0094 峰とルチルをディナーに誘う真生とルイ

ページ名:0094 峰とルチルをディナーに誘う真生とルイ

 峰ちゃんの家が建ったのは、学校に慣れに慣れすぎた頃だ。
 地下一階、地上三階建てで、建ぺい率的にギリギリな案配で建てられた。
 部屋数も「余裕を持って」作ったらしくて、表向き「真生ちゃん、ルイちゃんの都合が悪いときの来客用」となっている。ルイは「また一人ぐらい引き込むんじゃないか」と訝しんだ。

 さて、そんなこともあれば楓邸でどんちゃん騒ぎをするのが倣いであるが、ルチルちゃんをあの渦中に飛び込ませるのは、些かしんどかった、なので本当は嫌だけど、二人をディナーに誘うことにしたのだ。

 皆、カクテルドレスなのだけど、私とルイはやっぱり子供子供しいのが悔しい。

 峰ちゃんは、「もう学校に行けないのは残念だわ」と言うが、どうせ何かの折に学校の生徒に呼び出されるだろう。そういう交友関係を構築するには、十分な時間があったからだ。
 ルチルちゃんは流石に緊張している。
 本当に中学生だったと言う事と、学校の規模、そして、レストランの内装に気圧されているのだ。
 恐らく、言いたい事は山ほどあるのだろうが、第一優先は、この食事会を乗り越える事なのだろう。
「私、マナーとかよく分からなくて」
 挙動不審なほど目を泳がせている。

「マナーはお互いに悪い思いをしないように決められるものよ?
 なるべく自分が苦しい思いをするのを、必死にアピールする事がマナーだと思っているのは、極めて俗物的でルサンチマンでしかないのよ」
 峰ちゃんが優しい。峰ちゃんは、さすが芸能界で生きてきた人だから、こういう所での所作が完璧である。その彼女が大丈夫というのだから、安心させられるだろう。
「そうそう、みんながマナーを守るようになると、マナー講師の食い扶持がなくなるからね。新しい"失礼"をクリエイトしなくちゃいけないんだよ」
 私が援護射撃すると、「そういうのは本当でも言わないの」と窘められる。

 アペリティフ、オードブル、スープ、ポワソン、ソルベ、ヴィアンド、サラダ、デセール、コーヒーに至る。
 ワインは「若い子向け」と言えば、軽めのフルーティなワインが出てきた。料理は、祝いの席と言えば、鯛や海老を用意してくれる。慣れていない子が来ると言えば、食べやすい料理で出してくれる。相変わらず気の利いた店だ。さすがみっちゃんが指導するだけのことはある。

 ルチルちゃんは、それでも言葉数少なめで、綺麗に食べることに注力していた。
「校内にこんなお店があるなんて、本当に凄いわ。ここで働きたいぐらい」
 峰ちゃんが言うとあまり洒落にならない。何かの間違いで、パートのおばさんとかやりかねない勢いだからだ。
「また何かあったら誘うから……」
 これが妥協なのか墓穴なのかよく分からないけれど。

 このまま解散ではちょっと味気ないので、二人を家に上げる。
 ルチルちゃんは「ふー」と息を吐くと、漸く人心地がついたと言う顔でソファーに身を投げた。顔が赤らんでいるので、ルチルちゃんはそのままにして、残り三人は隣のダイニングで飲み直すことにした。
 峰ちゃんと昔話をしていると、ルチルがむくりと起き上がった。
「ルチルちゃんも何か呑む?」
「お水でいい」
 ウォーターサーバーでコップに水を注いでいると、「みんな大人で嫌になっちゃうなぁ」と叫ぶようなつぶやくような声が聞こえた。

「みんな何でも出来るのに、私なんか半端だなぁ。今の暮らしは楽しいしやっていける自信はあるんだけど」
 ありがちな疑問だ。こんなものは流されるままにしておくのが正解だ。だが、若い子にそれを納得させるのは難しい。

 思春期の悩みや青春の悩みと言うのは、大人になればなんとかなるような、ちょっとした心の不調のようなものだ。しかし、それは前途が全くの未知である子供には、恐ろしく危険な何かである。
 大人は、それを「大人になれば分かる」としか言えない。その時の苦しみを忘れてしまったかのようにである。否、分かっていてもそれが何故解決されたのか分からないのだ。単に年を食った以上の理由がない。
 若い子をダシにしようとするクズのような連中が、まるで確固たる答えがあり、そして自分はそれを獲得したのだと言う顔をしている。そういうくじ引きに失敗した子供は不幸だ。

「大人というのは、自分が何処まで行っても子供だと言う事を意識出来る人間だよ。
 自分が大人だと気取っている態度がそもそも未熟なんだ。
 だから、大人になるって事に、そんな期待をしない方がいいよ。
 コース料理をちゃんと食べられるとか、お酒の飲む量を自分でコントロールするとか、こんなのは、全部、経験でやっているだけだからね。それは歳を喰ったからじゃなくて、試行回数が多かっただけだよ。
 自分の中で自分の答えがないうちは、極端なことをやらなくていいよ。気付いた時に行動しても遅くないんだから」

 ルイの言葉は、優しさと厳しさが混ざっていて、よかったと思う。だけど、ルチルちゃんはいう。
「だって、二人は年取らないじゃない」
 それを言われるとキツイ。
 そこで峰ちゃんだ。
「私がこのところ頑張ってた家事仕事って、私が中学生の頃にやれなかったような事を、今になってやっているだけだよ。
 でも、私、それなりに出来る様になってきたじゃない?
 そりゃぁ、もっと若いときに出来た方が良かったのかも知れないけど、でも、私はその時が今だったから頑張れているだけで、もっと若い時に、芸能界から足抜けしなくちゃいけなくなったとしたら、多分、それはまた違う運命があったんじゃないかなと思うんだよね。
 人生は本当に分からないものだから、足掻く気持ちも分かるけど、一度身を任せてみたら?」
 彼女の言葉なら信じられたのだろう。
 そこはかとない寂しさを感じつつ、ルチルちゃんが笑顔に戻っていく表情を見逃せないでいた。

 二人が帰っていった後、私とルイの心に寂寥感が走ったのは、あまり人に言いたくない事だった。

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