俊子の母、美智惠の話じゃ。
昔は楓ちゃん、楓ちゃんと懐いておったのに、いつの間にか楓さんになり、程なく楓様になってしまった。
どいつもこいつも、大人が無駄に気を遣ってしまう気風がある。大人になるにつれ、徐々に他人行儀になるのじゃ。
ある日、本家に顔を出したら、美智惠が車を出すところじゃった。
「ほぉ、買い物か。儂も同乗させてくれんかの?」
美智惠は「え?」と言って一瞬固まったのじゃが、「嫌かの?」と言うと、「滅相もない!」と慌ててドアを開けてくれた。
「そんなに気を遣う事か?」
儂が突っ込んでみると、「そんな楓様に……」なんて言いよる。
「そういうのはやめじゃ! 外でそんな風に呼ばれたら恥ずかしくて敵わん」
そうやって叱ると、「では楓……さん」と不承不承に呼んだ。
「昔のように呼んでくれんかの?」
「できません! そんなこと!」
即答じゃった。
そうした態度が気に入らないが、むっつりしていると余計に萎縮しそうじゃ。
「そういえば、高校卒業の時に免許を取った時以来じゃな?」
(田舎なので、高校卒業前から自動車教習所に通えるのだ)
不自然な切り出し方だったじゃろうか?
「そんな古いことを……」
実際に戸惑っている。
「お主、それからなかなか遊んでくれないからのぉ」
粘ってみるが、「もう歳ですし」とさらりと躱された。
「そういう問題じゃなかろう」
「そういう問題ですよ」
会話が途切れ途切れになる。
こんな子じゃなかったと思うのじゃが、しかし、我が家の大人は大体そんな感じじゃ。
儂がおると、酒の類いを一切口にしないクセに、理由があれば宴会をやりおる。万事そんな案配じゃから、本家には居づらい。
「儂は、家にとって、重しになっているかの?」
余り言いたくない話じゃが、この際聞こうと思った。
「そんなことはありませんよ!」
「じゃぁ、どう思われておるんじゃ?」
「尊敬するご先祖様です」
奥歯にものが挟まるような言い方だ。
「そのご先祖が、もっとフランクにせいとゆーとるのじゃから、もっと馴れ馴れしくせんかい!」
「流石にそれは……」
困ったような表情を見せる。
「何故じゃ?」
畳みかけるが、一向に本音を話さない。
「儂が、一族の生殺与奪の権を握っておるからか? そんなに儂が裏切るように見えるかのぉ!?」
「違いますよ!」
美智惠は、ハンドルを叩いて叫んだ。
そして、突然しおらしくなる。
「その……何というか……私が死んだときに、あんまり仲良くしていると楓様が悲しむだろうと……」
「それは誰がゆーとるんじゃ?」
詰め寄ると、少しの沈黙の後、思い切ったように話し始めた。
「代々そう言い聞かせられています」
代々と言いつつ、そんなことを言いそうなのは一人だけだ。
「新政の奴め!」
新政も夫婦になって暫くは甘え放題だったのじゃが、いつからか素っ気なくなった。死ぬ間際の言葉を思い出す「あまり思い出を作るとつらいだろうから」。恐らく、孫や子にも「大人になったら我慢しろ」と言っていたのだろう。
この家に女中がおらぬのは、"儂の事を説明するのが面倒くさいから"と言っていたが、恐らく同じ理由からじゃろう。
「いらぬ心配をするな。そういうのは本当に邪魔じゃ。儂は儂なりに上手くやっておるからの。じゃから、普通に接してくれればよいぞ」
「できません!」
「何故分からぬのじゃ!」
「分かりません!」
お互い感情的になってしまった。
暫しの沈黙の後、「一旦帰りますね」と言われた。
完全に失敗じゃ。
それで、夕方にまた出直した。
美智惠と恵津子は台所にいるし、俊子は部屋にいる。才蔵はデイケアから戻ってきている。
屋敷の奥に進み、才蔵に語りかける。
「歳にしては元気じゃな」
「まだ酒も飲めるからな」
受け答えも矍鑠としている。ハゲ散らかした頭、皺くちゃな顔や手、痩せ細った四肢……若い姿を思い出して、何も思わずにはいられない。
「お主から言ってくれぬか、儂の前では畏まらなくてよいと」
「そうはいうが、お前さん、それで辛くないのか?」
爛々とした目つきで睨まれる。
「そんなもの、とっくに吹っ切れておるわ。そんなにガキ扱いするな」
「例えば、俺の事を思い出してはいないか? イケメンだったからな」
静かに笑いながらしたり顔をしておる。
「そういうのやめろ」
「気にしないのではないのか?」
何か悟った風な顔をしおって。
「そういう話じゃない。自意識過剰なのをやめろって話だ」
「本当かな?」
「うるさい。いいから言うとおりにするんじゃぞ!」
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