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文化祭だ。
今年は例年と違って、普通の人間の生徒が沢山いる。
そして、夏から学校にいる生徒にとっては、初めての行事と言える。
それ故に、文化祭を今まで通りの呑みメインの場にする訳にもいかなかった。
この時期に至るまでに、サークルの類は幾つも立ち上がっていた。
サークルというか、同好の士が好き勝手に集まっていると言うのが正しいか。転生者や教員も参加しているが、指導的な立場は控えめに、一緒に楽しむと言う形である。
楽しむという事に純粋になれば、その限りで人は年齢の差を超えられるものである。
例えば同じゲームの卓を十代、四十代、七十代で囲むこともある。そういうところで威張ったり、マウントを取ろうとしなければ、誰だって友達になれる。
これが作品があるものとなると、活躍の場も欲しくなる。
今まで一つの舞台で完結していたものが、あちらの体育館、こちらの講堂、そちらの会議室を使ってやることになった。
クラブイベントをやりたいと提案した五年生に対して、かなり前のめりになって私財を提供した転生者もいる。
精々小さなDJブースさえあればごっこ遊びが出来るだろうと思っていた生徒だが、賛同者が増えてきて、何台もの業務用プロジェクターや照明、レーザー機器、それに大型のスピーカーが体育館に据え付けられるに至った。
これらの品は、レンタルではなく個人の所有物として調達されたものである。
このイベントに限らず転生者はいいスポンサーであった。温泉施設の二次拡張計画にしっかりとゲームセンターが入れられ、雀荘が加えられ、カラオケが足され、漫画喫茶が付くと言った具合だ。校内にはスタジオブースが増えていったぐらいである。
私のお店が半ば強引に存在しているのだから、こういう"福利厚生"に文句は言えまい。
それにそれが実益に繋がるのは、H.A.R.M.S.が一年早く証明している。
国内での荒事が封印されている今、海外出張のボリュームが増えるのは避けがたい。そこでそれ以外の収入が増える事はいいことなのだ。
温泉施設に関してはまた別に譲るとして、校内で増えて行く建屋は、増えて行くなりに用途が割り当てられていく。
二次工事が始まって三次計画が進んでいく。
工事用のフェンスで動線があちこち寸断され、ちょっとした迷路のようになっている。それを生徒は面白がり、また、迷った来客を案内するのが、よい交流として機能している。
所謂コミュ障(と自分を思い込ませている)生徒に対しては、「コミュ障は治らないけど、人と話すのは単なる技術だから身に付ければ最悪な事にはならない」と指導している。
言ってみれば、コミュ力が強いと言う人は、自分のコミュ力と呼ばれるものに無頓着だ。余りにも気にしすぎる人は、それだけで自分の発言に恐怖してしまう。それがコミュ障と呼ばれるものの正体だ。
確かに、自分の好きな事だけを延々と喋って相手の事を聞かない人や、相手に対して如何にマウントをキメるかを第一にしている人もいるが、それはコミュ力が云々よりも人間理解というモノに問題があるのだろう。
相手の話をよく聞いて、否定せず受け入れると言うのは、カウンセラーなら大切な事だし、生活する上で大切な技術の一つだ。しかし、これを異性に行うなら「いい人だけどつまらない人」になるだろう。そこで少しの我が儘を持ち合ってお互い享受できるなら掛け替えのない関係になろう。
勿論、「いい人」を求め合うなら、それも素晴らしい関係だ。結局、それは衝突確率の問題で、個人の資質の問題ではない。
そんな話を一人一人にして、「私とこんなに話せるんだから自信出して」と言うと、僅かずつに空気が良いものになる。
人間余裕が出てくると、人に親切にしたいという人間らしい感情が強くなる。
そこで例の道案内になるのだ。
別にコミュ力強化の為にお願いしている訳ではないから、来客もそれぞれだが、来客は概ね親切だ……後ろに転生者がいるからだが。
「"英語の勉強のため"と言う理由のために、外国人に容易に語りかけるなよ」とは言っているが、道案内と道中の会話ぐらいなら無理はないだろう。
そういう校風が出てきた中での文化祭である。
様々な来客がやって来る。
出し物はしたい人がやればいいし、実行委員会もなりたい人がなればいい。そういう中でも、みんなそれぞれに役割を求めるものだ。
案内も誰それに会いに来たと言えば、アプリを使って連絡を取る事も要求される。
そうやって、普通の生徒も転生者も関係が出来てくる。
楓さんはいいサイクルだと笑う。
「狙ってたんですか?」
私が尋ねると、「いや?」と微笑んだ。
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