飯嶌さんがやってくる。
飯嶌さんは、私がゴーストライターをやる時、仕事の面倒を見てくれる人だ。そして、オリジナルで本を出す時、担当としてお世話もしてくれる。
今の会社で出世して、今までのように仕事が出来なくなるというので、後任を連れてくるそうだ。
一般の人とのお付き合いは苦手だ。自分でも自分がそわそわしているのは理解できた。
そして、偽りなく言えば、飯嶌さんが来るのは少し嬉しい。でも、それも今日で終わるのだな。そう思うと、言い様もない悲しさが襲ってくる。
ただ、私が他の人のように、普通の人と上手く付き合える自信はなくて、そしてそういう諦念が、この五十年だったんだなと思う。
私は、ゴーストライターとしての顔も、三十を超えるペンネームも、ただただ、ずっとものを書いていたいと言う意思から来ているだけだ。
頭にある言葉を吐き出してしまうことで全て満たされるから、評価も名声もどうでもいい。
一体、いくつの賞の受賞を辞退しただろう。
名前が売れるごとにペンネームと作風を捨てる。何度繰り返しただろう。
多分、自分の人生は、いつだって堂々巡りなんだろう。前の世界でも、どれほどの人生の交差点を目にしてきたか。そして、それに対して、私は常に観察者でしかなかった。
当事者であろうとしない、それが多分、飯嶌さんとの関係を維持できた理由であり、それでいて私自身が満足出来ていない理由だ。
そうではダメだと思いながら、今を突き崩す事に意味があるのか分からない。
お金はあるけど、特に使う場面が見つからない。
猫が好きなら、猫の為に使えばいいと思うけれど、野良猫シェルターを運営したいとは思わない。我が儘だ。猫が可愛いのは、猫を飼っているからに他ならない。だから、飼っていない猫に対して、どこまで上手く出来るかも分からない。
万事こんな調子だ。それがよくも五十年続いたのだと思う。
「初めまして、星野宙です」
その男の人は、目を丸くして驚いている。
「あ、どうも久保ノ谷です……」
説明は飲み込めているのか、怒り出す事はなさそうだ。ただ、疑いの色はある。
飯嶌さんに促され、昔のアルバムを見せる。
飯嶌さんが前任から引き継いだときの写真だ。
「これがオレな。格好いいだろう? 反対側が会長だな。会長の前に一人いたそうだから、お前で四代目だ」
こういう説明を聞いて、彼は何かを噛み締めていた。
それから、今までの流れを忘れることにして、お仕事の話をする。
真面目な話になると、その人は再び目を丸くして「本当なんだ」と笑う。
「お前、普通に失礼な奴だな」
飯嶌さんが笑いながら叱ってくれる。
「ああ、済みません。うっかり。
でもこう、不思議なものですね。
こんな見た目なのに……」
表情からは悪意を感じなかったが、飯嶌さんが「だからなぁ」と窘める。
「いえ、変わったいるのは承知の上なので」
そうして、仕事の話を一通り終えると、学校へと移動する。
流石に、私の食生活に付き合わせる訳にはいかない。
宿の手配もしてあるし、二人には明日帰って貰う。今までもそうであったし、これからもそうだ。
学校に着いてからは、終始驚きっぱなしだった。
そして、「あの人って……」と具体的な人名を出そうとしたところで、飯嶌さんが口止めする。
「ここで知ったことは一切口外してはならない。
その手の事でトラブル起こすと、比喩的表現抜きに死ぬぞ」
彼は目を剥いて、私に顔を向ける。
「私は、そんな大層な仕事をしていませんから……」
「転生者と関わるときはな、自分の仕事のことだけで付き合え。それ以外のことで深入りしないことだ」
飯嶌さんが噛み締めている。
この言葉に、私は鈍感ではいられなくなってしまった。
家に帰って泣いてしまった。久しぶりだ、感情がこんなに高ぶる夜は。
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