0060 ななみが関先生の思い出を語る

ページ名:0060 ななみが関先生の思い出を語る

 私に影響を及ぼした教師は二人いる。一人は前の世界で私に科学のなんたるかを叩き込んでくれた孤高の科学者だ。この人についてはいつか話すだろう。そして、もう一人は関先生だ。
 学校の生徒は、先生や職員を愛称や下の名前で呼ぶことが多いのだけど、彼女だけはそれを一切許さなかった。

 私が転生したのは、彼女が赴任して初めての授業が行われたその日の事である。
 私が事態を飲み込むのに時間は掛からなかった。見えている景色自体が違っていたし、自分の姿形も変わっていたからだ。
 目の前にある現象は、一旦受け取ってから分析する。自分の考えや想定の外の現象こそ、それを濁った視線で見てはいけないのだ。
 その頃の学校には、校内に生徒用の寮があった。既に、自宅を用意しない生徒の為だけに使われる寮だったから、オンボロな建屋だったが。
 それは教員の独身寮の隣にあって、私も関先生(当時は、旧姓の大藪と名乗っていた)もそこへと放り込まれた。

 正直な話、内心は混乱はしていた。でも、混乱している自分を表に出すのが恥ずかしくて、澄ました顔で日常を送っていた。
 それは先生もきっと同じだっただろう。
 ある日の寮で飲み会のことだ。ストレスもあったのか、しこたま飲んでしまった。
 それで酔いを覚まそうと、夜風に当たっていたときのことである。宿直で夜回りをしていた先生に叱られたのだ。
「中学生がお酒なんて飲んではいけません!」
「好きでこんな身体してませんし!」
 捨て鉢になってたと思う。
「もう、なんなの貴方達……」
 先生は、まだ新任だというのに優しかった。
「ほんと、何なんでしょうね……」
 沈黙と、後ろの山の暗さが同期していた。

「貴方が前の世界でどんなふうだったかは知らないけれど、今は私の生徒です。そんなにヤケにならないでくださいね」
「こんな身体でどうしたらいいって言うの?」
 小娘のような泣き言を吐いてしまう。実際小娘だったし。
「可愛いからいいじゃないですか。私なんて、このまま歳を取ってく老いさらばえるばかりですよ」
「それ、本気で言ってるの?」
「そうも考えられなかったら、もう辞めてます」
 先生は、まだ二十代前半にしては、随分と大人びていたと思う。余裕のある笑顔がまぶしかった。
 そこから、空が白み始めるまで色々なことを語り合った。
 その後、寮生を含めてしんどい顔で一日を過ごしたのはいい思い出だ。

 この世界に転生して、何をするでもなかった私を、もう一度科学に向かうように仕向けたのも先生だった。
 勿論、これには当然ウラがあったのだけど、その辺を正直に話してくれたのが嬉しかった。
「貴方がしたいことなら、何でも応援したいけど、正直な話、上の人たちは、貴方を貴方の得意分野で働かせたいと思ってる。
 あんまり板挟みも好きじゃないから言っちゃうけど、何もしないでいるぐらいなら、もう一度、科学者やってみない?
 今でも科学の勉強はしているんでしょ?」
 なんでこんな言葉にやる気を起こしたのか、今となっても謎だったけど、「他ならぬ大藪先生の言葉だったから」と言う以上の意味はないかも知れない。

 あの夜からこっち、先生に対しては素直だったのは、あの人はそれを見透かしてくると言う理解があったからだ。そして、そういうのは、他の生徒に対しても同じだった。
 ただ、私は、彼女にそういう顔をされたくなかったのだ。
 何故だろうか? 彼女は、自分の弱さを私に開陳してくれたからに違いない。
「私って、みんなが言うよりも幼いから、兎の穴を見つけた時に、色々期待して飛び込んじゃったんだよね。どんな不思議な世界だろうと、アリスみたいに立派にやれるってね。
 でも、実際はそんなに賢くも勇敢にもなれなかった。
 目の前の現実に右往左往して、動物たちに敬意を示せていないし、赤の女王にも毅然として振る舞えなかった。
 偉そうな事言ってるけど、他の生徒よりもずっと社会経験が少ない。
 ご免ね、弱音吐いちゃって……
 なんか、八意さんを見ると言えそうな気がして」
 私が先生に懐いているのか、先生が私に懐いているのかについて、人は色々言うかも知れない。私は、単に共犯関係だったのだと理解している。
 私も先生も、他の生徒への接し方に戸惑いがあったのだ。

 後に先生から届いた手紙で、私の事を妹のように感じていたと言っていた。そこで、私も姉のように思えていたのだと、手遅れになってから気付いた。
 私が女の子の身体を手に入れ、その扱いに慣れていなかった頃。女性らしさを教えてくれたのは、先生が筆頭だったのだ。
 これは、あまり大きな声で言えないことだが、しばしば先生の部屋に遊びに行っていた。それは、先生が結婚するまで定期的にあったことだ。
 化粧を教えて貰い、服の選び方を教えて貰い、女性としての人格は彼女によって作られたと言って過言ではない。

 私は、転生から今に至るまでの六十年間、恋をしていない。
 先生は、私がいつ恋の相談をしてくれるのだと笑っていた、
「私は貴方のことが一番好きなのよ」
 と冗談めかして笑ってみたけど、変な雰囲気になったので、そういう告白は二度としていない。
 一方で、先生は自分の恋の話を、積極的にしてくれた。
 先生はその聡明さに違わず、毎度素敵な男の人を見つけた。それが実らず、別れる事になっても、それはどれも仕方ない理由だった。

 先生が結婚した相手は、地元の商店の倅だった。
 高度成長期の終わり頃の事だ。
 彼の商売はそこそこ上手く行っていたし、優しい好青年だった。
 先生が、彼を生徒に紹介したのは、私だけだと言っていた。それは宮崎への新婚旅行に出る日の事だった。
 夕方に街を出て、深夜に入線する寝台特急に乗ると言っていた。
 街への電車を待つ間に、彼と少し言葉を交わす事があった。
 その時、先生を取られる気分がしていたが、「それは幼稚な発想だ」と自分に言い聞かせて、精一杯の祝福の言葉をかけた。

 先生はその後も学校に勤めていたけれど、寮を出てしまってからは、私はどこか空っぽな気分になっていた。
 楓の家に転がり込んだのもこの頃だ。
 今建っている家の前の建物で、当時としてはなかなかモダンな作りの家だった。
 相変わらず、学校はどんちゃん騒ぎの好きな連中ばかりで、楽しい日々だったよ。よく叱られたけど。

 先生との思い出は、それからも沢山あったけど、先生の方は子供が出来たり、子供が結婚したりと順調に歳を重ねていく。
 私が陰ながら、世界に対して意味ある仕事をしていたけれど、そんなことよりも、やはり先生のことが羨ましかった。

 退職した時には、もう随分お婆ちゃんだった。
 この学校は、基本的に定年がなかったから、彼女は心臓を悪くするまで辞めるとは言わなかったのだ。
 「無理させてご免ね」と言うと、「こんなに面白い事、無理してやらなくてどうするの?」と笑われる。
 しわくちゃな手をさすりながら、もう二度と会えないのだなと分かっていた。
 一年近くは地元で暮らしていたが、それから病院の近い街中に引っ越し、そして入院し、そこで亡くなった。
 あんなにも長いこと一緒にいたのに、まだまだしゃべり足りない。今でも相談したい事は山ほどある。
 思えば、彼女の子供や旦那さんよりも長い付き合いだったんだな。それを子供達が知ったら、私の事をどう思うだっろう。
 申し訳ない。
 関先生ありがとう。そして、安らかに。

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