0302 幸福について

ページ名:0302 幸福について

0302

 幸福になるのに幸福論は必要ない。あれは幸福を語るために存在しているだけで、幸福そのものとは無関係だ。
 人は自分の幸福を疑うと、人に幸福を語りたがるようになる。
 幸福論こそは不幸な人が己の不幸に悩むために存在している。
 満ち足りた女性がSNSで自撮り写真を上げないのと殆ど同じ事情だ。

 哲学に関しても同じような事情だ。哲学についてあれこれ語りたい人間は、常に自分の思想の方が優れているとマウント合戦を始める。
 はっきり言っておくが、哲学は彼等が自分の頭の良さを自慢するために存在している訳ではない。

 何かの論考を見た時、それに単純に感動するのであれば、深く読む必要はないし、それこそ全てを読む必要すらない。
 だが、批判したいと思うのであれば、たった一文字でも読み飛ばしてはならないし、部分を指して不十分と言ってはならない。
 有限の資料の中で"不在"を証明するには、全てを読み込まなければならない。資料が無限に存在するのでなければ、悪魔の証明と言い逃れできないのだ。

 幸福の話に戻ろう。
 そういう前提をしてなお、幸福を語るのは、自分が幸福でないからだろう。
 幸福を考えるようになる頃は、幸福ではないとして、幸福に目を奪われている状態が本当に幸福だろうか?
 そもそも幸福は主観だろうか?
 最低な境遇でなおも弱い立場の人を虐めてそれを幸福だと思う幸福は本来的な幸福だろうか?
 極論、幸福は作れる。薬物を使って多幸感を抱かせる事は出来る。でも、それが我々の求めている答えだろうか?

 幸福は絶対的だろうか? 相対的だろうか?
 絶対的であるなら、何処かに答えがあるはずだ? かつて宗教が神の下の幸福を指し示していた。だが、いつからか個人個人別々の価値観が尊重されることになった。
 今更になって、どの価値観が正解だなんて言える筈がない。頭の悪い人ほど俺の価値観こそが正解だと言ってしまう。
 では、相対的な価値観と言うのが正しいのだろうか?
 人の幸福を見て、自分の幸福が"相対的"に犯されていると考えるのは正しいだろうか?
 私はあの人よりも年収が高いから、あの人より幸福だなんて言えるだろうか?
 あの人はいつも幸せそうにしているから、それを見ると苦痛に感じると言う人の訴えは認められるべきだろうか?

 幸せはどのくらい? と言えるだろうか? 少し幸せと言う事は出来るだろう。でも具体的にどれぐらい幸せだろうか? 比較は出来るのだろうか? 他人との比較が出来ないとしても、自分との比較は出来るだろうか? "あの時"よりも幸福だといえるだろうか? それとも"あの時"の方が幸福だったと言えるだろうか?

 幸福は、いまここの自分が自分の実感の総量に対してどれぐらい幸せかと言えるのが限界ではないだろうか?
 人と比較して幸せかどうかと考えるのは、不幸なばかりでなく愚かである。他人がどれぐらいの幸福を持っているのか、人の価値観から全生活までを詳らかにしないと、それは判断できないだろう。

 深く深く見つめれば答えは遠ざかってしまう。
 もっとシンプルに、自分が幸福だと思える事が幸福だというのではダメだろうか? 人の幸福を侵害する幸福は、恐らく幸福であろうが、それは幸福を侵害された人の復讐によって阻止されるだろう。

 小学生の頃散々「人の痛みを分かるようになりましょう」と言われる。
 では、その主張された痛みによって私の心が痛む時、その痛みは誰が分かってくれるだろうか?
 このことを追いかけると、恐らく、どちらが声を大きく主張したかに落ち着いてしまう。
 自分の痛みを取り除けた人は幸福になるだろう。逆に、それによって痛みが与えられた人は不幸になるだろう。
 ああ、また相対論になってしまう。

 幸福はゼロサムゲームではない筈だ。でも、何故こんなことが起こるのだろうか?
 最大多数の最大幸福で本当にいいのだろうか?
 一人の不幸が多数の幸せに繋がる――嫌な例えをするならいじめを認める事は正しい答えだろうか?
 それともそのいじめられっ子の存在が周りに苦痛を与えていると言うのが本当に正しいだなんて言えるのだろうか?

 誰でも幸せになる権利はあるが、誰でも人を不幸にする権利はない。
 なるべく平均的に、それでいてなるべく上澄みを取れるように慎重に一つずつを選んでいくしかないのではないか?
 これを全員に徹底できるだろうか? そして、それはパターナリズムに陥ってしまわないだろうか?

 ここまで書いて、自分が幸せかどうかを考えなければならない。
 仕事も充実しているし、友達も沢山いる。お金も充分にあって、これ以上の事を望む事もない。
 であれば幸福だろうか?
 個人的な感触で申し訳ないが、稜邦中学校と言う仕組みそのものに、何処かしら危うさを感じる。
 私は本当にこのまま幸せでいられるのだろうか?

 漠然とした不安が幸福を奪う。人によってはそれで死んでしまう。
 そもそも歴然とした未来があるだろうか?

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