0287 生徒に対する悪戯と挑戦

ページ名:0287 生徒に対する悪戯と挑戦

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 誰が始めたのか、稜邦中学校の生徒になら悪戯をしても許されると考える馬鹿者が現われた。
 知能的に幼いばかりか、人格的に人のレベルを軽く下回っている。
 悪戯と言っても、警察に捕まるようなものはやらない。小癪な話である。
 例えば、道すがらの生徒の顔を動画に映していき、それに対して不細工だとか、将来ビッチになる顔だとか、頭が悪そうとかそういうコメントを付けるのである。
 これに始まり、生徒に失礼な事や犯罪すれすれの行為を行った上で反応を見て笑ったり、動画の反応に対して挑発的な動画を上げたりした。

 これのお陰で、外に出るのを怖がる子が出てきて、警備体制も強化が図られる事になる。

「稜邦中学校で学ぶ人、働く人は例外なく身内だ。
 身内を愚弄し、虚構によって印象を悪くしようとするあらゆる試みは、我々に対する敵意と見なします。
 思慮が足りなかったとか、調子に乗ってしまったとか言う言い訳には一切配慮しない。
 一般の良識のある人々は、そのような挑発行為を行わない。例外的な人たちによる、そのような逸脱に対して我々は容赦しない」
 私なんかで迫力があっただろうか?

 動画共有サイトに善処をしなければ訴訟問題になる事を告げ、動画の関係者は一人残らず名誉毀損の告発と、民事訴訟を起こした。
 また、同調するようなコメントに関しても酷いモノをピックアップして情報開示を行い、すぐさま裁判の準備を始める。
 それを見て不味いと思ったのか、動画を撮っていた幾人かは、謝罪動画を上げていた。尤も、半笑いのコメントに、収益を切っていない状態である。形ばかりの謝罪だ。
 中には、「スルー力の欠如」とか「短気すぎる」などとまるで怒る事がいけない事という言い方までする。
 更には「面白くない連中の脅しなんか気にしない」と言うファン向け動画まで出していた。

「人の敵愾心を煽る事は、怒る事よりも無益だと信じている。
 常識と言うものを自分の基準で振りかざすべきではない時代に於いても、なお以て常識と照らし合わせるべき事は多くあり、他人の怒りを積極的に利用するのは決して道徳的とは言えない。
 人は平和に暮らす権利を侵された時は怒るべきであり、法的に許される形で闘争することになる。裁判に頼るやり方は近代以降の社会に於いて、野蛮さを取り除いた決闘と見なしてよいだろう。
 裁判とは言わば、決闘する覚悟のない人間に対する法的な保護である。故に己を守っている法と道徳さえもを尊重できない人間は、その銃口を己に突き付けていると言える。
 人に嘲笑を突き付けて、その人から怒りを得てそれを不当なものと主張するのはマッチポンプと言ってよいだろう。
 そのような形で人々の注目を集めるのは、秩序への挑戦と言っても良い」

 動画共有サイトは流石に反応する。動画を削除し収益化を停止させた。
 そうもなると、漸く事の重大さが分かってきたのだろう。
 適当にやっていれば、裁判沙汰にはならないと信じていた。だが、そのようなことで許していては、可愛い生徒達を守れない。

「すでに謝罪の時間は設けた筈だ。
 軽率と言う言葉は、精神的成長を後回しにした人の免罪符に使われてよいものではない。
 もう責任逃れが出来る年齢ではないのだから、自分に対して真剣に向き合って欲しい」

 その後、裁判が本格化し、途中から詫びを入れる連中も出てきた。
 殆どの民事訴訟は和解と言う形で結審した。そのような案件に関しては、刑事事件の方は起訴猶予とされた。

「間違いを犯した時にする事は、謝罪と撤回であり、不当な利益は自分の懐に入れてなお居直るのであれば、我々はこれを赦すことは出来ない。
 早くに謝罪や撤回をした人を賞賛する向きがあるが、一般の良識ある人々は、このような事態にならない筈である。
 我々は今後も、我々の名誉と権利を侵す者がいれば、法と道徳によって許されるあらゆる方法で対処する」

 この言葉が、赤の場合で深い意味を持つことになるが、それはまた別の話である。

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