0147 ちさとの仕事始め

ページ名:0147 ちさとの仕事始め

「ちさとちゃんは可愛いねぇ……」
「はいはい、ありがとうございますねぇ」
 こちらの席で適当にあしらえば、あちらの席で構ってくる。
 正月遊んだお陰であれこれとしんどくなった子達が、こぞって喫茶店に押しかけたのだ。
 勿論、学校に年始の挨拶をしに来る有力者の相手や警備の仕事があるが、それを知った上で『新年早々仕事なんてしてられるか』と言う人も多い。
 そんなところに漆谷さんが現われる。
「お、どうした!?」
「中学生はまだ冬休みですよ」
 私がうんざりしたような顔を装って言ってみると、「そ、そうだな」と笑った。
「漆谷さんこそ何しに来たんですか? サボリですか?」
「人聞きの悪い……新人のテストだよ」
「ひょっとして、その新人ってあそこの人ですか?」
 視線の先には、文ちゃんと蛍ちゃんが一人の若い女性をいじっている姿が見えた。
 その女性は気が弱そうで、実際二人の圧迫的な面接に涙目になっていた。
「東条くん!」
 漆谷さんは血相を欠いて歩み寄った。
「漆谷さん……すみません……すぐにバレちゃいました」
 テストとは、喫茶店に何食わぬ顔して入って、状況を見て何食わぬ顔で帰って来いと言うモノだったらしい。
「すぐにか……」
「漆谷のおっちゃん、あのね、私達一体何年この仕事してると思ってるの?」
 文ちゃんが得意げだ。
 漆谷さんは頭を掻くばかりである。
「アイリちゃんだけじゃないよ、今、店を出て行こうとしてる小村はNSAだし、奥で黙ってる藤畑はSVRだし、何食わぬ顔でトイレに行こうとしてるのは国家安全部の金田だよ。
 君らお互いにばれてないと思っちゃいないよね?」
 前にそれとなくそんな話は聞いたが、前からの常連さんがそうだったと言うのは、一応の驚きがある。そんなこともあるのだと言う覚悟があったので、それは一応でしかないのだけど。

 漆谷さんも東条さんも、そして例の三人も固まっている。
「なに深刻な顔してんだよー。そんなのわかりきってることじゃねぇか!」
 文ちゃんは大音声で笑った。

「テストに失敗したからって言ってクビとか記憶処理とかしないですよね?」
 蛍ちゃんが漆谷さんに聞くと、「あの薬持ってるのは君たちだけじゃないか」と頭を抱える。
「あ、そうだったね」
 蛍ちゃんがどことなく冷たく答えた。

「それでまた聞くけど、何の用事? 秘密作戦とかとりあえずないよ」
 素っ気なく言えば、漆谷さんは「ああ、別にいいさ。折角だから、可愛がって貰え」と、東条さんに言って自分は帰って行ってしまった。
 流石に居心地の悪い三人も次々に退店して、店内は店長と生徒達、それに東条さんだけとなった。

 そうもなると、東条さんの瞳は、決壊寸前となっていた。
 その時、真生ちゃんとルイちゃんが「なんなのあいつら?」と、出て行く連中を一瞥しつつ入店してきた。
「ちさとちゃーん、例のモデル、超特急で仕上がるみたいだよ!」
 真生ちゃんは、私を認めると大声で叫んだ。
「無理に急がせてないでしょうね?」
「大丈夫大丈夫、インセンティブは沢山用意してるから」
 "なんなんだよ、それ"と思いつつ、やぶ蛇なので聞くのはやめておいた。
「はいはーい、みんな、ちさとちゃんのVTuberデビューが決まりました! 来週末の土曜夜! みんな見てねー」
 とみんなに向かって叫ぶ。そして、周りも「絶対に見るよ!」とか「伝説の一ページ目だね!」と喜んでいる。
「恥ずかしいからやめて!」
「いーじゃん、みんな顔見知りでしょ?」
 何を以ていいと言っているのか分からないが、何言っても無駄だな……「はいはい」とやる気のない返事をするしかなかった。

「ちさとさんって、あのちさとさんなんですか!?」
 振り向くと、目を輝かせる東条さんがいた。
「あのって、どの?」

 どうやら彼女、オタク趣味のある子のようで、VTuberも追っかけているそうだ。
「真生ルイを推してるんですよー」
 と、こっちのテンションお構いなしで盛り上がる彼女を見て、それならと「あの二人が、真生ルイの中の人だよ?」とたきつけた。
 純真無垢な少女のように、彼女は飛び上がって駆け寄った。
 そして、たたみ掛けるようなマシンガントークを浴びせた。一方的に捲し立てるのを"トーク"とは言わないのかも知れないが。
 真生ちゃんが迷惑そうに私の方を見ている。
 私は"いい様だ"とばかりに笑顔をお返しした。

 それから客が出たり入ったりしながらカンバンとなる。
 東条さんはなおも居座ろうとしている。
「もう閉店ですよ……色々ショックな事もあったと思いますけど、まだ暫くこの街にいるなら、また遊びに来てくださいよ」
 と言うと、結局泣き始めてしまった。
「私って、何やらしてもダメなんですよ。
 仕事となると、何も上手く行かない。と言うか、勉強も本当に上手く行ってたかもよく分からない。
 多分、何も上手く出来ないんですよ」
 嗚咽を交えながら吐き出していく。
「そう悲観的にならなくても」
「ここでの仕事も、何をやればいいのか分からないし……」
「ああ、それならタダの御用聞きだから」
 私はあっけらかんと答えると、「そういうのじゃないんですよ。一つの事を続けると、苦しくなって自分が生きている意味がないんじゃないかって思えるんです!」と叫び、そしてまたさめざめと涙を流した。
 私が困っていると、漸く漆谷さんがやってきた。
 私が睨め付けると、気まずそうに東条さんの肩を叩き、そして宥めながら帰って行った。


 モヤモヤしながら翌日も朝から出勤だ。
 そもそも、ここでの仕事に関してもモヤモヤすることがある。
 私が居酒屋を始めると、火から金まで学校の飲み屋さん、土曜日は一日喫茶店と言う勤務になる。それはそれで問題ないのだけど、それ以外の日は、私の代わりに雪さんが来るという。
 本当に大丈夫なのか? と言う思いが強まった。
 しかし、それは私が自分の仕事に執着して、自分ほど上手く店を回せないと思っているからかも知れない。
 自分がいない時の事を心配してどうするんだと思いつつ、しかし、心配は心配なのだ。

 来てねと言ってみたが、東条さんが訪れない事を、心の何処かで安堵していた。
 と、昼遅めに漆谷さんが現われる。
「鉄板ナポリタンでいい?」
 あの人の"いつもの"である。
 しかし、浮かない顔をしているのが気になる。
「何か相談があるなら、食後のデザートでも食べながら待っててください」
 正月明けの週は生徒のせいで忙しく、半面、近くの会社の営業さんは外回りしているし、近所のジジババ連中は入り浸る生徒を嫌って寄り付きもしなかった。店としては繁盛しているので一向に構わないのだけど。

「お、海翔くん。何? つかさちゃんの所に遊びに来たの? へー、泊まりで……」
 そんな日常のやりとりをしながらコーヒーや料理を出して、皿を下げてと仕事をこなしていく。
 昼も過ぎて一段落したところでのんびりしている――というか、ぼんやりしている漆谷さんに声を掛ける。
「どうしたんですか? 真栄田さんにスパチャ投げて無視されましたか?」
 私がいじってやると、「そんなんじゃねぇよ」とややマジトーンの返事が静かに帰って来た。
 疑いもなく東条さんの事である。

「あの子も可哀想と言えば可哀想なんだ。
 新卒で入省した後、すぐに鬱になってな。
 復職後は職場を転々として、見合いして寿退職を狙ってみたりもしたけど、オタクの女だって言うので上手くいかなくって」
「うーん、お見合いって、あの子の意志はどうだったんですか? 仕事やめて家庭に入りたかったんですか?」
「どうなんだろうかな? ほら、実家が官僚一家だからな。
 世間体とか、そういうのを気にしてるんだよ」
 漆谷さんには罪はないが、しかしうんざりする話である。
「それは甘えです!」
「そうか、そうだよな。自分の問題ぐらい自分で解決させなくちゃな」
「違いますよ。親御さんの甘えですよ!
 自分の思うように人の人生を決定し続けたくせに、自分の思い通りにいかなくなった瞬間手を離すなんて、結局、子供に対して責任持たないだけじゃないですか?」
 これには漆谷さんは"うっ"と言う顔をする。

 知りうる限り、漆谷さんが自分の家庭の話をしたことがない。そもそも既婚者かどうかも知らない。周りに聞いても、「そーいや知らないな」と言われるレベルである。
 漆谷さんには漆谷さんなりの感覚で反応しているんだなと思いつつ、言いたい事は言わせて貰う。
「人の人生を管理したがるくせに、途中で日和るんじゃない! って言ってやってくださいよ。
 東条さんを自由にしないと、多分、一生あのまんまですよ。
 それは誰も幸せにしませんって!」
 そこまで断言すると、漆谷さんは髭の剃り残しを気にしながら答える。
「だがなぁ、自由にしたところで仕事があるかな?
 学校で雇ってくれる?」
 そう言われると、綾夏さんが以前「学校を役人の天下り先にしたい連中がいてむかつく」って話をしていたのを思い出す。
「学校で人手不足な職場あるかな?」
 去年は凛ちゃんのお母さんに、カズマくんに唯さんが仕事を始めた。何でもかんでも学校が面倒見てくれると思うのは流石にマズイ。
「大体、学校は職安じゃないんですよ? 自分の所の職場の配置転換なら、自分の所でナントカしてくださいよ」
「それは無理だなぁ。ここ、窓際部署だし」
 自分で言うかよと思いつつ、しかし、中央省庁のキャリアがこんな所に押しやられているのは確かにそうなのだなとは思う。
「私の方でも考えるだけ考えるけど、身内の事は自分でどうにかしてくださいよ」
「身内か……そうだな」
 漆谷さんがちょっと寂しそうな顔をしている。
 一般的な年齢に当てはめれば、漆谷さんに東条さんぐらいの歳の子がいてもおかしくないか。
 しんどい要求だったかな?

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