0217
今日の記者会見で、やや偏見のある記者に失礼な質問をされた。質問の内容自体はどうでもいいようなモノだが、言葉の端々に我々が異質の存在である事を仄めかしていた。
一方、その記者に快く思わない別の記者が、無駄に不死者を称揚していたので、これもこれでこそばゆかった。
会見は大過なく終えられたが、会見振り返り配信で、心配してくれる声が沢山出ていた。
褒めてくれたり、慰めてくれるのは嬉しいのだけど、この辺の差別意識は、もう少し包括的に判断した方がいいと思う。
不死者に対する差別と当然戦うけど、同時に障害者とか性的マイノリティとか人種とか色々な差別がある。
最近は小狡くなったのか、差別意識を隠してさも保護しているような顔をしている差別とか、差別意識を肯定化する方法があるじゃない。
そういうのは、やっぱり人類の宿痾だから少しずつ直していかないと。
例えば、差別される側が持つ、別の人に対する差別なんかが象徴的かな? 性的マイノリティの人が、特定の精神疾患に厳しく当たったりすることあるじゃない。私はこんなに苦しんでいるのだか、他の連中は甘ったれているだけとかね。
結局、人間万事、差別的思考に流れるものなんだよね。
でも内心で偏見まみれになっていて、それが偏見だって自覚しているなら、別に相手に被害がないからいいんじゃない?
問題なのは、自分の偏見を消化できなくて、社会的正義であるように言わないと気が済まない人でしょう。
私が言いたいのはそういう事かな。内心まで踏み込んで差別だなんだと言って、気に入らない人を吊し上げるのは、それこそ差別だよ。
人が心の中でどう思うかは勝手。でも表向きだけでも礼儀を弁えて、最低限の尊厳を守る。
そういう事を一つずつこなしていって、人は少しずつ、差別意識を薄れさせる事が出来るのかなと思います。
差別をなくそうって言う時に、差別されている側を特別扱いしようっていうのは感心できないね。
差別をなくすって、他と同じように接する事であって、差別された側を特別扱いする事じゃない。
意識的にこれを推し進める人は、それさえすれば、差別的だと言われずに済むって、単にトラブルを避けたい人ばかりだね。
そして、そういうのを利用して自分に特権を得たい人だろう。
そう言う人は、特権がなくなると困るから、どんな小さな事でも差別だと騒ぎ立てて、どんどん先鋭化していく。
そういう事が、人の差別的意識を生むのを知っていて、余計にやるんだよ。そういう人間とも戦わなくちゃいけない。
勿論、差別に口うるさい人が常にそうだとは言わないけど、自分たちが差別される側の存在と言う壁を自ら作り出して、その中に閉じこもる事が救いだと思っている人もいる。
そういうのも、多分、差別を自分のために利用している人だろうね。
私達がマイノリティだと言う事を強く主張したとすると、多分、貴方達は十分強いでしょ? って言われちゃうと思うんだよ。
それはそうだし、だから私達はマイノリティだと言う理由で何か主張はしないのだけど、だからといって、私達の特異性を批判の理由にしていい訳じゃない。
これも差別に関わるどうしようもない人間の特性だけど、何か理由が付けばそれは差別じゃないって言い出す人がいるって事だよね。
これは差別ではなくて、努力しない人間を区別しているだけだって言ったりね。
でも、そういう区別が合理的に検討された試しはないんだよ。だって、人間は常に平等じゃないからね。
容姿の差、体格の差、知能の差、産まれた家庭環境、産まれた国、時代、先天的なり後天的なりの障害。それらは常に一定じゃないし、どれがプラスに、何がマイナスに作用するかも違う。でも、結果を理由に人は人を区別したがる。
そして、それは差別じゃないよ、いじめじゃないよと言う顔を装う。
まるで、何が差別かは自分が決めるのだと言う態度。
そういうダブルスタンダードとか、自分本位な考えは、結局言論弾圧をしているのと同じだよ。
人の行動の制限を行いたい人が差別を利用する。
悪魔も自分勝手な目的のために聖書を引用するって言うでしょ。まさにそれが政治だと思っている人もいる。
ここまで来ると、もう何が正義なのかと言う話になる。
自分に対する批判を潰せば勝ちで、勝てば正義と言うのは、人類にとっていい結果をもたらさないよ。
最後に、マイノリティは、マジョリティを喜ばすために存在する訳でもないし、気に入らない人間を黙らせる材料に使って良いために存在している訳でもない。
独り善がりな、そして礼儀知らずな人間は、それがマイノリティだろうが、マジョリティだろうが糾弾されるべきでしょ?
そういう人の差別を利用する人は、一瞬味方になったとしても、利用できないとみると、一瞬で裏切ってしまう。
私からしたら、そういう人の方が怖いかな。
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧