0073 ななみが才能とか努力に関して考える

ページ名:0073 ななみが才能とか努力に関して考える

 羊子さんに、「今日は暇だし、昼から飲もう」と言われて、ご相伴にあずかった日曜の午後。
 今日は真栄田さんはお仕事で、楓さんは用事があって出かけていて、そして、ななみさんは"報告書"の追い込みで館詰めらしい。
 彼女が書くのは論文ではない。自主的な研究のレターらしきものは、校内でやりとりがあるそうだけど、基本的には依頼を受けた仕事の成果をまとめて、依頼主に返事をするという形式なのである。
 呼び出されたらコーヒーぐらいは用意してやらなきゃいけないから、家から離れられないと言う。
 それで、ビールとかポテチなどを食べつつ、自堕落な感じでゲームをしたり、駄弁ったりしていた。
 すると出し抜けにチェロの演奏が響いた。

「あ、ななみ、そろそろ行き詰まったな」
 羊子さんが顎を撫でながらニンマリしている。
「ななみさんの演奏なんですね……意外な趣味ですね」
 ななみさんは、仕事が停滞した時や、気分転換をしたい時にチェロを演奏するという。
「この身体なら、得意じゃない分野を持つのはいいことだよ。ついつい傲慢になっちゃうからね。
 私も軽く護身術習ってたりするし、出来ないことって意外に楽しいモノだよ」
 私はまだ、その心境に至れてない。そんなことを言うと、「焦ることはないよ」と笑顔で返される。
「どーせ、このまま再開は出来ないだろうし、一旦降りてくるように言ってきて」
 羊子さんに促され、ななみさんの部屋へと向かった。

「あ、ちさとちゃん! 来てたんだね」
 家に来てから暫くするが、全く気付いていなかったらしい。
 ななみさんは自嘲気味に「三十年やってこんなもんだから才能はないね」と微笑んだ。
 素人目には綺麗な演奏に思えたけど。
「努力とか才能とかって不思議だよね。自分が出来る分野だと、出来ない人を軽く見てしまうし、出来ない分野だと出来る人が、何かうまいショートカットを利用したように思えちゃう。
 そうして、最終的には自分は努力したから凄くて、努力してない人は無能だって精神論に走ってしまう。
 でも、冷静に考えて、人間は生まれた国や土地、家族や経済力、障害の有無も違うし、そもそも人間の頭の構造なんて、人それぞれじゃない? たかだか遺伝子が0.1%の違いだっていうけど、展開される実情報量を考えると、その差は絶大じゃない? そういう個性の差が、成長曲線や精神的強度に影響を及ぼさないなんて言ったら、それは馬鹿だよ。
 それに、例えば学習障害の子が、人並みに勉強するのと、障害のない子が勉強するのと、努力の量が同じだなって事は絶対にないし、四肢に障害のある人が人並みに走ることが出来たら、それは多分、オリンピック出場にも相当する努力だと思うんだよね。
 加えて、必要なときに必要な環境や道具を与えられたかももの凄く重要でしょ?
 女だから勉強なんてするな、嫁に行く事だけ考えろって土地柄で、親族や親に逆らって勉強する努力は、並大抵のものではないし、日本でも大学に行くのを厭う親もいる。それは精神的な問題もあるし、経済的な問題もある。
 幼少期、家庭内に本があるかどうかが、その後の人生に響くなんて話もあるでしょ?
 少なくともアマラとカマラに代表される野生児や、隔離児からして、じゃぁ、その子が普通の生活をしていたらどうだったのか、簡単には答えが出ないでしょ? それとも、そんな親の子にならない努力とかを求めるのかしら?
 人生に努力が大切なのは大いに認めるけど、それが万能であるような言い方をする人って、決まって成功した人じゃない?
 結局、それは自分の成功の要因を自分のものにしたいだけだよ。失敗は人の責任で、成功は自分の手柄だってね。
 私は、チェロの練習が好きだから続けているけれど、それは努力がどうとか、そういう事じゃない。
 自己実現と自己を慰撫するのをごちゃ混ぜにすると、人間傲慢になる。あと、夜郎自大っていい言葉もあるしね!」
 そんなことをななみさんが説いた後、「あー、なんか、科学の才能も信じられなくなってきた!」と喚く。
「ちさとちゃん、ビール飲もう! ビール! 明日学校休んで書くよ」
 吹っ切れたような顔で、私を下の階へと誘った。

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