0234
三十年ほど前の事件だ。
私と同じ、御堂ちさとと言う人物が行方不明になった。その年齢は十四歳だったと言う。
当時は大きなニュースになったし、"御堂ちさと 行方不明"と検索すると、私ではなくその子の名前と写真が出てくる。
その子は明らかに私に似ていた。
三十年前の事件だから、家族も忘れたかったのかも知れない。最近まで接触はなかった。
その記者たちがどう取り入ったのか知らないが、さる新聞社から私の元に「一度面会してみませんか?」と言う話が舞い込んだのだ。
怪訝に思いながらも、「まぁ、会うぐらいいいか」と承諾した。世間に愛される不死者でなければなるまい。
そんな事情でスケジュールを調整して、私がお宅に伺う事になった。
"家の方が色々と記憶も甦るのではないか?"と言う提案に乗っかるためだ。これで何もないなら、後腐れなく関係なしと言えるからだ。
場所は都下の住宅地だ。
これは決して口にしてはならないと言う思いが、脳裏に立ちこめてくる。
具体的な見覚えはないが、何となく懐かしいのである。
スレート葺き木造モルタル造築四十年のその家は、壁に出来たひび割れを補修した跡のある、すこしボロっちい家であった。
聞くと、いつ帰ってきてもあの時の家で出迎えたいと言う。
室内は丁寧に使っているのか存外綺麗だ。多少リフォームはしたかも知れない。
何となく間取りが分かる気がするが、それを気取られてはならないだろう。
「娘さんの部屋は?」
尋ねると、少し残念な顔をしながら二階の部屋を案内される。
噎せ返るような郷愁が私を襲った。
「あの日からそのままなの」
母親が大切な宝物を見せるように机を撫でた。
「そう」
私の淡泊な返答に、父親は「何か、こう……」と私にコメントを求めてきた。
「ご免なさい。私、期待に添えるような事が言えなくて」
静かに返事すると、「そうか」と肩を落とした。
母親が、「お昼を食べていって! 好きなものを沢山作るから!」と私を食卓へと誘った。
ビーフシチューや豚肉と玉葱の炒め物、金平牛蒡、ハンバーグを出される。
「こんなに食べきれませんよ」
と笑いつつ、少しでも娘の記憶を甦らせたい、その切なる思いを無視出来ない。
少しずつ食べつつ、「美味しい!」とか、「どんな味付けしたんですか?」と尋ねつつ、究極の答え「懐かしい味」を避けるようにしていた。
食事が終わり、「もうお腹いっぱいですから」とデザートを断ると、「こんな返事になって申し訳ないのですけど、やっぱり、私、貴方たちの子供じゃないみたいです。
確かに、お子さんに似ていますし、同じ名前なので何のご縁もないとは言い切れませんけど、やっぱり違うんだと思うんです。
ご免なさいね」
なるべく明るい顔を作るが、二人は悲しそうな顔をしている。たった一人の娘、それが三十年を経て目の前にいる。二人には辛いだろう。
私も胸が張り裂けそうな思いをしながらも手を振る。
「関係なくてもいいから、一度お母さんと呼んで!」
私は固まる。
真栄田さんの時のあれとは意味合いが全然違う。
「申し訳ないのですけど、それは出来ません。
私には帰るべき場所と仕事があるんです。
私は貴方の娘ではないんですよ?
私がその言葉を言うなら、貴方はそれにまた次の三十年を縛られますよ。
私の事は諦めて下さい。お願いします」
そこまで言って、私は玄関へと向かった。
「ご免なさい……本当にご免なさい」
私の背後で涙に暮れる母親の声が聞こえる。
一度振り返り、碌々顔も見ずに頭を下げ、「失礼します」と家を出た。
黒服の車に乗り込むと二人は車のところまで来ていた。
窓を開けて「さようなら!」と手を振る。
一瞬だけ、このときにあの言葉を言えば良かったかな? と頭を駆け巡るものがあった。だけど、そうしなかった。
東京駅に向かい帰路に就く。
泣きそうな事にはならなかったけれど、胸にはもやもやが残ったままである。
これが正しい事は分かっているし、別にあの夫婦の子供になりたいと思った訳ではない。
だが、何かを決定的に間違っているような気がしているのだ。
楓さんに相談してみると、「沢山転生者がおるからのぉ。偶然そういう事もあり得るじゃろう」とあっさりした返事であった。
煮え切らない感情がそこにはある。
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