0281 赤の場合以降の共和国と日本国との関係

ページ名:0281 赤の場合以降の共和国と日本国との関係

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 赤の場合以降の共和国と日本国との関係は、通商関係のある冷戦と言う微妙な立ち位置にある。
 お互いに宣伝戦を仕掛けて、国民の綱引きをやっている。
 日本国のメディアはしきりに独裁を強調するが、我々はそんな日本国の階級化と労働者の搾取に警鐘を鳴らす。

 日本国は、リベラルの理念は悪魔にだって引用できるとばかりに、自分たちの気に入らない表現、社会的立場を弾圧して、それをそのような階級と押し込める事に成功した。
 日本国は、自分の敵を陥れる為に、「アイツはアニメオタクだ」と言うレッテルを貼るという、告発社会になっている。
 大学の入試も、頭脳の高さよりも、口の巧さを選考基準とするようになり、そういう人間ばかりが支配的立場に就くようになるのだ。
 尤も、現実の児童買春に関してはかなりダークな世界になっている。巧妙に犯罪組織は隠され、また尻尾切りは潔くと言う案配である。有力者ともなると、着衣者を"飼う"のが嗜みとなっているぐらいだ。

 我が国はそこから命からがら脱出してきた人間を保護している。
 日本国はその様子を見て、今度は"難民爆弾"を寄越してきた。移民を受け入れつつも、その移民を我が国に押し付けるつもりなのだ。
 日本国で逮捕された不法就労者やホームレスを我が国に片道切符で送り出し続ける。
 我々はそれを受けて立つ。彼等に職業訓練を施し、国の理念を教育し、確実に我々の力に変えていったのだ。
 彼等の愛国心は、従来の国民よりも高いぐらいだ。

 旧日本国の国民は、難民が来たときに「自分の国の福祉に頼って下さいね」と冷たくあしらったが、その自分の国が自分を保護してくれなくなったと見るや、恥も外聞もなく我が国に押し寄せている。滑稽な話だ。だが、我々は彼等とは違うのだ。

 我が国は、「大統領になろうと思わなければ、なんにでもなれる」と揶揄された。
 別に、大統領と言う仕事を独占しようとしていない。ただ、現実に初代、二代と圧倒的多数の得票数で転生者が選ばれている。それを指しているだけのことである。

 日本国の場合、公僕が税金から給料を得るのは罷り成らんと言う、ご立派なタテマエを元に、地方自治体から国まで議員と名の付く職業に給料を払わなくなった。
 その結果、議員は資産を持つ人間のみの職となり、そしてそのような人間が、身内に対して利益誘導をしないはずがないのだ。
 マスコミは腐敗絡みの報道が"金にならない"と言う理由で取り上げる事はなく、国民は益々貧しくなる。
 プライマリーバランスの黒字化は達成したが、それはつまり、お金の流れが国側に向く事になる。税金を取った分より少ない分配と行政サービスを国民が受けると言う意味に他ならないのだ。その黒字の行き先はどこだろう? それを追及する人間は、メディアに登場することはない。

 日本国のメディアは、共和国を悪し様に言うことが仕事のようになっている。様々な証拠を捏造し、国内向けに発信する。
 尤も、インターネットを経由して、正しい情報は人口に膾炙する。
 こうなると、政府はSNSの運営会社に圧力を掛けて、不都合な情報を操作するようになる。それを拒否したサービスは日本から追い出される。
 通信の自由は我々の理念の一つだ。なので独自に通信アプリを開発し、日本国の情報規制を回避する。
 通信速度が遅い場合も、また限られた時間のみしか通信できない場合にも対応していて、彼等の助けになる筈だ。
 またAMラジオも地味に無視できないメディアである。
 誰も自国メディアの事など信じず、ただただ、共和国で働く未来を夢見る。それが日本国の労働者の姿である。

 日本国内では、共和国円の流通を認めていないが、昨今では日本円よりも信用が高いとされている。我々が貨幣を物理的な形で残している唯一と言っていい理由である。
 共和国円の不使用や通信アプリの禁止などは、法律に盛り込めないので"就業規則"として様々な会社で規制される事になる。尤も、そんな会社とて我々と無関係に商売できやしないのだから、それが形骸化されているのは言うまでもない。

 我々の目的は、我々の国民がより幸福になることであり、そしてその理念で世界を平和にすることである。
 だから、共和国が日本国を敵視する理由はない。だが、日本国が弱るほど嬉しい人間と、それを利用して自分の利益を確定させている連中は、共和国に敵対する方が目的に適うと信じている。

 さて、その中でアメリカはどう動いているのだろうか?
 アメリカはアジアでのプレゼンスを失いつつあった。
 最後の抵抗を見せる制服組にも、じんわりとモンロー主義に染まりつつある。
 沖縄の基地撤退、駐留部隊の削減が進む。一方、中国人の移民が増えてきている。日本に対する影響力は健在だが、「日本がロシアと中国の方を向けば、アメリカの相手をしなくて済んで、万事解決だ」と言う、少し前に馬鹿にされていたような言論が、平然と語られるようになった。
 何処かで大きな動きになるかも知れない。政治関連の子たちがピリピリしている。

 我が国は今の所、具体的な軍事同盟をどことも組んでいない。否、密約的に転生者が秘密作戦に参加する事はあるが、表向きには重武装中立である。
 統合一個軍団を備えており、関係の良好な国に請われて、海外へ派遣される事も多いため練度は高い。
 国内の対テロ作戦の事もあり、国民の防衛軍に対する好意は強く、民間人による防衛軍割引などのサービスが存在している。
 兵士に対する国民の意識は、兵士の士気に直結するし、何より怪しい思想家が付け入る隙を与えない。
 左翼教員による自衛隊員の親類に対するいじめの類を思い出すと、これは真っ当な施策である。
 一方、派兵が核融合発電と共に、我が国の外交的ツールになっている事は、我が国を好ましく思わない者からは"傭兵稼業"と思われている。
 実際、我が国のやっている事はそれに類するものだし、防衛産業も盛んになって来ている今日この頃は、それも否定できない。だが、パソコンの前にいてくだを巻く程度の"平和活動"に、我々の実際的活動が負けているとは思わない。
 未だに海外での自衛隊の活動が、あやふやな法解釈で成されているような国に笑われる資格はない。その為に、政治家の人たちは日々、責任を持って国の舵取りをしているのだ。

 我が国も問題がない訳ではない。汚職の類が幾ら潰しても消えない。勿論、多いと言うのはかつての日本国と比較してと言う話である。
 公共事業が増えて競争も激しくなると、こういうことも起こるだろう。徹底的に取り締まって、逃げ得は許さない。
 これで幾つの会社が潰れたか知らないが、技術や知財は国内の企業に吸収されている。
 徹底的に許さないと言えば、詐欺や似非科学の類も逃げ得を許さない。徹底的に科学的根拠を追求し、それが出来なければ告発すると言う事をしている。
 我が国が薄汚い連中の稼ぎ場になる事を許さない。
 尤も、そうなると国境付近で商売を始めるようになるのだけど……
 こういう人間を潰していくと、一番悪い奴に限って上手いこと逃げおおせる。それも絶対に許さない。
 日本と犯罪者引き渡し協定は結ばれていないのだけど、こっちから出向いて始末している。これは闇の仕事ではあるけれど。
 誰も言わないが、それはマフィアのようだと皆思っているだろう。だから明るい独裁国家と言うのは確かに間違いではないのだ。
 司法は理路整然と、そして感情に左右されてはならない。これは確かである。しかし、それが上手く機能していると、国民は鬱屈とした気分になる。そのガス抜きはしなければならないだろう。この国が独裁国家である限り。
 横行する腐敗は、国民の政府に対する信頼度のバロメーターではあるのだ。全く報道させないか、徹底的に取り締まるか。そのどちらかの選択を迫られるのである。

 内情をよく知るマスコミ関係者は、"知っている者同士"ではかなり政府に批判的である。
 だけれど"ガス抜き"の部分は"非"公然的な秘密作戦で行われており、それ以外は法的手続きによって粛々と執り行われている。
 我が国は死刑を撤廃しているが、しかし現場判断での射殺は許されている。これが素晴らしい国家像とは思えないが、しかしそれこそが世界の潮流である。遠からず、移民に対する移民局や警察の弾圧がマスコミに批判される頃だろう。
 綱紀粛正は大きな組織ほど行き渡らないものだ。豊かになるほど悩みは多い。

 ガス抜きと言えば、言論の自由は大切にしていると言う表向きの立場がある。勿論、さっきの詐欺師や汚職に対する最終手段とか、海外派兵に関して、政府に本当に不都合な事は隠しているのだけど。
 手軽な問題は叩かせるだけ叩かせて、それに平身低頭真摯に取り組むと言う姿勢を見せる。
 独裁国家は民意を汲むのが難しいと言われる。その点で、我が国の方式は理に適っているのではないだろうか?

 表現には基本的にケチを付けない。
 非実在の人物に何をしようと、ゾーニングの範囲なら誰も文句は言えないはずだと。そして、守るべきは本当の性的被害者である。
 国家、政府の目標は正義ではなく、自分ではどうにも出来なくなった人を救うことである。
 青二才は、世界に正義が普く布かれれば、世界の全てが幸せになるとでも思っている。
 正義は人の数だけあり、それらは常に矛盾をはらむ。また、社会的な事情や文化的な背景によって偏りは常にある。
 そう言う事情で、政府は全体的な傾向としては正義を行使するが、それを目標としてはいない。
 目の前に逃げゆく詐欺師と、血を流し倒れた人がいれば、後者を助けるのが我が国の方針であり、逆に目の前でマシンガンを持った無差別殺人の犯人がいるなら、倒れた人の処置よりも先にその犯人を無力化させなければならない。
 それは正義の問題ではなく、優先度の問題だ。優先度はつまり、目の前の一番不幸な人を助ける事である。

 表現規制に関してはちょこちょこ話題に上がる。政府とは無関係な学校の会見でもこうだ。
「非実在青少女が犯罪を増やすという研究がありますが」
「研究の成果は出ておりますか? 我々としては、マスコミが犯罪や自殺を誘発させるデータが積み上がっておりますが。
 ゲームやアニメ表現が気に入らないのはご察ししますが、その有害性に関しては、議論の余地があります。長い社会研究の歴史の中でそれほどまで注目を集めて、明確な答えが出ていないと言うことは、その有害性はあっても非常に目立たないものと言わざるを得ません。
 世の中には有害であっても、社会福祉に反したり、また規制が有効でないと分かっていて禁止されていないものが沢山あります。
 例えば、アルコールの規制が上手く成功した試しはありませんし、パンや肉などの焦げが発癌性を持つことを知っていても、これらを焼くことを規制することは現実的ではありません。
 政府が無限にパターナリズムを行使すべきではないし、行使する事も出来ません。その中で他人の利益、社会の利益を明確に削ぐ行為を止めさせる為に存在しています。
 例えば、我が国が行っている動物飼育の免許、許可制に関しては取締を含め外局に任せておりますが、これは飼育動物の福祉に効果的であるからです。
 翻って表現規制による恩恵と言えば、政府の気に入らない表現を抑止させ、また自己検閲させるぐらいの利点しか見えません。我が国は理念としてそのような利己的な政府に立ち入る可能性は、一切排除する事としております。
 あなた方は、自分の気に入らない表現を止めさせるだけだと思っておりますが、その権力を常にあなた方が掌握できるのだなどと考えるべきではありません。
 世界というのは潔癖ではいられないのです。貴方が誰かを嫌う自由があるように、誰かが貴方を嫌う自由があるのです」

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