に力を入れたのは、それが欧州の基準だったからである。
否、欧州が一等国を名乗っていられたのは、それがあったからであろう。
日本国が、一等国の地位を降りようと言うのなら今更止めるまでもない。自ら望んで様々な富を切り崩しているのだから、もはやそれについてとやかく言うこともないだろう。
ああ、自分の関わる分野、好きな人達には頑張って貰いたいのが人情だろう。だが、一等国と言われる為に必要なのは、総合的な文化水準だ。
この歴史、文化性があるから日本古来の文化には、深い精神性があるのだと言えるのだ。それがなければ、日本文化は安く買い叩かれるだろうし、容易に蹂躙していい文化だと思われるようになるだろう。
日本が嫌いな人達が、日本文化を酷く言うのは、多分、そういうところにある。
我々が日本国のために仕事をしようとしていた間は、それらに理解を示すことが出来たが、共和国を樹てた今、そのリソースは全て我が国に注力すべきである。
文化的な自由度を売りにするのは、そういう文化的な庇護に立脚している。古き物から新しき物まで、文化的と見なされた人は税の優遇を得られ、そして我々は多くの仕事を発注することになる。
独裁者が建築物に凝るのは不合理な見栄に限らない。
国の文化的水準を上げる事は、国の威信に関わり、国の威信とは国民の士気に繋がる。
国民が国を誇らしく思える事は、そして自分がその高い文化水準の末席に座っていると思える事は、己の生産性の高さを指向する事に繋がる。
若い国である事を差し引いても、人口の少ない国が諸外国から摩滅させられない為には、"可愛い人々"と思われる必要があるのだ。
よく見るがいい、シリアで無辜の民が爆撃を受け、子供が標的になろうとも、殆ど見向きもされなかったのに、ウクライナは一大ニュースになるのは何故だろうか?
政治的地理的な問題もあるが、文化的な繋がりに親近感を持っていたからではないだろうか?
根拠はないし、シリア国民を馬鹿にするつもりもない。それに、それを利用する事を狡いと言いたい訳ではない。また、人々が愚かであると言いたい訳でもない。
人が誰かを助けるとき、精神的な近さが優先順位となる。知らない人と家族なら家族を助けるし、知らない日本人と知らない外国人なら、恐らく日本人だ。そして、知らない外国人同士なら、より身近な、そして価値観の近い人々を選ぶに違いない。
困窮したときに助けて貰える事、国際社会を動かす事、人の心を動かすには、日本的な何かを少しでも身近に感じている事が重要となる。
それは日本人の楽曲や映画でもいいし、歴史でも、或いは海外の寿司屋やラーメン屋でもいい。
そういうものを通して国を見られる事は、遠く国を守ることなのだ。
我々は国を樹てた以上、我々の国はその仮想敵国となる日本国よりも文化的水準を高くしなければならない。
美術館、博物館、音楽ホール、スタジアム、大学、図書館、劇場、ライブハウス、公園。
大きなものから、小さなものまで、沢山建てたのは単に見栄を張るためではない。否、見栄を張ることも出来ない国は、そこで止まってしまうのだ。
我々の支出は文化を守るばかりか、その文化を支える産業を活性化し、それは巡り巡って国を富ます事になる。
日本は、トリクルダウンという大嘘をつき続ける癖にこういうダイナミズムには言及しない。愚かな事だ。
これから世界は国の形を維持した国と、形ばかりの国の二つに分かれていくに違いない。
後者になれば、もはや国家元首は国民のことなど考えないだろう。そして、そういう地位を得るために武力闘争が次々に起きるだろう。
国際社会はもはやそれを止める力はない。
戦国時代のように軍閥がそれぞれの地域を支配して、支配された人はただ使い潰されるだけの存在となる。
そこからは搾取で搾り取られたものが産物となり、それを世界中の国々が何食わぬ顔で買う事になるだろう。
そういう国は、文化水準が低いことに何も思わない。むしろ、海外が介入しないだけ悦ばしいことですらある。
実際、民主主義国家が権威主義へと移り変わっているではないか? いくつの民主主義国家が"壊れた"のか。
今が大丈夫なら、将来も大丈夫だろうなどと希望的観測が出来るだろうか?
赤の女王の状態である。今居る場所に止まるには、必死で走らなければならない。更にその先に行こうとするなら言わずもがなである。
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