0294 伊藤和音の弟を追う

ページ名:0294 伊藤和音の弟を追う

0294

 街中で柄の悪い男二人組が、学校の生徒を追っていた。
 伊藤さんだ。和音と書いてどれみと読むので覚えやすい。和音じゃないのかよと。
 それは兎も角、助けなきゃいけない。
 一人目の男の足の甲を踏んでやる……ついやり過ぎて、地面ごと破壊してしまったが。
 もう一人にも足を引っかけようとしたが、明らかに変な方向に曲がってしまった。

 色んな意味で不味いと思って、彼女をお姫様抱っこして逃亡した。

「だっ、誰?」
 街路を幾つか渡ったところで尋ねられる。
 流石に天下の往来で姫抱っこはないな……
「石伏ベル。稜邦の前からの生徒だけど」
 そう言えば、彼女と私の接点は入学の時にまとめて案内した一人と言う位だった。
「誰でしたっけ?」
 訝しむ顔で見るので入構証を見せた。
 入構証が学生証ではないのは、定期的な校内入構が認められた人は、これで一元管理されるからだ。
 生徒や職員の持つスマホで読み取ると、権限内の情報が閲覧できるようになっている。
 私のカードにスマホをかざし、食い入るように私と画面を見比べる。
「偽物だったら、こんなこと出来ないよ」
 後ろの方でパトカーだの救急車だのの音が聞こえる。

「ふぅん。それで、何の用?」
「いや、なんか追いかけられてたし……」
 彼女の不機嫌な態度に、何故か私が謝るような形になってしまった。
「その事の礼は言うけど、関わらないで」
「不死者が生徒のトラブルに関わらないではいられないよ」
 なるべく優しい声色を使ったつもりだけど響いていそうにない。
「それが余計なお世話でしょ」
「余計なお世話が欲しくて学校に来てるんでしょ?」
 これは流石に響いたようだ。否、響くと言うか反論できなくしただけだ。
「弟を探している……今年から中学の筈だから、入学試験受けるように言ったのに」

 彼女についての情報は、サーバの中に色々と集積されていた。
 彼女と弟はネグレクトを受けていて、万引きだのなんだのでなんとか暮らしていたようだ。
 校内の関係者が彼女を見つけて、説得して入学させた。地頭のいい子のようで、授業にはついてこられている。一言で言えば、学校の悦びを噛み締めている最中ではあった。
 彼女の入学の条件の一つは弟の保護であった。
 だが、親と共に行方不明のままである。
 彼女曰く、学校は真面目に探していないと言うのだ。
 見つからないでいると、そうなるよね……

 仕方ないか。私は、進捗を知ってそうなちさとちゃんに尋ねる。
「あー、その件ね」
 ちょっと嫌そうなところからして、面倒くさいのが理解できた。
 掻い摘まんで言えば、親から逃げて、東京の歓楽街で暮らしているそうだ。暮らしているというと部屋でもあるようなイメージだが、実際は小悪い事をして日銭を稼ぎ、漫喫を点々としているそうだ。
 声は何度か掛けたらしいが、姉の事を言うと常に苛立つし、本人が望まない以上入学は認められないと言う訳である。
「え、それこの子に話したの?」
「伝わっている筈だけど?」
 筈って何だよ……と悪態を吐いたところで仕方ない。別に彼女がこの生徒の責任者と言う訳でもないのだし。
「わかった、ありがとう」

 電話を切って、彼女に向き合う。
「ところで、弟さん、東京に行ってるって話知ってる?」
 怖ず怖ずと尋ねると、「そんなわけないでしょう」と言うのだ。
 和音ちゃんの話によると、母親はそれなりに弟のことは目に掛けていたらしい。もっと小さな頃、母親の連れ込んだ男に殴られているとき、母親は弟を抱いてあやしていたと言う。
 それから弟は母親に愛されているのではないかエピソードを幾つか紹介してくれた。
 勿論、それは一般的な基準からしたら、かなり怪しい愛され方である。自分が食べるために万引きしたパンを奪って、弟にあげたとか、弟を叩くときは力を押さえていただろうとか、そういう部分である。
 だが、彼女の割と悲惨な前史を憐れんだところで話は変わらなかった。

 私は直感的に、二人のアイデンティティは「如何に愛されなかったか」にあるのだろうと確信した。
 親から十分な支援を受けているにもかかわらず、自分の親を毒親呼ばわりする子供と言うのは、実際に親がどうであったかと言うよりも、「私は可哀想な境遇でも強く生きられる人間なんですよ」と言う事に胸を張りたいのだ。
 勿論、彼女の親は明確に親失格であった訳だけど、だからといって、「あんな親に育てられたのに貴方は立派だ」とは言えない。言うべきではない。

 人間は愛を求める習性がある。
 絶対とは言わないけど、強く拒否すればするほど、その執着は強い。
 母を求めているのだろうか?
 とは言え、彼女から聞くのは弟のことばかりであった。

 どうやら、厄介な問題に首を突っ込んだんだなと思った。
 黒服やちさとちゃんも途中で放置するのも分かる。いや、放置はしていないのだけど……
 差し当たり、その母親に会ってみようか。出来れば父親も見つけたい――と思って、彼女の身辺調査の資料を探す。

 後日、いつもの事務仕事をしていると、古郷さんという黒服が顔を出した。
「ちさとさんから言われてきました。取り敢えず、いつもの仕事はいいそうですよ?」
 最初、何のことかと思ったけれど、すぐに和音ちゃんのことだと思った。
 確かに空き時間にやるようなことではないか。

「それで多分、両親を調べようって話になると思って、手配したんですけどね……」
 古郷さんは資料を差し出した。
「母親はもう死亡しているんですよね。最後に住んでいた家は家賃滞納で既に清掃業者が入ってますね。
 父親に関しては、彼女の生まれた当時、付き合っていたらしい男が最低でも五人、売春もやってたみたいなので特定は無理だと思います」
「待って、お母さん亡くなってるの?」
「彼女が知っているかどうか微妙ですが、家賃を支払わなくなってから七ヶ月後に大阪ミナミで自殺してますね」
「原因は?」
「借金の滞納と、すり寄ってた男に裏切られた事みたいです」
 自殺一週間前の写真は、厚塗りのメイクで引き攣った笑いをして、三十がらみの男と写っているものだった。年齢は三十前半だから相当人生に疲れていたんだなと思えた。
 勿論、人生が如何に荒廃していたとしても、他人を不幸にしていい訳がない。それが自分の子供なら特に。
 他方で、子供に対する親の責任は多分、過大なんだろうと思うところがある。人は他人を責めたがる。その時、子の過失を――それが四十五十になっても問われるのは、人として辛い。
 今、社会の仕組みについて問うのは別だとしても、子供も親も社会も、もう少し楽に考えられないかと思う。
 自分が自分に厳しく出来ない分、人に厳しくすれば、その責任を人に転嫁できるんだと考える人が多いのだろう。

 しかし、どうしたものだろう。これで関係者は二人に絞られてしまった。
 関係者が絞られる方が複雑な問題というものもあるのか……
「取り敢えず弟さんに会ったらどうです? 石伏さんがダメって訳ではないですし」
 そう言われて、「確かにそうだね」と言うと、「じゃぁ、行きましょう」と言われてしまった。

 数時間後には新宿にいた。
 行き場のない少年少女が群れるという一角に顔を出す。
 現地で通っている弟のショーヤ(翔也)の名前を聞いてみる。
 当然嫌な顔をされる。だが、そんなことで引き下がっても仕方ないので、粘り強く交渉し、そして人を変えて訪ねていく。

 それなりにアウトローな生活をしている人間を執拗に訪ねれば、その結果として出てくるのは……
「お前、ショーヤのこと調べてるな。アイツに関わるな」
 と、ポケットに手を突っ込んだ少年七名に絡まれた。
 一人は半分壁ドンの体勢でぐっと顔を寄せてきた。
「嫌だって言ったら?」
「そこのおっさんと一緒にボコボコにしてやるよ。お前は可愛いし、犯してやってもいいぜ」
 自信満々だ。まぁ、転生者のことは世間にそんなに伝わってないしね。
「やられるよりやる方が好きかな?」
 そう行って、彼が突いている手の横に一発パンチを入れる。
 瞬間、砕かれた壁の一部が彼の頬を過った。
 目の前の少年は状況を理解していなかったが、他の連中はどよめいている。
 それに押されてか、言い寄った少年は懐からナイフを取り出す。
 すかさず私はそれを取り押さえる。
「私の足と、貴方のナイフとどっちが早いと思う?」
 少年は意味が分からなかったので、手を振り解こうとする。
 私がくいっと手首を捻ると、あまり耳にしたくない音がして、彼は頽れた。

 それからは病院へ行って、「派手に転けて手首を強か打った」と説明し、色々あって落ち着いた。
 あとは尋問の時間だ。

 N市であったこともそうだが、和音ちゃんの弟さんは今年まで小学生というクセしてなかなか素行が悪かった。
 それこそ万引きしてどうのというのではないらしい。
「アイスだよ。小学生相手に手押ししてた」
 覚せい剤の密売だ。小学生が小学生相手に薬を売ってたというわけである。
 じゃぁ、この少年が彼をかばう理由といえば、かなり羽振りのいい奴で、兄貴とはいわないまでもかなり慕っていたというわけである。
 N市で和音ちゃんが怖い男に追いかけられていたのは、問題の弟が在庫を攫って東京まで逃げてきたからだ。

 小学生ながら大胆な奴である。学校の面々が気に入りそうだ。
 そんなことを思い浮かべて少し微笑んでいたのだろう、少年達は戦々恐々とした顔をしていた。
 とは言え、幾人もの子供を薬物の沼に落としているのは事実だ。そのまま学校に迎え入れるのは無理な相談だろうな……これを和音ちゃんに伝えるかどうかは悩む所である。
 差し当たって、少年達にはそのショーヤと呼ばれる弟を呼び出して貰う事にした。

 時間があるので、少年達と話をする。
 こんなことをやってても幸せなライフプランは見つからないでしょうと。
 ビッグになるつもりだと言うのかと思ったら、そうでもなかった。どうせ長生きは出来ないから、せめて自由にやっていきたいのだと言う。
 お小言も言いたいが我慢した。
 彼等は薬物に手を出していないし、なんなら刑事事件化しそうなのは喧嘩ぐらいだった。
 一応合法的な稼ぎで生きているらしい。
「立派だね」
 私が素直に言うと、七人とも居心地の悪そうな顔をしている。
 そうだと思い出し、真生ルイコンビのやっているこども食堂の話をする。確か、懇意の法人がこっちでも店を出していた筈だ。
「街中で寝起きするのも悪くないけど、辛くなったら頼っていい大人もいるんだよ」
 彼等が徒党を組むのは、そうでもしないと世の中の秩序に圧殺されてしまうからだ。

 古郷さんが言う。
「十八まで五体満足に生き延びて、それでもクソみたいな生き方しか出来ないと思ったら学校まで来い。俺もまともな親の子じゃない」

 そういう感じで打ち解けはしたものの、ショーヤからの連絡は来なかった。
 位置共有サービスの類はやっていなかったようだが、こちらで調べて特定することにした。

「いいニュースと悪いニュース、割と最低なニュースのどれから聞きたい?」
 セツリからの電話だ。
「早く済ませたいから割と最低なニュース」
「ショーヤこと伊藤翔也君らしき遺体が雑居ビルのゴミ捨て場から見つかった」
「逆に、いいニュースって何?」
「姉に連絡を入れようとしてたみたいだね。電話に出る前にどうかなってしまったようだけど……」

 その後、私は警察に問い合わせて翔也君の身柄について尋ねることが出来た。
 警察は彼の犯罪について、精々素行不良ぐらいにしか思っていなかったようで首を捻っていた。
 私は彼の事を悪く言うのも嫌なので彼等に同調した。
 和音ちゃんには連絡を入れたので、今日中に黒服に連れられて新宿署に来る予定だ。

 何を話そうか、どうしようかと悩むばかりだ。
 七人の少年には、彼の死を伝え、彼のようにならないように気をつけなさいとだけ伝えた。

 仮眠のためにホテルを取る。
 とは言え微妙に眠れない。
「古郷くん寝ちゃった?」
 私が問いかけても返事がない。寝てしまったのか。
 答えにならない事を延々と考えている。
 彼の仕事のことを話すべきだろうか? そうもしないと、亡くなった原因について説明が出来ないか……どう慰めようか。

 私は前の世界では割と最低な人生だったと思っていた。だが、世の中には想像以上の悪意と想像以上の善意の不在がある。
 自分の想像の範囲で、ある個人が悪い状況に至るのは、その個人の所為だと言ってしまう事が多い。でもそれは思い上がりに過ぎない。
 自分よりも素晴らしい人はいくらでもいるけれど、自分が思う最低ラインを下回る人間はいくらでもいる。
 そして、自分の手に入れた運の良さを圧倒的に下回る運の悪さを持つ人間もいる。
 誰も貧乏人やネグレクトな親の下に生まれたくないし、障害を持って生まれたいとも思わない。それを偏に努力不足と言うのは残酷だ。
 私にしても多くの人々にしても、今の環境を整えてくれるのは国家であり社会であり家族だ。それの何処が不全となれば不幸なところからスタートになるのだ。

 昼過ぎ、うつらうつらとした所で連絡が入る。
 和音ちゃんが到着したらしい。
 古郷さんも起き出したので、シャワーを浴びてから警察署に向かう。

 東京の警察署とは言え、転生者の名前は通るらしい。
 私と和音ちゃんの二人で死体安置室へと向かう。
 無言だ……私も何も言えない。
 署員がロッカーを開け、死体袋を開ける。
「弟です」
 持っていたスマホも自分への発信があった訳で、身元確認はスムーズだった。

 彼女は暫く凝視した後、目を背け、「もういいです」と答えた。
「弟のことだから、こんな事になると思っていた」
 そう呟くと、また黙り、少し考えた所で涙を流した。
「こうならないために学校に呼んだのに!」
 絶叫が響いた。

 彼女が落ち着くまで個室を用意してくれた。
 転生者じゃなければなかった待遇かもしれない。
「どーせ犯人は見つからないんでしょう?」
 尋ねるので「調べようと思えば見つかるよ」と答える。
「別にいいです。どうせ、自分で悪い事したんだろうし。
 そういう運命だったんですよ」
「そんなこと言わないで」
 私が宥めようとするが、彼女のやや怒りの籠もった言葉は止まらない。
「なんで私は生きてるんだろう」
「生きて欲しいって思う人がいるからだよ」
 私の声は届いただろうか。抱きついて大泣きをされた。

 諸々の手続きは黒服二人がやってくれた。
 和音ちゃんは署名捺印をして東京に一泊である。
 明日までに通夜と告別式をやってしまうそうだ。
 誰も呼びたくないと言うので、私と和音ちゃん、黒服二人だけのお葬式となる。

 黒服二人はその手の手配もささっとしてくれて、全てがつつがなく終了した。
 火葬場の待合室で向き合う。
「私、ちゃんと生きようと思う。勉強もするし、仕事もまともな仕事をするよ」
 それは思いつきではなく、決意の満ちた眼差しだった。

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