0224 ちさとの定例記者会見

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 私達に対する"下品な見方"は、勇結ちゃんの一件以降、更に広まっていった。
 それは政治の分野での成功を嘲笑いたい人たちの手によるものだったり、陰謀論を信じている人たちの手だったりと様々であるから、こちらとしても一筋縄ではいかない。
 一々反応する訳にもいかないし、腹を立てていてはキリがない。
 そんなところに、ありあちゃんの漫画をパロディにした、転生者が売春で生計を立てていると言う同人誌が話題になった。
 学校は静観を決めていたのだけど、世の中では擁護派と否定派を二分して大きな話題になっていた。
 それは、当然、記者会見での質問のネタになってしまった。

「パロディに対してリスペクトを求めるのは強権的ではありましょうし、パロディ文化に対して一定の理解はあります。なので、本件、我々から何か対処するつもりはありません。
 ただ、これは一般論としてお聞き戴きたいのですが――同人活動とは原作に対するお目こぼしで存在している訳ですから、その原作者に対して挑発するのは、原作を楽しむ人にも、同人誌を楽しむ人にも、決してよい結果になるとは思えないのです。
 一部の"芸術作品"に関してもそうなのですが、"人の感情を励起させる"事を一大事業のように考えるのは間違いです。
 人を徒に怒らせ、憤らせることが何故文化的であると言えるでしょうか? それが文化を豊かにして人々を幸せにすると考えるのでしょうか?
 政治に関しても文化的活動にしても、その目標は人々の幸福を願うことではありませんか?
 人の不幸を喜び、怒らせる事を目的に行動する方は、これを如何に肯定するのでしょうか? そこに難しい言葉や理屈が必要でしょうか?
 時には怒りも必要です。ですが、それを願う人の企みに乗ることを目的とした怒りは害悪でしかありません。よって本件はノーコメントとさせて戴きます」

 この話は更に騒動があった。さる芸能人がこれに関して我々を下品に揶揄するコメントをしたのだ。
 どのように下品であったかは、口にするのも躊躇われるほどなので言わないが、真実は何一つ含まれていない。
 この発言に対してネットを中心に否定的なコメントが出ると、政治的弾圧だと騒ぎ始めたのだ。

「私達に対する批判は結構ですし、何言うのも自由ではありますが、デマを拡散した挙げ句に、ファンが離れていくのは我々の責任ではありません。
 権利には義務の履行が必要だとは申しませんが、己の発言に責任を持てない人の発言は軽薄と見なされて然るべきでしょう。
 己自身の軽薄さを政治的弾圧だと言って人の所為にするのは、自己中心的ではありませんか?
 ありもしない弾圧を主張するのは、自分の世界に閉じこもる態度です。
 自分の狭い世界に閉じこもっていて、世界の真実の何を知り得るのでしょうか?
 全ての問題のあるコミュニティは、他者からの正当な批判を受け入れることも出来ず、世界を内側から欺瞞で塗りつぶします。
 そして、そのようなコミュニティの行き着く先はいつも不幸なものでしょう。
 再度申しますが、我々への批判は結構です。ですが、我々への敵意を利用するのは決して正しい方法ではありません」

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