0285
篤稀ちゃんは、俳優としての経験のない実力不明の新人だ。だから、彼女を映画に起用するのは一悶着ありそうだった。
彼女自身は、潜入警護だのなんだのは仕事のうちの一つだから、演技力には自信があるそうなのだけど……
その問題はあっさりと解決した。あの一件で、高畑家とパイプが出来ているので取りなすことは造作もないことだった。
映画に関してはだ。
篤稀ちゃんがあの問題の解決のために、方々手を回したことが、遅効性の毒のように効いてきている。
誰が漏らしたのか、未玖さんの事故は篤稀ちゃんの差し金によるものだとネット上で噂されるようになった。
実際、公式SNSで失礼なリプライが次々に届いた。
それに食い付いたのは、いつだったかトーク番組で篤稀ちゃんがコテンパンにした芸人である。
お笑いネタとしてその手の陰謀論を使い始めたのだ。
「噂が本当なら、そんな陰謀論を唱える人が五体満足でいられないでしょう? 私はあくまで平和を愛する市民なので、法的に解決しますよ?」
そういう嫌みを言って、実際にしつこかった数名を名誉毀損で告発した。
問題の芸人は、流石に同じネタを続けて言わなかったけれど、今度は「俺もアンチ相手に訴訟しようかなぁ」と笑って言うのである。
「裁判はエンタメでもビジネスでもないのですよ。一人の人間の権利と尊厳のために戦うのをそのようにして茶化す人の見識を疑いますね」
私のコメントと事務所側の裁判攻勢で、やっと妙な噂は落ち着いた。
それと平行して、未玖さんの処遇が気になる。
高畑家の娘が最高の医療を受けられない筈はない。だが、マスコミがしつこそうなのが気になる。
悲劇のヒロインとして扱う向きが多いが、その実、包帯の下の顔を見たくて仕方ない、怖いもの見たさの下品な欲求のはけ口になっていた。
本当かどうか分からない、医療関係者のリークまで出てきて、彼女は精神的に追い詰められているだろう。
連日、会った事もない医者が勝手に診断を下して、コメンテーターが鹿爪らしい顔で、悲劇をエンターテインメントに転化させていた。
マスコミの報道倫理の実在性を問うたところで、彼女の状況は良くならない。
私と篤稀ちゃんは学校に掛け合って、校内病院と稜邦中学校への転校を提案した。
最初は固辞していたけれど、先のリーク情報が週刊誌に流れると、彼女は疲れた顔をして転院と転校を同意した。
元々、転生者による研究のために病院であったが、それが黒服や関係者の為に使われるようになり、今は準大学病院と言った施設になりつつある。
尤も、開かれた病院ではないから患者は、実験的な治療に同意した人と、学校関係者のみに限られている。
日々の業務に追われる事がない故に、若手の医師が修行のために来ていると言うのもある。
かつて命拾いした大富豪も、病院通いの為に近隣に引っ越して来ている。
私が未玖ちゃんを迎え入れたとき、「あれは森上グループの……」と言うので、「ここではそういうのはナシだよ」と忠告しておいた。
ここで篤稀ちゃんと彼女の心の交流みたいな話があれば、さぞかし"宣伝"に使えただろうが、残念ながら映画に本業に忙しく、それどころではなかった。
篤稀ちゃんはテレビでの露出が増えるし、芸能界でもそこそこ上手くいっているらしい。
さる週刊誌は冷笑的に分析する。不死者は何処まで行っても中学生ボディなのだから、芸能界でパイを奪い合う相手ではない。そこまで考えていないにしても所詮は子役だ。舌戦しても碌な事にならないのは既に証明済みだ。だから、わざわざ藪を突くマネをせず、表向き仲良くやるのが正解だ。
勿論、篤稀ちゃんにしても他のメンバーや、真生ちゃんルイちゃんにしても、仕事を楽しいと言っているし、その表情に陰りは見えない。
彼女達は画面の中で光り輝いていて、それ自体真実だ。
未玖ちゃんは元々そちら側にいた。前の主治医からは元の顔には戻らないだろうと言われていた。だから、篤稀ちゃんがその場所にいるのを平然と受け入れているとは思えなかった。
彼女を病室に通して、幾らかお話をした。
一言で言えば気丈である。否、それを装っているだけだ。
「ここでひと泣きでもすればよかった?」
この台詞は彼女の全てであった。自分を自分で惨めな立場に置きたくなかったのだ。
それから葵ちゃんの診察に向かう。
CTの写真を見ると、砕かれた頬骨がつなぎ合わされどうにか形を保たせているのがわかる。
「こんな子供に分かるの?」
強気な彼女の反応に、葵ちゃんは穏やかに応える。
「人間の身体なら頭の天辺から足先まで切り開いたからね。死んだ人間もいたし、生き長らえた人間もいる。
よろこんで。私、天才だから」
笑えない冗談に憎悪を剥き出しにした視線を向ける。
「その分だと、それも痛いでしょう。
今日、これからもう少し正確にスキャンして、骨の状態、筋肉の状態を見ます。
それと同時に、体細胞から生きている骨を復元して、最後は身体に戻して、ちゃんとくっつくように処置すれば、自然な感じに戻るよ。
同じ方法で処置した事もある。
大丈夫、今の科学を信じなさい」
鋭い表情をする葵ちゃんに、未玖ちゃんは「包帯も取らないで、よくそんな診断できるね」と憎まれ口を叩く。
「触診は当然するよ。でも、ちさとちゃんにも見せたい? 一応、彼女、君の"担当"でしょ? どうする?」
さらりと言いにくい事を言う。
彼女は目を閉じて考え事をしている風だった。
「いいよ。見ても。
でも、少しでも嫌な顔をしたら、一瞬でも憐れんだら、担当を変えてもらうからね」
今度は私が覚悟すべき時だった。彼女を憐れむ気持ちはなかったが、その顔を見てそれを維持できるだろうか?
彼女は、自分から包帯を外し始めた。
四十代に見えるナースが、無表情で手伝う。
ぐるぐると巻き取っていって、いくつかあるガーゼが残った。
その顔は文字通り半壊であった。
反対側は殆ど無傷であるけれど、もう反対側は形の維持がやっとという風である。右目は眼球も失われている。
葵ちゃんはゴム手袋を填めて触診を始める。
「なるほどね」
一通り触り、そして手袋を外すと、電子カルテに色々と書き込んでいる。
ナースは葵ちゃんの指示で、新しいガーゼと包帯を巻いていく。
未玖ちゃんはそれを黙って見つめている。
「義手と義足は前の病院で手配して貰っているからね。
でも、念のために見るよ。"余所行きの義足"も欲しいでしょ?」
別の三十代ぐらいのナースが入院着を脱がしていく。
下着姿の彼女は身じろぎもしない。
右の二の腕は半分に、右足は膝から先がなかった。
傷は塞がっており、葵ちゃんの触診でその先が柔らかい組織で覆われているのがわかる。
「最速で作って貰ってるから、年明けには両方付けてリハビリできるよ。
必要以上に頑張らなくていいけど、メニューには付き合って貰う。なぁに、最近の義足は凄いからね。なんとかなるよ」
未玖ちゃんは真剣に聞いている。
「あと、ちさとちゃんの事は合格でいいかな?」
葵ちゃんが聞くと、「好きにしなさい」と突っ慳貪に答える。
葵ちゃんが私にウィンクすると、なんとも複雑な気持ちになった。自分としては表情を作る事さえ忘れていたと感じていたからだ。
人の顔の心配をしなければならないところで、自分の顔の心配をしているとは、いささか不謹慎だなと思った。
「未玖さん。あと、一つ言うけど、ちさとちゃんも色々と忙しいからね。つきっきりはナシだよ」
「当たり前じゃない?」
彼女の顔は挑戦的だった。
ああは言ったものの、彼女は不安に違いなかった。
とは言え、私一人で解決しようとは思わない。
彼女と同じ二年生で、面倒見のいい子を何人かピックアップする。そしてノートを持って行ってあげないかと相談した。
それなりに優秀な子が集められているから、ノートを綺麗に整えて、怪我人に理解のある子は容易に見つかった。
学校に通えるのは来年になるので、来年の担任になる先生にも伝える。
こうした話は、彼女の同意のうえで共有される。
元気にやれているようだ。
と、葵ちゃんに呼び出される。
「ちさとちゃん。気をつけておいてね。今は気を張ってるからああしてられるけど、これは人生の大きな挫折だよ。ショックじゃない筈がないんだ。
その時、支えてあげるのはちさとちゃんと、友達だからね。
人間は遅かれ早かれありのままの自分を受け入れる必要が出て来る。どんな形であれ。
ところで、ちさとちゃん。貴方って自分が思うよりも自信がないんじゃないかな?」
これが一般人の会話なら一笑に付していたかもしれない。私は記者相手に丁々発止の会見をしていると見られがちだ。
だけれど、確かに私はあそこに嫌な緊張感があるのを感じている。いつか打ち負かされて再起不能にされてしまうかもしれない。
自分の事で自惚れることは出来ない。
「不謹慎かも知れないけど、チャンスだよ」
本当に不謹慎だなと思いつつ、それを受け入れる自分がいる。
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