0198 ちさとの引っ越し

ページ名:0198 ちさとの引っ越し

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「体育嫌いの問題は、体育そのものが悪いのではなくて、指導要綱が悪かったと言うだけだし、数学嫌いの問題も同じ問題ってだけだろうと言う話なので、その辺対策するのは文科省の仕事なんですね。
 それを単純に教員への押しつけで解決出来ると思っていたら愚かだよ。
 体育好きが多ければもっと健康的な人間が多かった訳だし、数学好きや理科好きが多ければ、不合理な政策を支持する事もなかったわけで、これは単純に国益の喪失ですよ」

 と……言う談話が出たら、稜邦中学校が範を見せよと言う話が持ち上がった。

「それをやる事は吝かではないですが、成果が出たら素直に横展開していただけるでしょうか?
 我々が出来なかった結果しか想定せず、自分が成果を認めなければ、延々と苦情を申し立てられるとばかりに、やれと言い募るだけでしたら、それはそれに巻き込まれる生徒学生に迷惑でしょう。
 貴方にとっては直接関係ないかも知れませんが、これは関わった人の人生に影響するんですよ。
 なので、我々のやった事の結果に関して、当然責任を取って戴けるんでしょうね?」
 そう言って、一定数の生徒を受け入れて、それを自由に教育できるような特措法を提出し、施行された。

 追加の人員は、給与水準も高く、同様に要求水準も高かった。
 倍率は当然高く、よりどりみどり……と言いたいのだが、面接官が楓さんであったし、身辺調査も入ったので、準備期間は結構かかりそうであった。
 特措法的には、準備でき次第、編入試験を行えとされていたので、あまり悠長な事も言っていられない。
 学生寮の建設と教員の住宅の建設、遊休教室の整備、食堂の拡充が急ピッチで整えられる。
 食堂や研究棟の職員も増えている時期だったので、校内や稜邦地区では、様々な建物が建てられていた時期である。
 ちょっとしたバブルが発生したと言える。
 そうもなると、不届きな連中も増える。
 それを荒事担当が摘発して追い詰める。
 学校の生徒の忙しさは加速度的に増していった。

 学校にあらぬ事をしようとしたら、それは証拠ごと抑えられて、別の時に強請るいいネタになるだけである。
 これを切っ掛けに"知る側"に移りたいギラギラした連中も、出世の夢を打ち砕かれた。
 コントロール出来ない仕事はしない。それが絶対的なルールである。

「それで、県営住宅建て替えの件でお話しなんですけど……」
 ベルちゃんが言うには、県営住宅も段階的に建て替えが行われるという。
 東親子は建て替えまで旧教員寮に入って貰うらしい。
 じゃぁ、私もと言いたかったが、そこそこ収入を得てきている昨今を鑑みると、私も家を探せと言う話なんだろうと思った。
「それで、今、単身者向けのお部屋がどこも埋まっているんですよね……」
 それは、仕事で越してきた人や、報道各社の拠点として、マンションを借りると言う事が多くなったからだ。
「メゾン稜邦もなんですか?」
 メゾン稜邦は、学校が管理しているマンションである。生徒のみが入居できるようになっている。
「それが……単身者向けのお部屋で空きがないんですよね。
 それで、もしよろしければ、雪ちゃんと一緒に入って、家賃折半して貰えると助かるんだけど」
「えー! だって、私、あの子と友達ですらないよ!」
 寝耳に水である。
 ベルちゃんの表情を見ると、どうもこの反応は予期していたようだ。
「お願いしますよー。でないと、雪ちゃん宿無しになっちゃいますよ!」
「旧職員寮でいいじゃないですか!」
 つい声が大きくなる。
「あそこも、埋まってるんですよー
 半年だけでも駄目ですか?」
 懇願する表情に困ってしまうが、私も意地を通したい。
「むしろ、その半年が問題じゃないですか?」
「無理ですか……」
 差し当たり、持ち帰って議論するらしい。とは言え、部屋がないのをどうするかと言うのも、少し心配である。

 それで済んだと思ったら、醒ヶ井さんが目の前に現われた。
「石伏さんから聞いたと思いますけど……」
 聞いたばかりのことをしらばくれる訳にもいかない。
「ああ、あれね」
 ここで何を言おうか。積極的に嫌な女になることもない。
「もし、嫌でなかったら、よろしくお願いします」
"あんたは嫌じゃないのかよ!?"
 と言いたい気持ちをグッと抑えて答える。
「でも、私で大丈夫ですか? 朝は早いし、夜は遅いし、配信もあるし……」
 なんだか、自分を否定する理由を並べるのも白々しいなと思った。
「大丈夫です。仕事のためなら仕方がないでしょう?」
 躊躇うことなく、あっさりと返事が来てしまった。
 そうもなると、私からこの件を否定するのは、暗に"貴方が嫌いだから"と言う事になってしまう。
 学校の一件でもあるし、ここで私が我が儘を言ったとなるのも、些か面倒くさいなと思えた。
 あまり考え込むのもよくないなと思って、「それならよかった」と返事をしてしまう。

 彼女にこう言ってしまった以上、ベルちゃんにも「OKだよ」と言わざるを得ない。
 話はトントン拍子で進み、早速引っ越しとなったのだ。
 家具や家電は備え付けのものばかりだ。だが、どうせ解体するので使うなら持っていっていいよと言われ、箪笥と食器棚、レンジ台、レンジ、テレビ台とテレビを持っていくことにした。
 テーブルと椅子もあったが、醒ヶ井さんと連絡して、こちらは彼女の持っているものを持っていけばいいと判断した。

 部屋は2LDK、洋室なので、ベッドを用意しなくちゃいけない。
 リビング用にソファの類が必要かと思ったが、差し当たりは後回しにしよう。テレビは小さいので各人各部屋だ。
 配信用のPCとデスク、洋服箪笥を入れると部屋は一気に狭くなった。
 まぁ、仕方ないか。ベッドを見せたくないから、生身の配信はやめておこう……
 新居を見て、新しい城と言う感慨はない。ルームシェアとはこんなものか。
 ベルちゃんが言うには、「防音はしっかりしているので、深夜に配信しても大丈夫です!」とのことだ。なら、遠慮なく配信させて貰おう。

 引っ越しの挨拶をする。隣は、睦都美ちゃんと未来ちゃんの部屋と、反対側に単身部屋に心音ちゃんである。

 先に、睦都美未来ペアの部屋に行くと、「隣に来たんだねぇ」と喜んでくれた。そして睦都美ちゃんが「未来にエサあげると、延々と喰いに来るから気をつけてね」と忠告される。「そんなに見境ないように見える?」と笑う未来ちゃん。
 食堂で特盛りラーメンに大盛りチャーハン、餃子二皿をコンスタントに食べている未来ちゃんに、全員は沈黙するしかなかった。

 次に心音ちゃんの部屋に行く。
「やったね! これでいつでも私の部屋に呼べるね!」
 心音ちゃんが喜ぶのは、私に歌わせたい歌があるから、ボイトレに来てよとしつこく誘われている事だ。
 忙しくって行けないよと断っているが、隣ともなるとその対処もしづらくなる……ああ、私の休日が……

 それにしても、毎度私の話なのが、醒ヶ井さんにはどう映るだろう。
 醒ヶ井さんは特に気にする様子も見せない。
 そして、部屋に戻るが、会話がないのだ。
 接点が全くないので、何を話せばいいか分からない。しかも、リビングにはテレビもないので、話を振る事も、内容に没頭する事も出来ない。
 引っ越し蕎麦を食べる間、一言も話がなかったのはどうしたものか。
 片付けた後はさっさと部屋に入ってしまうし。
 がらんどうのリビングを見ながら、この先が思いやられる。

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