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赤の場合以降、共和国と日本国は当然仮想敵国として対立することになる。勿論、経済的には存分に結びついているし、国境を壁やフェンスで囲っていない以上、人の往来は殆どフリーである。
いうまでもないが、それは表向きである。何処の国でも似たようなものだ。どんな国だって探りを入れるし工作もする。それは友好度と関係ない。
経済的な結びつきは戦争に対するコストを大きくし、不合理にすると言われるが、それは第一次大戦前夜にも言われた事だ。
全面戦争になった時、我々は物理的にこれを止める方法はない。敢えて出来るとしたら、首狩り部隊を送って報復するぐらいだ。それは勿論完遂できるが、完遂できると相手が認識さえしなくなれば、それは抑止力にはならない。
かといって、普段から日本国に対して武力を振うわけにはいかないし、不都合な人間を暗殺し続ける訳には行かない。少なくとも相手も我々も"報道の自由"のある国なのだから。
さて、そういう中で昨今のモダンな戦争は、ハイブリッド戦である。
赤の場合以降広がった日本のスラムを中心に、烈度の低い非正規戦を行う事が多くなった。
勿論、女子中学生が戦っていればバレバレであるから、専用の部隊を使う。
RFは元々日本国の極左団体の行動部隊だった。尤も我々からしたらそれは革命ごっこのために、ならず者を集めているだけにしか見えなかったけど。
我々は先ず、ここに浸透し、内部闘争を戦い抜き、そして日本国の左翼政治家からその中枢を奪取した。
扶桑会議が我が国でテロ行為や諜報活動を行っている事のカウンターである。だから、彼の国で戦い、奪い、人心を掌握する任務を与えている。
さて、近年の日本国に於いて、貧富の差と人間の階層化は酷いものになっている。
労働者に対する搾取は、体面さえ失った。
野党は、政治家という既得権益さえ守れればいいので、表向き口当たりのいい事ばかりを言い、その実仕事をしないでいた。
「"金持ちは儲けているから、道理がなくてもカネを取るべき"だって」
私が嫌みを言うと「"富農を吊せ"まであと一歩だね」と藍莉が笑う。
「日本人って必死な状態が続いても爆発しないみたいな特性があるんだろうね。明治とか戦後とかそれが勝ちパターンだったんだけど、戦中とか今みたいに生きるのに必死を強要されても権力者に楯突かないみたいなのあるからなぁ」
我々はこの政治の不作為を利用して、アジテーションを行う。
我々の雇った煽動者は若者の気持ちを掬おうとしている。
「ただ小さな事で笑って暮らしたいだけなのに、気取った人がそれを不道徳と糾弾する。
挙げ句に、もっと不幸な人がいるとか、向上心がないだとか言われる。
人間は幸せになる為に生きているのであって、生産する為に生きているわけではない。少なくとも金持ちを肥やす為に働いているのではない。自分を豊かにする為にだ。
お金が価値中心である考え方は、幸福についてシンプルに考える方法だ。そして、それは好まれ、実践されてきた。
お金を稼ぐ事以外で幸せになる事を見つけた人を徹底的に不幸にしようとする。お金を稼げない人間が幸福を感じるのを許さない社会になっている。
あらゆる事に利益を出すことを目指して、利益の出ないあらゆる活動は不要――否、害悪とされる。
そしてそういう価値観が底辺にも行き着くと、貧乏人同士でいがみ合うようになる。
そこから先は、暗黒時代だ。誰もその構造に疑問を持たず、日金を稼ぐ事以外を考えない日々が続く。社会は固定化されて、人類は成長を止める」
RFは今の硬直した状況をひっくり返そうとしている。
徴兵制の導入に関しての議論では、「若者は楽をしているという考え方と、鍛えれば都合のいい存在になると思っている。自分を楽にしてくれる政策が正しい政策だと思い込んでいる老人、それも自分は国に何もしてこなかった連中が、若者の自由を自分のために捧げろと言う。如何にも身勝手な時代に生きた人間だな」
「RFにシンパシーを感じる人間は、今まで努力しなかったクソ野郎だから」とふっかけられた時にはこう答える。
「努力教は成功は自分の努力に帰すると思ってるから、他人に対する感謝がない。
人間何処でどういう努力をしているかなんて見る来もなくて、そしてそういう人の努力で世の中が成り立っていると言うのに、それを全部見ないようにして、人を馬鹿にしているだけじゃないか。
人生に影響するファクターは沢山あるし、評価点も沢山あるのに、コレをすれば正しいなんて答えが常に一義的に存在するだなんて事はない。
そこで正解を引けるのも運だし、正解を引ける位置にいたのも運だ。そして、それを他で繰り返して同じ成功が約束されることはない。
努力教徒は、そういう人生の複雑さに正面から取り組まず、ただただ方法論を望み、それを履行すれば自分が成功し、そして幸せになれると考えている。
実際に成功し、幸せになれているなら兎も角、成功も幸せも掴めていない人間がこれに拘泥すると、手段が目的になりそれ以外の情報を全てシャットアウトするようになる。
RFへの偏見も全てそれを肯定するのに便利だと言うだけの理由で存在しているだけだ」
「どうせ自分はどうにもならない運命にある」と言う嘆きに関しては、「運命があるかどうか知らないけど、自分の力の及ばない部分で自分に恵まれた所があるなら、それを感謝するぐらいの視野は人生に必要だと思う。自分の力ではどうにもならない不幸に関してはそれを受け入れた上で人生のプランを考えなきゃいけない。人が運命と呼んでいるものの殆どはそこにあると思うよ」と寄り添う。
「RFは嫉妬を原動力にしている」と批判されれば、「"嫉妬は駄目"って思いを強くすると、"あいつの事で気分がぐらつくのは、あいつが悪い奴だからだ"って感情を合理化させるので、程々に嫉妬して、それを意識できるぐらいの方が正しい」と答える。
若者の刹那的な人生観について批判する者が現われたら、「刹那的な人間に対して"将来のことを考えろ"っていう奴いるけど、こういう場合の将来って、刹那的に生きなければどうにもならない人間を抑圧している人間の将来であって、そんなもん知るか。俺が死んでお前が苦しむなら、それ以上にない死の理由はないぜってなるんだよ」と批判した。
それに対して、「若者の為に思ってやってる」と来るので、「そこらのラーメン評論家も、創作の教師を勝手にやってる奴も、ボーリング場の教えたがりも全部そうだ。
人間、自分のやってる事に自信がなくなると、本来好きでやってる事を、"誰かのためにしてやってる"と言い出すようになる。
そんなに人の為に役に立っている顔をしないとやっていけないのか?
自己顕示欲を持つのは勝手だが、人に迷惑を掛けるな」と馬鹿にしてやる。
RFにシンパシーを感じてると言う投稿をした人が、過去の右翼的投稿を持ち出された時はこういう。
「"自分の選んだ道から逃げるな"って言う言葉、尤もらしいけど、最初に選んだ道が間違いだと判明したときにやるべき事は、一刻も早くその道を捨てる事だよ。
人が間違いを正そうとしている時に、変節するなと言う人間は例外なく滅びるべきだ」
さる政党の口当たりのいいマニフェストを批判して、「人は専門家より詐欺師の話をよく聞くし、同じ失敗を体験した人の話よりも、失敗しなかった人間の話をよく聞く。
自分でそれを実行しなくてもいい奴ら、自分のケツを拭かないで済む奴らは何でもかんでも無茶苦茶にやる」と言う。
端的に言うと「こういう若者は助けたい、こういう障害者は可愛い」と言う事をオブラートに包んだ投稿があったので批判する。
「助けてやっていい奴と悪い奴を区別したがるって、要は、生殺与奪の権を握って人ににじり寄りたいっていう下衆な欲求があるってだけじゃないですかね」
RFに誘う時の殺し文句はこれだ。
「生きると言うだけでカネがかかり、カネがないと言うだけで死んでいく。
人に指示される生き方も、人に指示する生き方も出来ず、かといって、一人だけで生きていく如才のなさもなく、そうして仕事をする事がままならなければ、社会で生きていく資格はなくなる。社会性の喪失は人間性の喪失と同義とされる。
そうなった時、人間に出来るのは死を受け入れる事か、死に物狂いの闘争かのどちらかだ。
君はどうしたい?」
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